春は未だ白い翼のままで

相内麗

第1部

第1章

第1話 星出和也/ぶんやこん

 エラいことになった。まさか自分がコンピュータ関連の雑誌に移るとは思ってもみなかった。


 ——星出和也 平成二十四年十月一日を以てシステムテクノ編集部への異動を命ず


 今日、会社で異動の内示があった。入社以来、ずっと人材育成部門で新入社員向けの教育開発に携わっていたのに、よりによって総合コンピュータ関連を扱う雑誌の編集部へ異動することになるとは夢にも思ってなかった。

 これは上司の嫌がらせか、それとも体の良い左遷だとしか思えない。


 取り敢えず理系出身で自動車関連雑誌の編集部にいる同期にこっそりと内示を伝えて『ゼロからコンピュータを教えてくれるところはないか?』と尋ねたら鼻で笑われてしまった。くそっ。

 でも、そいつの隣の席に座っていた美人が『「ぶんやこん」なら頼れるかも』と教えてくれた。

 『ぶんやこん』? 何だ、そりゃ。


 その美人から聞いた話によると『ぶんやこん』とはオンライン上の集まりみたいで正式名称を『文系のための優しいコンピュータ講座』と言うらしい。で、略して『ぶんやこん』。

 その美女から『「ぶんやこん」でググってチャットで助けを求めれば?』と言われたが『ググってチャット』という言葉の意味が分からないと正直に言ったら『ggrks』と謎の暗号を言われた。

 その言葉の意味がさらに分からないという顔をしていたら『頑張って! という意味の激励の言葉よ』と教えてくれた。同期の男はなぜか吹き出していたが。


 その美女が『あれ、今夜オフ会があるっぽい』と言い出した。

 オフ会? オフ会って何ですか?

 どうやらオフ会というのはネット上での活動、即ちオンラインに対しての対義語で実際に会うことをオフラインと慣例的に呼んでいると言うことで、対面でのミーティングや飲み会を指す言葉だと説明された。

 何とかその美女に頼み込んで俺の名前で今夜のオフ会に登録してもらう事ができた。

 そして今、俺は『ぶんやこん』のオフ会が行われる小石川大学へと向かっている。


 地下鉄茗荷谷みょうがだに駅で降りて徒歩数分で小石川大学に到着。正門ではなく南門から入れと注意書きがある。

 目指す一号館は隅の方にあった。建物の入口に『ぶんやこん 四階』のA看板を見つけた。

 階段で四階まで上がると灯りが点いている部屋が目の前にある。ちょっと部屋の中を覗こうとしたら入口に女の子がいて声を掛けられた。

「『ぶんやこん』の参加者の方ですか?」

 これが『まみ』さんとの初めての出会いだった。


 『ぶんやこん』は小石川大学の滝川真一教授が主宰している会で『まみ』さんは滝川先生の研究室に所属している大学生だった。

 その日は初参加者が三人もいたとかで、やはり滝川研究室の大学生が俺を含めたその初参加者の面倒をまとめてみてくれた。

 『ハンドルネームはどうしますか?』と聞かれてもハンドルネームの意味が分からない。ようやくニックネームの事だと理解した俺は苗字そのままに平仮名で『ほしで』にした。他の二人は名前の一字を採ってそれぞれ『ジン』、『えい』と名乗ることになった。


 同じ部屋の中で別の集まりもできていた。そちらは見るからに玄人集団で百パーセント全員がノートPCを開いて中心にいる人物の話を聞いている。

 『あっちは何をしているんですか?』と俺らの面倒をみてくれてる学生に尋ねたら『あれは「なつ」さんの生講演ですね。「なつ」さん、赤ちゃん産んだので久し振りのオフ参加なんですよ』ということだった。


 『ぶんやこん』の活動は基本的にインターネット上で行われる活動だった。『過去のアーカイブがライブラリにありますから読んでみて下さい』と言われた。謎の呪文を言われる事には慣れてきた。

 この『ぶんやこん』の活動で毎晩十時頃にチャットルームに集まってくる仲間が出来た。それがあの日、初めてオフ会に参加した『ジン』と『えい』と俺、そして『まみ』さんだった。


 俺たち新人三人はこの夜のチャットで『まみ』さんにゼロからコンピュータのことを教わった。教わったことは知識だけでなく、強いシステムの作り方や適切な運用をするにはどうすれば良いかなどと言った経験知とも言うべき内容を丁寧に教えてもらった。

 例えば『コンピュータシステムの肝は初期開発よりも運用にどれだけ投資が出来るかです。結局、それがトータルで安くて強いシステムになります』などという事も教わった。

 『例えコンピュータのことが分からなくても道筋さえ見つけることが出来れば、その道筋に従って前に突き進んでいけば良い。そうすれば必ずゴールできます!』と『まみ』さんは俺たちに教えてくれた。

 『必ずゴールできます』は『まみ』さんの決め台詞だった。

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