夜鳴きらーめん悪役令嬢

kattern

第1話 その日、少女はらーめん屋と出会った

 公爵令嬢『キャロル・イーストン』は悩んでいた。

 突如、彼女が通う魔法学園に迷い込んだ、庶民の少女との接し方に苦慮していた。


 少女の名は『コーネリア・ウェイパー』。

 貴族の子女のみが魔法が使えるこの世界で、庶民でありながら魔法を使い、さらに失われし古代魔法さえも操るという天才魔法少女だ。

 学園長がその才能を見出し、彼を後見人にこの学校に転入してきた彼女は、ほんの数日で学園内で知らぬ者はいない存在となった。


 当然、貴族主義に染まった学園の生徒たちは、彼女にいい感情を抱いていない。


 なにかの間違い。あるいはペテン。

 詐欺に違いないと誰もがその才覚を疑っていた。


 しかし、キャロルはそんなことを気にしていなかった。

 彼女は公爵令嬢でありながら「強き者がこの国を統べる。身分に関係なく、魔法に長じた者こそが上に立つべきですわ」という、マチズモな思考の持ち主。

 風の噂にコーネリアのことを聞いた時、「どうやらこの学園も、面白くなってきましたわね……」と静かにほくそ笑んだほどだった。


 だが――。


「どうしてですの! いざ会ってみると、口から出るのは挑発的な言葉ばかり!」


 本日の放課後、コーネリアと回廊ではじめて邂逅した彼女の口から出たのは、まるで貴族主義の象徴のような侮蔑的な言葉であった。


「臭い臭い! 臭いましてよ! 庶民の臭いがァ!」


「貴方と私では生きている世界が違いますの」


「悔しかったら登っていらっしゃい。私と同じ高みへと」


「おーっほっほっほっほ!」


 こんな言葉をかける気はなかった。

 学園に蔓延る貴族主義に翻弄されるコーネリアを労うつもりでさえあった。

 なのに、いざ彼女の小さな顔――茶色いボブカットに小顔、いかにも私が特徴のない乙女ゲーの主人公――を見ていると、そんな言葉が次々に口から飛び出したのだ。


 自分が自分で恐ろしい。

 いったい自分はコーネリアのなにに怯えているのか。


 いや、これは怯えているというよりも――。


「ダメですわ。今日は寝付けません」


 寄宿舎の自室。

 天蓋付きのベッドで悶々とした夜を過ごしていたキャロルは、おもむろに布団から這い出した。そして制服に着替えると、アテのない夜の散歩に繰り出した。

 こういうことは時たまあった。特に、彼女を疎ましく思う対立派閥の貴族子女から果たし合いを申し込まれた日の夜。彼女は火照る身体を冷ますべく夜風を浴びた。


 彼女は根っからのマジックバトルジャンキーだった。


 今日は果たし合いではない。

 夜風に当たるほどのことではないだろう。

 そう思ったキャロルが、宿舎から続いている学舎へと入る。


 夜の学舎はシンと静まりかえっていた。

 妖しげな闇魔法の教師が実験している音も聞こえてこなければ、何事かを企む生徒会の密談も聞こえてこない。人目を忍んで逢瀬する男女の気配もないものだから、キャロルはなんとも気落ちした。


 ――少しくらいなんかあってもええやろ。


 そう思って、窓の外で鳴くミミズクに溜息を吐きかけたその時、使われていない空き教室から、うすぼんやりとしたあかりが漏れているのに気が付いた。

 紅い光に誘われてその教室を覗き込めば――。


「あら、こんな空き教室に屋台(らーめん)がありましたのね?」


 そこに屋台があった。


 紅い暖簾に東洋の文字で『破魔家』と書かれている。

 名前から豚骨醤油ベース。こってりとした味わい。海苔とほうれん草がトッピングされていそうな予感がした。家系ラーメンっぽい予感がひしひしとした。


 しかし、なによりキャロルを驚かせたのはそこではない。


「へらっしぇー! ご新規さん一名さま!」


「こ、コーネリアさん⁉」


 空き教室を覗き込んだ彼女を目ざとく見つけて来店コールを上げた女。

 今日の夕方、彼女が口汚く罵ってしまった相手。


 コーネリア・ウェイパーがそこに立っていたのだ。

 しかも、紅いTシャツに頭にはタオルを巻き、動き易そうなスラックスを履いて。


「どうしてコーネリアさんがこんな所に?」


「まぁまぁ、そんな細かいことはどうでもいいじゃありませんか」


「どうでもよく……」


「学校の中に屋台がある時点でいまさらでは?」


「……それもそうですわね」


 コーネリア嬢に促されるまま屋台の暖簾をくぐるキャロル。

 入ってみると屋台は意外なほど広く、中には既に4名の客が入っていた。

 どれも男性。しかもキャロルよりも年上の者ばかり。一番端の客に至っては、この魔法学院で闇魔法を教えている教師だった。


 ――不健康そうな顔をして、らーめんとか食べるのですね。


 ふとキャロルはその時、不思議なことに気がついた。

 自分より先に席に着いている客たち。その前にらーめんが置かれていないのだ。


 まだ開店したばかりなのか。

 あるいは、そんなに作るのに時間がかかるのか。

 ただ、闇魔法の教師――おそらく、この中で一番待っているであろう――の前に置かれたグラスには、びっしりと水滴が結露している。

 長い時間を、彼がここで待っているのは間違いない。


 ――らーめんを作るのに、こんなに待たされることがあるか?


「あ、そろそろですよキャロルさん」


「そろそろ?」


「オーダー間違えないように気をつけてくださいね」


「オーダー?」


 困惑するキャロル嬢の前にワンカップに入ったお冷やを置いたコーネリア嬢。

 それと同時に、店の奥で忙しく鍋を回していた店主が振り返った。


「はい! 一番さんから五番さん! 注文どうぞ!」


「ヤサイニンニクマシマシアブラマシマシカラメ!」


「ニンニクマシマシカラメマシ!」


「ヤサイマシマシニンニクアブラスクナメ!」


「アブラマシマシカラメ……ニンニクマシマシ!」


「ま、まさかここは二郎系ですの⁉」


 その謎の呪文の正体をキャロルは知っていた。


 伝説に聞く二郎系。その注文に使われる呪文マジックスペルだ。

 オーダーを素早く的確に伝えることを目的とした省略魔法。

 時と場合と店によっては無詠唱でも伝わるらしい。


 まさか学園のあるトカーイ地方(本家二郎系らーめんはカンート地方のみのため、そのほかの土地では亜流・インスパイアがほとんど。呪文が使われることはまずない)で、これを聞くことになるとは。


 戦慄するキャロル。

 しかし、口を噤んでいる暇はなかった。


「キャロルさん! はやくコールお願いします! 店長が困ってます!」


「はっ! わたくしとしたことが、一瞬自分を見失っておりましたわ!」


「さぁ、はやくコールをキメてください!」


「ちなみに! ここは直系(二郎チェーン店)ですの? 亜流(独立、その他本店に縁のあるお店)ですの? それとも――インスパイア(縁もゆかりもないけれど、売れるので二郎系らーめんを出してるお店)のどれですの?」


「異世界ですよ! インスパイアに決まってるでしょ!」


「インスパイアなのにコールを真面目にするなんて! 二郎への冒涜ですわぁ!」


 キャロルは叫んだ。

 エアジロリアンとして叫んだ。


 魔法使いとして、いつか華麗に呪文マジックスペルをキメてみせる。

 そう息巻いていたのに――インスパイアで二郎童貞を捨てることになるとは。

 そう思うと途方もないやるせなさがキャロルの心に押し寄せた。

 まるで「若い頃は飲み干せたスープを残してしまう」ようなやるせなさが。


「お嬢ちゃん、無理して二郎系を食べる必要はないぜ」


「店長さん!」


「うちはこれでも、二郎系と家系のハイブリットでやらせてもらってるんだ。家系の方がよかったら、コー坊からメニューを見せてもらいな」


一番腹が立つタイプのらーめん屋ガッデム・ファッキン・ラーメンショップ!」


 キャロルの中で全てが繋がった。

 なぜ『コーネリア・ウェイパー』に自分が深い殺意を抱いたのか。

 いや、彼女の纏った臭いにあれほどの怒りを抱いたのか。


 拝金主義にまみれた心なきらーめん屋経営が彼女の心の琴線に触れたのだ。


 二郎は二郎。

 家系は家系。

 天一は天一だ。


 なのにどうしてそれをひとつの店で扱おうとするのか。

 らーめん屋をテーマパークか何かと勘違いしている。

 料理人の心を忘れた傲慢な経営に、キャロルは身を焦がすような怒りを覚えた。


 覚えた上で――。


「ヤサイスクナメニンニクナシアブラナシカラメナシチャーシューツイカ!」


 あえてキャロルは呪文マジックスペルを放った。

 それは彼女から店長、そしてコーネリアに対する宣戦布告でもあった。


「……嬢ちゃん、俺の腕を侮ってもらっちゃ困るぜ」


「二郎はスープとチャーシューが全て! 貴女の二郎がどれほどのものか、私がこの舌でもって確かめさせていただきますわ!」


「いいねぇ! 実にクールだよお嬢ちゃん! いや――悪役令嬢さん!」


「誰が呼んだか、夜鳴きらーめん悪役令嬢とは私のことですわ! 私が通う学園で、屋台を開いたのが運の尽き! 中途半端な二郎を出して見なさい! その首、明日のスープのガラにしてさしあげますわ!」


 にらみ合う店長と悪役令嬢。


 その横で「人肉らーめんは流石に……」と、闇魔法の教師が顔をしかめた。


 一方、あわわあわわと狼狽えるコーネリア嬢。

 まさか、自分の働いている屋台が原因で、こんなことになってしまうなんて。

 学費の足しにとはじめたアルバイトを彼女は深く後悔した。


 そんな彼女の肩をキャロルが慈悲のこもった手で撫でる。


「心配しなくて大丈夫でしてよ、コーネリアさん」


「きゃ、キャロルさん!」


「ここをクビになった際には、私が割のいいバイト先を紹介してあげましょう。こんな中途半端な覚悟でらーめんを売っているいい加減な店と違い、その一杯に信念と自信を持ってお客様にお出ししている、本物のらーめん屋を!」


「本物とかどうでもいいんで! 時給がよくてまかないが出れば!」


 かくして悪役令嬢と店長の熱いらーめんバトルの火蓋が切って落とされた。

 1時間890円という「ちょっと安めの時給」で雇われたコーネリアが、心配そうにカウンターのキャロルを見つめる。

 しかし、キャロルは彼女の視線よりも、その背中にプリントされた「この一杯に命を賭けて」という薄ら寒い文言に、額の血管をひくつかせるのだった。


「賭けてもらうぞ一番腹が立つタイプのらーめん屋ガッデム・ファッキン・ラーメンショップ!」


 悪役令嬢は静かに割り箸を割った。


 翌日。

 学園の門前に首を落とされた店主の死体が転がったのは言うまでもない。


【了】

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