第16話 あの世の前にこの世です

「念願の中国へ行けたのだから、しっかりと現実的に進学を考えなさい」

 地平線越しに孔明先生の存在を魂で感じた時から、いかにして中国語を学ぶか? 中国と関わるか? それだけを現実的に考えるようになった。


「これからの時代は、中国語を話せた方が就職にも有利ですよ」

 中国語を学べる大学や専門学校のパンフレットを収集したり、説明会へ行って話を聞いたりするたびに、高校を卒業すれば、やりたいことが無条件にできる、学べる! と思い込んでいた希望は、失望に変わった。

 私が求めたのは、世間体に沿った生き方や、社会貢献をする人材になること前提ではなく、自分の人生を、自分のために生きる道だった。


「大学を休学して留学する人も沢山いるから、大丈夫ですよ」

 少なくとも、私が望むようなトコトンどっぷり中国文化に浸って学べる大学も、専門学校も当時は見つからなかった。

 どんな法則を使おうが、祈ろうが人生は思い通りにはいかないのが現実。

 だが、大切なのは、思い通りにいかない現実を受け入れて、どうするか?


 誰も行ったことがないので、実際はどうなのか知らないし、確かめようもないが「あの世では言葉の壁はないから、中国語にそこまで拘る必要はない」と言われたこともある。

 だが、あの世に行く前に、この世である。この世で、如何に生きるか。


 現地の文化や三国志の時代の常識を知らずに、日本語に翻訳された机上の知識だけを冥土の土産として旅立ち、孔明先生に謁見を申し入れたところで、門前払いをされるのは火を見るよりも明らかである。

 何しろ、あの玄徳公でさえ「三顧の礼」を尽くした相手なのだ。


 自ら進んで中国語を学ぼうとせず、人間力を深めようとせず、

「後世の人間なのだから、言葉さえ通じれば何を言っても許されるだろう」とばかりに、常識も教養もない一方的な思いだけを振りかざす異国の民に会ってくれる偉人は、いるだろうか?


 私が拝顔の栄を賜りたい相手は「天下三分の計」を実現させ、歴史を動かした諸葛孔明先生である。

 あの世で孔明先生が会ってくれる人間になるには、中国語と中国文化を常識レベルでまとっていなければならないと信じて疑わず。


 そんな本音き出しの生き方や価値観を解ってくれる人も、相談できる人もいなかったが、人生の岐路に立たされた十八歳の私が情熱を傾けて考えた結果「日本では無理。でも、日本だけが全てではない」という思考回路を経て、高校卒業後、三国志の国へ留学することにした。

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