第15話 中途半端な代償
「今日まで生きていて、本当に良かった!」
それは、大地に柔らかい春雨が降り注いで苗を育てるように、私の命と人生が認められ、祝福された瞬間だった。
どんなに辛いことがあっても、生きていて良かったと思える瞬間があるからこそ、感動があるからこそ、私は生きようと思えるのだと、生きているのだと、私なりの生きる意味を悟った。
だが、いくら中国の地平線に一目惚れしたとは言え、余程のことがない限り海外で生活することは難しい。
時間が経てば中国への
手始めに通信教育で中国語を学びたいと持ちかけるも
「何をやっても中途半端だからダメ。お金をドブに捨てるようなことはできない」
積み上げられた真新しい教材の山を指差しながら却下された。
教材はあくまでも学校の試験のためのものであり、自分が学びたいことではないから、好きではないから、興味がないから、未読スルーしているだけ。
そんなのと一緒にされても困ると懇願したが、親、聞く耳持たず。
学校では学びたいことが学べず、家でも保護者の許可がないと学ぶことさえ出来なかった当時。初めて自分からやりたい! と抱いた向学心は、僅か数秒で玉砕! こんな時、英雄達だったらどうするのだろう。
表面上の言葉だけ追っていては、時代も違うし、家庭環境も違うから、絶対に無理なことが多い。だからこそ、時空を超えて学ぶ時はそのまま真似るのではなく、言動の本質に学ぶのがポイントとなる。
授業そっちのけで三国志に没頭した結果、私は時空を超えて学ぶ術を自然と習得していた。
そんな私が活用した三国志の教え初級編は
「今出来ることを口先だけで終わらせずに行動で示すこと」だった。
行動に起こすことの大切さは昔から多くの偉人、賢人が言っているにも関わらず、現代でも行動が大事だと言われ続けている。
それだけ実際に行動に移すことは時代に関係なく、難しいということなのだろう。
行動力は、あくまでも個人の力、本人次第。
だからこそ、行動してこそ意味があるのもまた確か。
今はネット環境さえあれば気軽に、年齢に関係なく、学びたいことを学べるが、この時からインターネットが普及していたのなら、私の中国熱も無難に電子処理されていたかもしれない。
恋愛は障害があればあるほど燃える、とはよく言ったもので、中国語の勉強を反対されたことにより、私の想いはさらに燃えた。
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