眠れない夜に
夢空
第1話
その日は記録的な熱帯夜だった。扇風機やクーラーが苦手な自分は暑さに強い性分だったが、流石にその日はあまりの暑さに寝付けず、しばらく布団の上を転がった後、思い立って外に出ることにした。時刻は深夜の二時過ぎ。明日も仕事だが、このまま眠れず徹夜するよりは、外の空気に触れた方が気分転換になると考えたからだ。
俺は街の中を特に目的もなく歩き回る。光といえば街灯と信号機、あとはコンビニぐらいのものだ。その光さえも熱く感じられるようで鬱陶しく、俺は避けるように光のない方へと歩を進めていく。
すると、汗で濡れていた頬にひんやりと風が当たった気がした。俺は誘われるようにその風が吹く方へ歩いていく。
どれぐらい歩いただろうか。周りは完全に暗闇。新月の今日は月明かりもなく、風だけが頼りだった。
頭がぼうっとしてからっぽだった。そのからっぽの頭に突然、とんでもないものが目から入り込んできた。
立ち込めるのはまるで冷凍庫にいるようなひんやりとした霧。その中を、異形の者達が列を作って歩いていた。二本足で歩く猫や狐達、巨大な顔だけが宙に浮かび飛び回るもの、見上げれば上が見えないほど巨大な何かもいた。それらは何をするわけでもなく、ただゆっくりと行進していく。
「ちょっとそこのお兄さん」
その時、行進の中から女性の声が聞こえた。見れば、牛のような頭をしたものの上に
少女は牛の背からひょいと飛び降りると、俺の前に歩いてきた。はっきりと少女の顔が見える。浮世離れした美しさだ。人形でもここまでの美は追求できないだろうと思えるぐらいの。
「お兄さん、ここで何してるの? っていうかどうやって入ったの?」
「いや、正直良く分からん。風に頼って歩いてたら偶然出くわした」
「ふうん。それより百鬼夜行を見ちゃったね。百鬼夜行はね、見ると死んじゃうんだよ?」
死。そう言われても全く実感がなかった。思えばこんなものを見ても、心はさざなみ一つ立てないのだ。まるで、自分の感情が凍りついてしまったかのように。
「俺はどうやって死ぬんだ?」
「へえ、イカれてるねお兄さん。普通は助かりたいとかそう思うんじゃない?」
「なぜ……なんだろうな。この空間にいると、死が全然怖いものに思えないんだ。むしろ、あの中に入って俺も歩きたい。そう思えるほどに」
俺の答えに少女は目を丸くした。そして大声を上げて笑い出す。
「こりゃまいった。筋金入りの変人だ」
少女はひとしきり笑った後、目元に浮かんだ涙を拭いて着ていたワンピースのポケットに手を入れる。そして俺の右手を取ると、何かを握らせた。
「気に入った。今日のところは無事に帰してあげるよ。これが帰り道を示してくれる」
「君は……一体何者だ?」
「私は百鬼夜行の長、人の身にしてありながら数多の妖怪を統べる人魚の肉を食らった不死の存在。さ、もう帰りな。今宵の百鬼夜行もじきに終わる」
そう言って少女は俺の胸を軽く押した。しかしなぜか俺はその力に抗えず、仰向けに倒れていく……。りぃん、と何かが鳴り続けている気がした。
◇
「……は!」
蝉の鳴き声で俺は目を覚ます。そこは自室の布団の上だった。
夢、にしてははっきりと覚えすぎている。ついさっきまであそこにいたかのように。
その時俺は右手に何か持っている事に気づいた。それは空色に透き通った鈴だった。振って鳴らしてみると、あの時と同じ音がする。
「……また会えるかな」
無意識にそう言って俺は苦笑する。見たら死ぬと言われたのにまるで懲りていない。
今日も暑くなりそうだ。今夜もどこかであの百鬼夜行は行われるんだろうか。
眠れない夜に 夢空 @mukuu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます