二日目(夕)

 私たちは尾根の交差するその下、吹き溜まりを目指して先を急いだ。

 ルートはやや東側に膨らみ、そして次第に足元の雪も深さを増していく。


 セレスティア岳の東側、尾根が複雑に交わっているこちら側は、地形が複雑になって、それが山岳氷河や、雪渓せっけいを形成している。


 氷河とは海に浮かぶ氷の塊をイメージするかもしれないが、それだけではない。


 急な山の斜面には上から落ちてきた雪がたまり、氷となって、やがて自身の重さに耐えられなくなって流れ始める。するとそれは懸垂氷河けんすいひょうがとなる。


 いま我々が目指しているような、尾根が交わったもとにある、お椀状の谷となった場所、圏谷けんこくにも氷河が生まれる。


 この氷河の先端は更に下へ行くと他の氷河と合流して巨大な谷氷河を作っている。これは上から押されてどんどん山裾へと流れ、そして溶けていく。そうしてセレスティア岳のふもとの村々に水を供給しているのだ。


 いまは初春。季節が冬でなくてよかったと思う。

 真冬になると雪が山頂部をすっぽりと帽子状に覆ってしまい、踏破するのがとても困難になる。そうなると最悪だ。


 雪庇せっぴもそこいら中にできるし、雪で持ち上がった浮石だらけになる。

 地面が少し硬い今は、比較的踏破しやすい時期だ。


 もう6合目を越えたあたりだろうか? だいぶ寒さが険しさを増してきた。

 口周りを覆った布は、私の呼気で湿ると、それが吹きすさぶ風で凍りついて木板のようにカチコチに凍る。私はそのたびに手でいじって、布の柔らかさを取り戻そうと努力を繰り返さなければならなかった。


 ――まったく、自分の吐息で窒息しそうになるとは。


 日が天頂から西へ向かい始めてきたころだ、どうやら私達は勝負に負けた。

 風来神の方が足が早かった。


 風は激しさを増し、氷の粒のようなものが体に当たる。

 きっと雨になる前のもの、それが私たちの体にぶつけられているのだ。


「くそったれの売女め――」


 剣士たちを率いるヴァンは、口汚い呪いの言葉を天にむかって吐く。

 それが耳に余り、私は彼の怒りを買うのを承知で諫める。


「悪態に体力を使うな、静かにしていれば、疲れない」


「さすが、かしこいやつは違うね」


 この男の苛つきに付き合ってはいられない。

 怒りを受け流して、この先どうするかを考えていた。


 目的地への到着をまたずして、ここで野営の作業を始めるべきか?

 いや、それはだめだ。ここでは風に暴露しすぎる。


 どうしたものかだろう。

 足を前に動かしながら思案していると、後ろから声が上がった。


「レックス、だ。あそこにケルンが見える」


 声を上げたのは、弓使いのフリードだ。

 彼は尾根の手前にあるぽっこりとした小山のようなものを指さした。

 その下には石? 台のように形の石が、雪に埋もれている


 ケルンとは石を人為的に積み上げて作った目印のことだ。

 その意味は様々だが、大体はそこに何かがあることを知らせている。


 ぱっと見はただの雪の塊にしか見えない。よく気づいたものだ。


 フリードの目は、常に何かをまぶしがっているように細く引き絞られているが、とても良い目をしている。


「……下の岩は大きそうだ。岩小屋かもしれん、向かってみるか?」


 クルツのその提案が後押しになり、私たちは雪に埋もれたケルンを目指すことにした。こういった山には、「岩小屋」と呼ばれる場所がある。


 文字通り、岩でできた小屋だ。と言っても、誰かがノミやハンマーで石を削って作った小屋というわけではない。


 雪や雨、水の流れが岩の下を通り、凍結し、氷になって膨張する。そういった侵食や破壊を繰り返して、巨大な岩の下に空間ができて、小屋のようになるのだ。


 「岩小屋」では、大岩が屋根となるので、ある程度の風雨を避けられる。

 私も実際に何度か野宿をして、命を救われたことすらある。


 強い氷の粒まじりの風が吹いている今、岩小屋は最高の贈り物だ。

 我々はかなりついていると思った。


 強い風に体を横に引っ張られながら、ケルンのもとへと向かう。この周囲は吹き溜まりになっているのか、氷のようになった雪の厚みはかなりのものだ。


 ケルンに近づいて分かったが、積まれた石のひとつひとつは結構な大きさだ。

 大きいものでは人の胴体くらいある。いったい何者がこれを積み上げたのだ?


 私は岩を調べるために、氷雪の上に膝をついた。

 一度溶けたあと、凍結しなおしたのだろう。膝をついた氷雪の表面は、半透明になっていて、その内側は白くキラキラと輝いている。

 さながら石英の結晶を思わせる姿だった。


 さて、ケルンの下には角張った大きな一枚岩がある。この岩から落ちた雪が氷雪となって岩小屋の入り口を塞いだのだろう。

 岩と氷の隙間に顔を近づけると、空気の流れを感じる。

 この奥に空間があるのは間違いないな。


 もしかしたら、思った以上に広い空間になっているかもしれない。


 二人の剣士、ヴァンとデナンが一緒になって雪を円匙えんぴで削る。

 私も彼らと一緒になって、手斧ハチェットを振りおろす。


 寒さと薄い空気のせいで、すぐに息が上がってしまう。

 何度か交代を繰り返して、ようやく人が通れる大きさの穴を掘ることが出来た。


 パーティのなかで一番身軽なクルツが、蛇のように体をよじらせて、中に潜る。

 すると彼は、その無愛想な顔から想像できない、甲高い声を上げた。


「レックス、扉だ! 表面になにか……細工が彫られた扉があるぞ!」


 まったく予想してなかった事態が起きた。

 私たちは何かの入り口を見つけてしまったようだ。


 要塞の入り口は7合目、巨人のテーブルにあるはずだ。

 だが、これはなんだ? まさか秘密の入口があるとでも?


 私は岩の上の雪に覆われたケルンを見上げる。

 物言わぬ白い巨人に見下されているようで、なんとも不気味な雰囲気だ。


「それだけじゃわからない。もっと詳しく説明してくれ」


 私は中にいるクルツに声をかけ、何があるのかもっと情報を得ようとした。

 しかし風雨が次第に強くなり、ゴウゴウという風の音が耳を打つせいで、彼が何を言っているのか、外にいる私にはよく聞き取れない。


 迷いはあったが、私は体を氷雪の上に腹ばいになって、彼のもとに向かう。

 そこで見たものは、私の冒険心を強く打つものだった。


 目に入ったのは、金色と青緑色の2色で出来た扉。

 青銅製の分厚い重厚なパーツを組み合わせて造られたドア枠に、真鍮製の両開きの2枚のドアがめられている。


 青銅製のパーツは丸みを帯びた鋳物で、表面には数学的美しさを感じさせる文様が刻まれている。等間隔に点があり、それを結ぶ緩やかな曲線の模様が描かれているのだ。未知の植物を思わせるそれは、実に精緻な加工でつくられている。


 しかし、扉の方もこの細工に負けていない。

 青銅のパーツが曲線の粋を極めたのなら、扉の方は直線の粋を極めている。


 まず扉の取手から直線をあらゆる方向に伸ばし、それが扉の縁に当たると、角度がついて跳ね返る。それを何度も繰り返すことで、複雑な三角系のデザインとなって完成している。さながら、鏡に光があたって散乱する様を、扉をカンバスにしてそのまま書いたようだ。


 混沌の中に絶対の因果律を感じられ、何とも名状しがたい美しさを見せている。


 ……間違いない。この装飾様式はドワーフのものだ。


 私は外にいる者たちに声をかけ、この扉の前に集める。

 ここをただの岩小屋とするか、それとも冒険の始まりとするか?

 これを私一人で決めることは出来ない。全員の意見が必要だ。


 しかし、決を取ると言っても、私たちは「冒険者」だ。


 答えはおそらく……すでに決まっているだろう。

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