僕は死にたい
神澤直子
第1話
僕は死にたい。
ずっと死にたかった。生まれてからこの方、生きていることに絶望しかない。クソみたいな家庭に生まれて学校ではいじめられて、誰も助けてくれなくて、最悪だ。最悪なんだ。
僕は死んだ方がいい人間だけど、でも自分で死ぬ勇気が持てない。
だから僕は夜に散歩に出ることにした。
僕が住んでいる街は、治安がいいとはけして言えない場所だから。
インターネットでよくネタにされている。傘や自転車はみんなでシェアしているとか、犯罪件数が減ってるけどそれは元々が多すぎただけだとか。たしかに言われている通り、近所にはおよそ都会とは思えないようなひと昔遅れの金髪で豹柄のジャージを着たようなヤンキーがわんさかいる。暴走族とまでは行かないけど、深夜にドカドカと重低音を鳴らしながら疾走する車もいる。
もしかしたらそう言う人たちに目をつけられてカツアゲされてボコボコにされて--いや、気が狂った人間が夜の帷に誘われて僕の目の前に現れ持っているナイフで--たくさんの想像が頭を巡る。
どんな死に方であれ、僕を殺してくれるのならどんなにありがたいことだろう。
空気が澄んだ、よく晴れた夜だった。
僕の澄んでいる場所は都会ではあるけど住宅街で、夜になると街灯の灯りしかなくそこそこ暗い。それでも空に星は見えなくて、まん丸いお月様だけがぽっかりとそこだけ穴が空いてしまったかのように空に張り付いていた。殆ど音はない。遠くから聞こえるテレビの音も静寂に飲み込まれてしまっている。
まず僕は家の周りをグルリと一周した。一周しても出会ったのは日中近所を我が物顔で闊歩している野良猫のマルタ(みんながそう呼んでいる)だけだった。マルタは金色に光る目でまるで物おじをせず僕を睨みつけた。猫が一体何を考えているのかなんてわからないけど、僕は射抜かれたような気持ちになって居心地が悪くなり、慌ててそこから駆け出した。
走って、走って、走って、コンビニの明かりが眩しい大通りに出た。
こんな時間にコンビニなんて来たことがない。そもそもあまりコンビニを利用しない。
コンビニの前にはヤンキーどもがたむろしているものだとばかり思っていたが、今日は誰もいなかった。ここら辺では珍しく少しだけ広い駐車場があるコンビニで駐車場にはトラックが停まって中で仮眠をとっている風だった。仮眠というものはパーキングエリアで取るものだと思っていたので、こういうこともあるのだなと思う。もしかしたらダメなのかもしれないけど、そんなことは僕の知ったこっちゃない。
僕は大きなトラックの横を通り過ぎてコンビニの中へと入った。
眩しいくらいの明かり。清潔な店内。腐ってもここは日本であると思い知らされる。レジカウンターに店員が一人。僕と同じく陰気な男性。ボツボツと吹き出物が汚らしい肌に、目が3倍の大きさに見える度の強いメガネ。でかい鼻。店に入った僕をジロリと恨めしそうに睨みつけた。
僕は客だぞ、と僕は思いながら店の奥。ペットボトルドリンクが置いてあるコーナーへと向かう。
別に喉が渇いていたわけじゃない。コンビニに入ったはいいが、買うものが思いつかなかったのだ。僕は冷蔵庫の中のコーラを取り出して、雑誌コーナーへ向かう。それから普段は読まない美人なお姉さんが表紙のなるべく下世話そうな雑誌を手に取り、レジへ向かった。
僕を見てあからさまに嫌そうな顔をする店員。まあ、そんな顔をされるのは慣れている。家でも学校でも、みんなが同じ顔で僕を見てくる。
でも、慣れたとはいってもつらいかつらくないかで言われたら辛い。
ふと級友の田中の顔が思い浮かんだ。
田中はデブだった。そして、僕と同じくらいブサイクだと思っている。夏はもちろんのこと、冬だって常に額から汗を垂らして背中にシャツを貼り付けている。汗のせいか、風呂に入っていないせいか髪の毛はギトギトしていて、いつもそこはかとなく臭い。
そんな奴なのに田中は何故かクラスの中心にいる。クラスの中心で、明るくて見栄えのいい男たちに混じりながら僕を罵り虐めている。
僕は殊更この男が憎い。
首謀者と言うわけではない。ただの賑やかしのこの男が誰よりも憎い。
少なくとも僕は清潔だ。毎日風呂に入っているし、髪の毛もサラサラしてる。臭くもない。それにデブでもない。なのに何故虐められるのは僕だけなんだ。なんで僕だけがクラスみんなに囲まれて組み付されて床を舐めなければならないんだ。
僕を虐めなければ自分が虐められるから?
よくそういう話を聞くけど、あいつはそんなことは微塵も思っちゃいない。組み伏された僕を見下ろすあの瞳。心底軽蔑して馬鹿にしたあの瞳。自分のことを一切なにも省みていないあの態度。目を瞑るだけで田中の顔に張り付いた薄ら笑いが思い出される。
ああ、腹が立つ。
目の前の店員は無愛想にこちらをチラリとも見ずに会計をすすめている。
「あなたも死にたいと思ったこと、ありますか?」
僕は訊いた。
今まで俯いて作業をしていた店員がゆっくりと顔を上げた。胸元の名札が見える。浜崎と言うらしい。
店員は一瞬驚いた顔だったが、すぐに芋虫を見る目で僕を見た。
「は?あんた馬鹿なんですか?」
急に恥ずかしくなった。
よくよく浜崎を見てみると、たしかに肌は汚いしメガネの度は強い。だけど細く整えられた眉毛にはピアスが刺さっているし、耳にも大きく拡張されたピアスホールが空いている。髪型だって下ろしていて一見わからないけど、ちゃんとセットするとツーブロックになる奴だろう。
僕は勘違いしていた。なんとなくこの店員が僕と同類のような気がしていた。
でも違う。
こいつは自分の容姿が悪いことをなんら気にすることがない、どこから来るのかわからない自信に溢れた人間だ。自分が馬鹿にされるとかそういうことを微塵も考えたことのない人間だ。
--田中と同類だ。
僕は荒々しく釣り銭を受け取り、商品を引ったくるようにして店を出た。後ろから浜崎のめんどくさそうな「ありがとうございます」が聞こえた。
店を出て僕は急に泣きそうになった。泣きそうになって買ったコーラを一気飲みして雑誌を捨てた。
それから散歩をする気も失せて僕は真っ直ぐ家に帰った。特に何も起こらなかった。
僕はこのクソッタレの世界をまだ生きていかなければならない。
僕は死にたい 神澤直子 @kena0928
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