私は父が大嫌い【KAC2023】-04

久浩香

第1話 私は父が大嫌い

 私は父が大嫌いだった。


 父も、私が女だった事が不満だったようで、可愛がってもらった記憶は一切無い。

 それどころか、まだ幼かった私が父に纏わりつこうとしても邪見にされ、私が五月蠅くしたり、虫の居所が悪い時などは、鬼の様な形相でたれそうにもなった。

 実際に打たれた痛みを感じた事は無いし、開いた手を振りかぶった姿しか覚えていないのは、その度に、母が私を抱き抱え、盾になってくれていたからだと思う。


 しゃくりあげていた私が落ち着くと、

「お部屋に行ってなさい」

 と、諭す母の後ろには、そっぽを向いて仁王立ちする父が立っていたから、とても母に付いて来てほしいと言えるような雰囲気ではなく、私がリビングを出てドアを閉めると、父の怒りは母に向かった。


 そうでなくても、父は母にも辛くあたっていた。

 私が眠っていると、隣室の両親の部屋から、

『お前みたいな孤児を貰ってやったのは俺だ!』

『婆ぁに気に入られてたからって、調子に乗るな!』

 といった父の怒声や、父に許しを懇願する母の悲痛な声は、しょっちゅう聞こえてきた。その度に私は、声が聞こえないように布団を頭から被って、早く眠るようになった。


 父の実家──宮脇みやわき家というのは、この辺り一帯の地主の家系で、家事で家族を失った中学生だった母を引き取ったのが父方の曽祖母だったのだとか。

 それから、私にはとても信じられない…いえ、写真で見る若かりし頃の母の美貌を考えれば、それは充分にありえるけれど、私が知る父の態度からは、到底、そうは思えないけれど、母を好きになった父が、半ば無理やり母と結婚したのだそうで、私が生まれたばかりの頃までは、少しばかり父の嫉妬心が過剰ではあったものの、本当に仲睦まじい夫婦だったのだとか。


 父が、高校を中退させてまで一緒になった母にキツくあたるようになったのは、私が1歳になる前の、今の家に引っ越してからで、その横暴に拍車がかかったのは、その2年後に、曽祖母が亡くなり、祖父が経営する不動産業の次期社長に伯母さんが指名されてからだったそう。

 だけど、どんなに酷い事を言っても、父は母を手放そうとはせず、夜になると、二人の寝室で寝ていた。



 そんな父が、外泊するようになったのは、私が小学二年生の時で、私は、ビクビクせずにリビングで寛いでいられるのが嬉しくて、もちろん、母も喜んでいるものと思っていたけれど、母は、父がいる時とは違う何かに怯え、落ち着かないようだった。


 それは、ついに父が帰って来なくなって10日も経とうかという、土曜日の夜だった。


 それまで、いくら外泊するようになったといっても、2,3日に一度は帰ってきていたので、前の土曜日の夜は、父が帰って来るような気がして、気が気じゃ無かった。

 いくら母から、

「本当にもう、出て行ってしまったのよ。もう、この家には帰って来ないの」

 と言われても、信じられなかったからだ。

 だけど、4日経ち、5日経っても父は帰って来なかったので、私は安心して、布団に頭を埋めずに眠れるようになっていた。


 深夜。

 ふと、目が覚めた。

 これまでは、夜にトイレに行くのが怖かった。だから、誰に教わるでもなく、夕方以降は、できるだけ水分を摂らないように気を付けていたけれど、もう、そういう事を考えなくていいと思って、つい、飲んでしまっていた。


(あれ?)

 トイレに向かう途中、玄関の上の電気と、リビングの少し開いたドアから灯りが漏れているのが気になった。

 一瞬、父が帰ってきたのではないかと思って、体が固まった。

 私は、そっと踵を上げて爪先立ちになり、そろそろとトイレに行って座り、用が済めば、すぐに戻ろうと考えた。


(あれ?)

 トイレにいる間、父の声は聞こえなかった。

 何かおかしいと思った私は、リビングの中に入った。

「お母さん?」

 そこに母がいると確証があったわけじゃない。私が夜の10時過ぎに自分の部屋に戻るよりも前に、母は、疲れたからといって自分の部屋に戻っていたから。


「きゃっ」

 私を見た母は、小さな叫び声を上げた。

 白いワンピースを着た母は、何か重そうなトートバッグを肩に下げ、明らかに、どこかに出かけようとしていた。


「どこか、行くの?」

 私がそう尋ねると、母は少し困ったような顔をして、

「んーーっと。その…ちょっと、散歩…にね」

 こんな時間に?って思うよりも前に、

「あたしも行きたい」

 と、私は叫んでいた。


 これまで、本当に父が怖くて、ビクビクして過ごしていた私は、夜のお散歩に出かけるなんて、とても素敵な事のように思えた。


「ダメよっ!」

 母は、今迄見た事もないキツい目で私を睨みつけた。

 その顔は、私を打とうとしていた父の顔と重なり、私を強張らせた。


 母は、トートバッグを肩からおろして、私と目の高さが揃うようにしゃがみこむと、

「ごめんね。でも、今日はどうしてもダメなの。もし、今日、お母さんと一緒にお散歩に出かけたら、お父さんが帰ってきてしまうわ。だから、今日だけは、お母さんを一人で行かせて」

 と、私の頭を撫でながら言ってきた。


 私が、こくんと頷くと、母は私を抱きしめて、

「絶対、あなたを渡したりしない。あなただけは、絶対」

 と、繰り返した。


 それから、私が自分の部屋に戻るのを見届けると、すぐに散歩に出かけていった。



 翌日、家にかかってきた伯母からの電話は、父が死んだ事を告げていた。



 後になって、父は浮気をしていて、その相手と一緒になる為に、母と離婚しようとしていた。

 その方が、母にとっては良い事のように思えたが、父は、私の親権を主張していたらしい。身寄りもなく、高校は中退、外で働いた事も無く、所有する物といえば、家から3キロばかり離れた所にある雑木林の名義と、父が母に払う慰謝料だけで、とても子供を育てる事は難しいだろうというのが言い分だ。

 父が死んで、母の為にと他の家族よりも多く受け継いだ曽祖母の遺産も含め、父の全てを母と私が相続した。


 それから、連れて行ってもらった母の所有する雑木林というのは、明治時代の末期に神社合祀されて廃された神社址で、そこに居る間、気が付けば母は、その中の一本の木に穿たれた釘を打ち付けたような穴を、じっと見ていた。


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