『ぐちゃぐちゃさん』
龍宝
「ぐちゃぐちゃさん」
ガラス製の色付きドアを押し開ける。
コーヒーの香ばしい匂いをひと嗅ぎ、若い女は店内に足を踏み入れた。
サングラスを外した拍子に、後ろで括られた金髪が揺れる。
まっすぐにカウンター席へと向かう女の顔と言わず背中と言わず、店のあちこちから一斉に視線が集まった。
「いらっしゃい。ご注文は?」
「エスプレッソを。うんと濃いやつで」
頷いて用意を始めるマスターから眼を逸らして、女はカウンターに腰掛けたまま店の中を見渡した。
あからさまか、さりげなくかは個人差あるものの、自分に向けられた注意の多さは面映ゆいほどだ。
今時、外人の血が混じっている程度の人間など珍しくもないだろう。
となれば、中途半端な田舎町に厳然として存在する、縄張り意識に引っかかったか。
好都合だ。
こうでなくては、わざわざ人の集まる場所に来た意味がない。
「――おい、姉さんよ。ここいらの人間じゃねえな」
出されたカップに口を付けていると、後ろから声が掛かった。
大学生くらいに見える男のふたり組が、こちらを見下ろすような格好で立っている。
「……釣れました、ね」
「あ? 何だって?」
「いえ、何でも。それで、何の御用でしょう?」
「よそ者だろうって言ってんだ。この茶店は、俺たち〝叉坐亜乱度〟の溜まり場なんだヨ。現役かOBか、そいつらの身内以外は遠慮すんのが礼儀ってもんだ」
「つまり、一見の客はお断り? 随分と客層の狭い喫茶店ですね、そりゃ」
困り顔のマスターを見遣って、女が肩を竦める。
「ふざけてんのかよ、テメー? いいから、さっさと消えるか、俺たちにショバ代払うか決めな」
「ショバ代? コーヒーとは別料金ですか?」
「外人だからってカマトトぶってんじゃねえぞ。身体で支払う方に決まってんだろ」
品のない笑い声が、店の数カ所で上がる。
とんでもない悪党どもだ。
まだ学生の分際でこれとは、まったく治安の悪い町としか言いようがない。
「あいにく、そいつは払えませんね」
「いいや、払ってもらうさ。無理やりにでもな」
手前の男が、女の左肩を掴んだ。
その手を一瞥してから、カップの中身を飲み干す。
「おいっ、聞いてんの――」
顔を近付けようとした男の鼻面に、思い切りカップが叩き込まれた。
「――かッ⁉」
女が踏み込み、仰け反った相手の首を握り込んだ。
立ち上がった勢いも手伝って、男の両足が地面を離れる。
もうひとりが止める暇もなかった。
水平になった男の身体が、音を立てて床に打ちつけられる。
「て、テメー! なにしやがる⁉」
掴みかかってきたもうひとりの腹に、女の前蹴りが突き刺さった。
後ろに倒れ込む男と入れ違いで、奥の方で様子を窺っていた三人ばかりが飛び出してくる。
先頭のひとりが大振りで振るった拳を躱し、がら空きの頭に裏拳を叩き込む。
姿勢が低くなったところを、上着を引っ掴んでカウンターに放り投げた。
「ふざけんじゃねえ! このアマ!」
背後に回ったひとりが、抱きつくように女の身体に腕を回す。
挟み撃ちを受けるのは面倒だ。
両脚を踏ん張って、男の腹に肘撃ちを突き込む。
鈍いうめき声が上がった。緩められた拘束をはねのける。
女は頭を下げた相手に向き直るや、顔面へと思い切り右ひざを繰り出した。
「こ、ここまでやって、無事に済むと思うなよォ⁉」
最後に残った男が、懐からナイフを抜いて構える。
照明を反射して輝く光り物に動じることもなく、女が無造作に足を踏み出した。
とたんに振り回されるナイフの切っ先を二度、三度と躱して、男の利き腕を捉える。
握り込んでも刃物を放さないと見るや、女は相手の腕をカウンターに叩きつけた。
からん、と音がして、男の手からナイフが落ちる。
すかさず、女は相手の襟を掴んで下からかち上げた。
たたらを踏むように後退る男を、そのまま押しまくる。
店の奥まで押し込んで、トイレのドアへ背中を打ちつける。
反動で戻ってくる男を、中へと蹴り込んだ。
便座に収まって項垂れる男を隠すように、蝶番の緩くなったドアが軋みながら半分だけ閉まっていった。
「お望み通り、身体で払いました。おつりは結構」
最初に倒した男の傍まで戻り、女が元の席に腰掛ける。
店内には他の客もまだいくらか残っているが、あっという間に五人をあしらった女に立ち向かってくる者は疎か、口を開こうとする者すらいなかった。
「あ、いえ。やっぱり、おつりは頂戴しなければ」
「ひっ……⁉」
女のひと言に、倒れたままの男が悲鳴を上げる。
「あなたたちは、こうしてよそ者のワタシに絡んでくるくらいなんですから、生まれも育ちもこの町の人間なんでしょう。なら、この町の事情にも詳しいはずですよねえ。たとえば、うわさ話とか」
「な、何が知りてェってんだ……?」
「そうですね。たとえば――〝ぐちゃぐちゃさん〟なんて名前に、心当たりは?」
「――ッ⁉」
驚愕に息を呑んだのは、手前の男だけではなかった。
やられて死んだふりをしていた連中や、ボックス席で息を凝らしていた者たちまで、はっきりと女が口にした名前に動揺している。
それどころか、関わりたくないとばかりに我先と店を出て行くではないか。
やはり、ここへ来て正解だったようだ。
「……っと、逃がしませんよ。貴重な情報源ですからね」
こっそりと気配を消して逃げ出そうとしていた男の襟首を掴まえる。
「勘弁してくれ! 俺はなにも知らねえ! 知らねえんだ!」
「その様子で、そんなはずがないでしょう。詳しいことをご存じですか? 居場所なんかを教えてくれると、助かるんですがねえ。ついでに、案内とかもしてくれると大助かりで――」
「あ、案内だと⁉ そんなの御免だ! できねえ! 勘弁してくれよ……‼」
「……参りましたね。お話にならない」
取り乱した男が涙までこぼすに至って、女はため息を吐いた。
マスターなら、と思って首を巡らせたが、初老の紳士はとっくに奥へ引っ込んでいた。
「――あたしが、案内してやってもいいよ」
どうしたものか、と思案していた女の横合いから声が掛かる。
そちらを見遣れば、ひとりだけ逃げずに残っていたらしい、ショートカットの少女が立っていた。
「あんたが、何のつもりで〝あいつ〟のことを知りたいのかにもよるけどね」
「もちろん、協力いただけるなら、お話するのはやぶさかじゃありませんが……どうも、訳ありのご様子で。――場所を変えましょうか」
数秒ほどの見つめ合いで、少女が頷いたのを見届けて席を立つ。
コーヒーの代金をカウンターに並べてから、女は少女を伴って店を出ていった。
「――じゃあ、〝あいつ〟を退治しに来たってわけ? えーと……」
「メイジー。雨月メイジーと言います。気軽にメイと呼んでください」
十数分後、女――メイジーの運転するSUVの車内である。
「……メイは、どこで〝あいつ〟のことを?」
「この町の役人からのご依頼でして。まァ、ワタシらのような連中に相談に来るくらいだ。あまりにも死人が出過ぎて、さすがに偶然や事故で済ますわけにもいかなくなったんでしょうね」
メイジーの本職は、祓い屋だ。
「天現堂」という小さな事務所で、うさんくさい社長や自分と似たような同僚たちに囲まれて仕事をこなしている。
相手にするのは、主に〝怪異〟と呼ばれるような、街中に潜む怪物たちである。
今回も、その一環だった。
「それで、あなたは?」
「晴前藤子。仲間内からは、フジって呼ばれてた」
「ワタシも、そうお呼びした方が?」
「好きにして」
助手席に座った少女――藤子の話をまとめると、彼女がどうして自分のような得体の知れない女に話し掛けようと思ったのか、理解できた。
見た目にそぐわず、それなりに気合の入った非行少女だった藤子は、やはり気の合う仲間とよくつるんでいたそうだ。
そんな友人たちを、彼女は半年前、原因不明の事故で一度に亡くした。
今から向かう先、かつての彼女たちの溜まり場で、全員が見分けのつかないほど〝ぐちゃぐちゃ〟になった状態で発見されたのだ。
当然、メイジーにはそれが事故などでないことはすぐに分かった。
人間にできることではないし、ただの事故ではそんな風になるわけもない。
怪異が絡んでいる。
そして、そういった事件は、この半年で何件も起きていた。
「あたしは、あいつらの仇を討ってやりたい」
いつしか〝ぐちゃぐちゃさん〟などと呼ばれ、町中から恐れられるようになった怪異を、藤子はずっと恨んできたのだ。
「この半年、それだけを考えてきた。だから、あんたが――メイが、ほんとに〝あいつ〟を退治できるっていうなら。あたしが、地獄にだって案内してやるさ」
「ははァ、それは頼もしい。ワタシも仕事ですけど、フジさんのお話を聞いて俄然やる気になってきました。あなたのご期待に、応えて見せますよ」
宵闇の迫る中、メイジーの車は町の中心部からやや外れたところにあった廃墟にたどり着いた。
廃墟といっても、人の手を離れたのはこの事件が起き出してかららしい。
元々は、客入りの少なくなったショッピング・モールだったようだ。
立ち入り禁止の看板を横目に、ふたりは入口を潜る。
割れたガラスに、スプレーの落書き、散乱した資材に、ペットボトルや菓子類の袋。
典型的な廃墟か、心霊スポットといった具合だ。
最初の事件が起きてからしばらくの間は、肝試しのような感覚でここを訪れる者も少なくなかったのだろう。
そうして、次々と怪異の手に掛かっていった。
「………………」
「フジさん。大丈夫ですか?」
「……ごめん。思ったよりも、気分が悪いもんだね」
つと、メイジーは足を止めて振り返った。
藤子は、明らかに友人たちが亡くなった階へ近付くごとに口数が減っていた。
「無理もありません。これだけ距離が縮まれば」
「でも、足手まといにはならないから。今さら、あの時のことを思い出したくらいで、負けてらんないし――」
「――違いますよ。フジさん」
自分の片腕を擦るように手を当てていた藤子が、はっきりと表情を変えた。
にわかに空気の重くなったのが、彼女にも分かったのだろう。
震えの止まらない藤子の肩をひと掴みしてから、メイジーは再び向き直った。
開けたフロアの一角。
月明かりすら届かない暗闇に――いる。
ぺたん、ぺたん、ぺたん、ぺたん。
奇妙な音と共に、影が迫ってくる。
悲鳴と怖気を必死に堪えている藤子を背後に庇いつつ、メイジーは暗闇に油断なく眼を凝らす。
「はっ、はっ――ひっ⁉」
巨大な顔から、不釣り合いに細い手足が生えているような、ずんぐりとした怪異がそこにいた。
「め、メイ」
「〝ぐちゃぐちゃさん〟でしょうね。人々の恐怖と嫌悪で、かなり力を蓄えているようです」
ぺたん、ぺたん、ぺたん、ぺた――。
こちらが逃げ切れない間合いにまで近付いた〝ぐちゃぐちゃさん〟が、不意に足を止める。
それから、能面のようだった顔を、にぃっ、と歪ませた。
「人を殺すのが、それほど愉しいですか。無抵抗な相手を、一方的にぐちゃぐちゃにしてやるのが」
「メイっ。ここから、どうするのさ……⁉」
怯えを隠し切れない藤子を見て、我慢ならぬとばかりに〝ぐちゃぐちゃさん〟が駆け出した。
いつの間に握っていたのか、巨大な杵のようなものを引きずりながら、こちらに迫ってくる。
ふたりの頭上に振り下ろされようとしている鈍器を見遣って、メイジーは右腕を突き出した。
「――斬ります」
突風を巻き上げて、杵が真っ二つに断ち割れる。
何が起きたのか困惑している様子の〝ぐちゃぐちゃさん〟と藤子。
両者の間で、メイジーは身の丈ほどもある直刀を振り抜いていた。
「これが、ワタシの能力。祓い屋が、ワタシの天職な理由のひとつ。この刀は、怪異だって斬り殺せますから」
身体中に光をまとったメイジーが、直刀を〝ぐちゃぐちゃさん〟へ突き付ける。
「もう、覚えましたか? ――これからあなたを殺す、刀の形を」
絶叫。
何を言っているのか、まるで理解できない何かを喚きながら、〝ぐちゃぐちゃさん〟が両腕を振るう。
次の瞬間に、能面は真っ二つになっていた。
瞬きをする前に、四つ。
四つがさらに断ち切られ、〝ぐちゃぐちゃさん〟だったものは、あっという間に細切れのばらばらになって、どちゃりと地面に散らばった。
「あいにく、刀じゃあ〝ぐちゃぐちゃ〟にはできませんが――あなたが殺してきた人たちへの、せめてもの手向けです」
血を払うように、ばっと直刀を翻したメイジーが、ややあって後ろを振り返る。
そこには、腰が抜けたようにへたり込んでいる藤子がいた。
『ぐちゃぐちゃさん』 龍宝 @longbao
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