第3話 あり得ない夢
その日私は夢を見た。
真っ白な褥の上、白い衣を纏った私を抱きしめる腕があった。
日焼けした傷だらけの腕。
彼が戦を駆け抜けた証。
「愛している……君を一目見た時から私は君のことが忘れられなかった」
「お戯れを。初めて出会ったのは戦の場。剣を交えた相手に惚れたというのですか」
そう、彼との出会は戦場だった。
あの時、彼と私は領地を争う敵同士だったというのに。
彼は私の唇に自分の唇を重ねる。
最初は恐る恐る触れ合うような口づけだったが、やがて深い口づけに変わる。
「……こ、このようなこと。つい最近まで敵同士だったというのに」
「もう、そなたと私は夫婦だ。何も問題はない」
私は今一度相手の顔を見る。
黒い目、黒い髪の毛……いや、よく見ると黒ではない。灯籠の光に照らされ、それが濃紺色であることが分かる。
首筋に甘噛みをされ、私は思わず彼の名を呼んだ。
「ああ……ライデンッッ……」
◇◆◇
朝。
目を覚ました私は、自分が見た夢に冷や汗を掻く。
いやいや、いやいやいやいや。
ライデンと私がキス?
しかも私がライデンに溺愛されているっぽい。
ないない。ないないないないない。
私はよろよろとした足取りで起き上がる。
ここは実家であるエルシア子爵家の一室。
今のところマノリウス大公家の邸宅へは実家から通っている状態。
本来侍女は主人の身の回りの世話や護衛をする為住み込みなのだが、肝心なハイネルはまだ帰ってきていないので、しばらくの間は実家から通うことになったのだ。
三面鏡の前に立った私はふうっと息を吐き、切りそろえた亜麻色の髪を掻き上げた。
緑色の瞳が潤み、頬はまだ赤い。
夢だというのに、甘噛みされた時の余韻がまだ残っていて、思わず首筋に手をあててしまう。
全く、何の夢を見ているんだか。何で昨日初めて会った人間が夢に出て来ているんだ?
私は溜息を吐いてから、両手を上げ身体を伸ばす。
とにかく職場の環境がガラリと変わってしまったから、その緊張感みたいなものが夢に出て来てしまったのだろう。
ひとまず夢のことは忘れて、今日も新人騎士達の指導を頑張らないと。
実家からマノリウス邸までは馬で小一時間。
訓練前のいい運動になる。
厩舎に馬を入れてから、練兵場に足を運ぶと、既に新人騎士達は整列をしていた。
私は彼らの前に立ち挨拶をする。
「おはよう。今日はまず練兵場を一時間走ってもらう。それから20分の休憩後、私との手合わせをする。分かったな?」
「「「はい!」」」
新人騎士達は声をそろえて返事をする。
昨日の手合わせの後、彼らは尊敬の眼差しを私に向けるようになった。
ただライデンだけは他の新人騎士達と態度が違う。
彼は返事をしたものの声が小さい。
嫌々私に従っている傾向があるので無理はないが……どうも様子がおかしい。
彼は顔を赤くして、私から目を逸らしているように見えた。
目を合わせたくない気持ちは、まぁ理解出来るが、何故顔を赤くしているのかが分からない。
「ライデン、顔が赤いぞ。もしかして熱でもあるのか?」
「いや、平熱だ。気にしないでくれ。ここまで走ってきたから少し暑くなっただけだ」
「そうか。具合が悪くなったら私に知らせるんだぞ?」
「……ああ」
やけに素直だな。
昨日の威嚇するような態度はどこへ行った?
やはり具合が悪いのかもしれないな。
俯くライデンを見た私は、不意に夢に出てきたライデンの切なげな顔を思い出し、ドキッとしてしまった。
しかしそんな気持ちはすぐに振り払い、新人騎士達と共に練兵場を走ることにした。
一時間後――
私とライデン以外の騎士達は、全員地面にへばりついていた。
殆ど学校を出たばかりの貴族子弟だからな。
体力がないのは仕方がない。私自身も騎士団に入ったばかりの時はこの時点でへばっていた。
「
霧風の呪文を唱えると霧を含んだ涼しい風が吹き込み、新人騎士達の体を冷やした。
ほうっと新人騎士達の表情が幾分か和らぐ。
練兵場の隅には湧き水井戸があり、そこが水飲み場となっている。ライデンは備え付けの器に水をすくいそれを飲んでいた。
あの様子だと具合が悪いというのは杞憂だったみたいだな。単に暑かっただけなのだろう。
私がホッとしたその時だった。
キィィィィィィィィィィ!!!
甲高い鳴き声と共に、練兵場が突如薄暗くなった。
巨大な鳥が上空に現れたのだ。
ぎょろっとまん丸い目は黄色く、トカゲのような黒い体、手の部分は烏のような黒い羽根、嘴はオレンジ色、翼を広げた状態だと人間の身長の五、六倍はありそうな巨大生物だ。
「うわぁぁぁ、リザードクロウだっっ!!」
「本物!? 本でしか見たことない……っっ!!」
「こ、こっちにくるなっっ!!」
まだ実戦に乏しい新人騎士達はかなり狼狽えている。
何しろリザードクロウは王国の騎士団の精鋭部隊が相手にする魔物だ。
実戦経験すらない新人達は、巨大な魔物の迫力に圧倒されるばかりだ。
そんな中、冷静なのはライデンだ。
私の元に駆け寄り指示を仰ぐ。
「動けるのは俺とあんただけだ。どうする?」
「魔術は使える?」
「いや……剣しかしてこなかったから」
「なら私があの魔物の動きを封じる。しかし長くは持続しないから、手早くあの魔物の首を斬れ」
「了解」
ライデンは頷いてから剣を構えた。
リザードクロウは私達に狙いを定め、こっちに向かって飛んでくる。
この魔術は至近距離まで来ないと通用しない。
「
相手の体を麻痺させる魔術の呪文を唱える。巨大な魔物を麻痺させるとなると、かなりの魔力を消費する。魔力の保有量が少ない私にとってはかなりきつい。
魔術にかかったリザードクロウの体は麻痺し、練兵場に落下する。
巨体が地面にたたきつけられたと同時に、ライデンの剣がリザードクロウの首を斬った。
その躊躇いもない剣筋を見て、彼に攻撃を任せて正解だったな、と思う。
しかしリザードクロウは首を斬られたにも関わらず、羽をバタつかせていた。
そしてライデンの方にめがけて突進をする。
私はとっさに雷の攻撃呪文を唱える。
「
あ……まずい。
魔力を使いすぎた。
身体麻痺魔術だけなら何とかなったけど、落雷の魔術で魔力が尽きてしまった。
雷に打たれた魔物は倒れて動かなくなった。
私はその様子を見届けて、ほうっと息をついてから膝をつく。
「サラ……ッッ!!」
激しい目眩に襲われる中、私の名を叫ぶライデンの声が聞こえた。
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