アヤカシユメミの夢幻茶店
海良いろ
1杯目 戻りのブルーマロウ・ブレンド
夢ならさめてほしい。
人生のどん底でそう思う。
現実感がなかった。
いや、未だに現実感がないのだ。
お茶を飲みたい。あたたかい、できれば目の覚める。
重い荷物を抱えたままタクシーを探していた。
一向に捕まらないことにうんざりし、どこか入れる店を探す。
大通りなことも幸いして、ぼんやりとした灯りにありついた。
「夢幻茶店……ウーロン茶とか……?」
看板を見て首を傾げていると、カランと小さな音がして扉が開いた。
こどもだった。
こんな時間に、いや、家族経営なのかもしれない。
店仕舞いの時間だったかと尋ねると、こどもはにっこりと笑った。
ドアノブと同じ高さに顔がある。
「ティをお求めですか」
「あー、えっと……はい、一応」
この際、もうどこでもいいや、と案内されるがままに入店した。
◆
カウンター席に腰かけ荷物を隣に置くと、深い深いため息が出た。
やっと一息つくことができる。
店内を見回すと、わたし以外に客はいなく、やはり店仕舞いの時間だったのかもしれない、と思った。
こどもが楽しそうに食器を扱い、茶を入れるのであろう準備をしている。
「メニュをどぞ」
「あ、どうも……」
変わった喋り方をするこどもだ。
「どれどれ……」
どれも見たことのあるお茶たちだったが、そのどれもに妙な修飾語がついている。
疲れていて頭を働かせたくなかったのもあり、一番上のメニューを指さした。
スイ、とちいさなお菓子を差し出され、ぺこりと頭を下げる。
「戻りのブルマロブレンドですね」
「あの~……」
「なにですか」
器用に茶器を扱うものだが、どうしても気になることがあった。
「えっと……ひとりで、お店を?」
「そですよ」
「まぁ……」
フクザツな家庭の事情でもあるのだろうか。
「ティをどぞ」
「あ、どうも……」
「ブルマロはひとくちごとに戻りますのでお気をつけて」
「え?」
カップを持ち上げた手が止まる。
戻り?戻る?何が戻るって?
「過去です。レモンを入れればもとどり。さめないうちにどぞ」
「か、過去に……?」
ああもう、とにかく今は頭を使いたくないんだってば。
どうしてこんな変な店に入ってしまったんだろう。
「ただし夢なのであしからず」
「あぁ……夢……夢ね」
そっか、わたし寝てるんだ。
だからこんな変な夢を見てるんだ。
じゃあ、早くこの悪夢から目が覚めますように。
痛む頭を振り切るように、勢いよくお茶を呷った。
◆
「……ミ……アスミ」
「……ん……」
「アスミ!」
「わっ!?」
何かに名前を呼ばれて目が覚めた。
「………………」
「アスミ?まだ寝てるの?」
「…………あ、れ?」
ああ、悪夢から覚めたのだ。
青いからだ。青いからきっと、未来から来たロボットがなんかして……。
悪夢の余韻が残る頭を振る。なんであんな夢を。
「じゃあ僕、出張行ってくるから。金曜には戻る」
背中に氷水を入れられた気がした。
「ま……待って、ちょっと待って!!」
「びっくりした……なにアスミ、どうしたの」
スマートフォンを充電器から抜き取り、ロック画面で日付を確認する。
現実感が、なかったのだ。
「……アスミ?本当にどうした?」
「……夢を見たの……すごくこわい夢……」
あの日も、あなたそう言って、飛行機に乗ったの。
わたしは夢の中で、あなたの訃報を聞いた。
あなたのお葬式の帰りで、変なお茶屋さんに入って、それで目が覚めたの。
「だから出張には行かないでって?」
「だって、すごくリアルだった……遺影に、この写真も使って、それで……」
「そんなに怖い夢だったの?」
「今日だけでいいからここにいて!どこにもいかないで!!」
「そういう訳にもいかないよ……」
泣きすぎて頭がぼうっとする。
水分が足りなくなったんだよ、そういって彼はお茶を持ってきてくれた。
そうだ、彼は紅茶が好きだった。
青く揺らめく水面が、わたしの泣きはらした情けない顔を映し出している。
「半分くらい飲んだら、レモンを浮かべてみて」
どこかで聞いた気がする。青と、レモン。
きっと、さっきの悪夢だ。もう朧気だけど。
「じゃあもう行くよ……あ、そうだ……あー、いや、帰ってきてから言う」
スゥ、と頭が冷えた。
あなた、あの時もそう言った。
あの時って?わからないけど、わたしそれで、後悔して……。
「ねえ、いま聞きたい。そうしたら、わたし、行かないでなんて言わないから」
彼はしばらく唸ったあと、迷いながらキッチンを指をさした。
「昨日、茶葉が切れた缶がある」
「買っておけばいいの?」
そんなことをわざわざ出がけに言い淀んだのだろうか。
「いや……僕が行ったら開けてみてほしい」
「え?」
「じゃ、じゃあ!行ってくる!」
行ってしまった……。
果てしない喪失感に襲われながら、わたしは彼を見えなくなるまで見送った。
青いお茶を半分飲んだあたりで、小皿に添えられたレモンが目に入る。
ああ、そういえば、そんなことを言っていたような……。
きっとまだ水分が足りていないのだ。
だからこんなになにもかもが揺らめいて、あやふやなんだ。
輪切りにされたレモンを浮かべると、お茶が鮮やかなピンク色に変わった。
ああ、そう、そうだった。
昨日も彼はこれを飲んで、茶葉……花?それが切れたから……。
味のしないお茶を飲んで、やっとわたしの頭はすっきりした。
「そっか……こっちが夢だったんだ……」
目が覚めたら、またあの悪夢に逆戻り。
◆
どうやら机に突っ伏していたようだ。
どこかすっきりとした頭で、呟く。
「そっか……もう、帰ってこないんだ……だから、聞けないんだ」
わたしは彼が出がけに言いかけたことがずっと気にかかっていたのだ。
帰りの飛行機に乗ったと連絡があったから、メッセージでも聞かなかった。
「青い……青いお茶の缶……」
まだ家にある。家の物はなにも動かしていないから、捨ててなかったはず。
「お会計お願いします」
「……こんどでよいです」
「え?」
「戻てきます、アナタ」
「えっと……」
「タクシ、きます」
遠慮してる時間が惜しい。
入り口にタクシーが止まったのを見て、店主らしいこどもに頭を下げる。
◆
「青いお茶、青いお茶の缶……」
おかしい。どれも重さがある。
空になった缶があるはずなのに。
「どうしてこんな似たような缶に詰めておくのよ!」
誰にともなく嘆く。
どれもこれも四角くって、夜空の色をした缶に入っている。
しかしそのうちの一つから妙な音がして、開けてみた。
ブルーマロウ。ああ、これもそんな名前だった。
「…………」
中からは小箱が出てきた。
勘の悪いわたしでもそれが何かくらいわかる。
銀色に光る指輪があった。
そうしてわたしは、初めて現実を受け入れ、泣いたのだった。
悲しみも、喪失感も、胸の痛みも現実だった。
喪服にぼたぼたと涙が落ちる。
ブルーマロウの新しい缶を見つけ、わたしはぎこちなくお茶を淹れた。
彼がいつもそうしていたように、蜂蜜とレモンを用意して。
湯気の向こうに、もうあなたはいない。
悪夢のような現実に耐えられるかはまだわからないけど。
わたしはもう少しだけ、夢を見ていたいと思った。
◆
わたしは後日、記憶を頼りにもう一度あの茶店を訪れていた。
「バイトぼしうちうです」
「バイトかぁ……」
家賃は彼と折半だったこともあり、わたしは今の給料だけではやっていけなくなっていた。でも、彼と住んでいたあの空間を失いたくない。
給料は、ちょうど彼が負担していた家賃分だった。
渡りに船、というやつだろうか。
「う~ん……まずはここが何なのか説明してもらわないことには働こうにもねぇ」
「文字どり茶店ですよ」
「あなたは……何?なんでこどもなのにお店をやってるの?あのお茶何?何かヤバい薬とか入ってないでしょうね?」
「
「ここは現実でしょう?魔法は夢の中だけにしてほしいよ」
そうしてわたしは、この世にも不思議で、ちょっとやさしい茶店で働くことになったのでした。
「まずはお茶の淹れ方から!」
「はぁ~い……」
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