【KAC20233】「イケメン潔癖ミニマリストは、嗅覚で陥落する」
水ぎわ
第1話 「お上手ですねえ、土下座が」
「——というわけで、あなたがネット上に書きこんだ内容は、私の依頼人に対する誹謗中傷とみなされ、刑法230条1項の『名誉棄損罪』にあたります。
裁判で争いたくないのなら、依頼人の希望どおり、謝罪されてはいかがですか?」
おれのパートナー弁護士である中条林太郎(なかじょう りんたろう)は、ここでクイ、と琥珀色の眼鏡を押し上げた。
完璧な美貌が事務所の蛍光灯の下で輝く。
口調は柔らか、品がいい外見。これで依頼人は安心する。
逆に、外見から林太郎を甘く見るバカもいる、たとえば今、おれの目の前に座っている男みたいに……。
「おいおいおい。弁護士さん、ネットに悪口をちょっと書いただけで裁判だって? 笑わせるぜ」
「根拠のない誹謗中傷は犯罪ですよ。
特に今は、ネット上での人格攻撃は重罰に処せられる傾向があります。
名誉棄損罪の罰則は三年以下の懲役もしくは禁固、または50万円以下の罰金です。一方、こちらの依頼人が求めているのは『真摯な謝罪』だけ。このあたりで手を打ってはいかがですか」
「おあいにくさま、あのアカウントはとっくに削除した。証拠がなきゃ、訴えられないねえ? 残念だ」
林太郎は、スッと立ち上がった。
身長180センチ、アマチュアボクシングで鍛えた体は細身に見えて全身がバネ。見た目の柔らかさにだまされちゃ、危険なんだ……。
……やばい、こいつ、やられるわ。
思わずおれが止めに入ろうとしたとき、林太郎がひらりと数枚の紙を出した。
「証拠は、あるんです。
あなたの書き込みはすべて、依頼人によってスクリーンショットで残されていました。依頼人は、慎重な方でしてね……。
ほらここ、見えますか?
日付とか投稿時間とか、投稿者のアカウント名がはっきりと読めるでしょう。
これでデジタルデータは復元できます。
日本の技術力はすごいんですよ。SNSのアカウントを削除したって、ほぼすべてのデータは復元可能なんです」
「く……っ! ふざけんな! あのくそ女、今度こそネット上で抹殺してやる!」
「林太郎、あぶないっ!」
男が殴りかかろうと立ち上がったその瞬間、林太郎は素早く相手の足を踏み、顔を近づけて言った。
甘い美貌に似合わない、どすの利いた声。
「まあ今回は、土下座でも、していただきましょうか……」
「どげ……ざ?」
「依頼人は『真摯な謝罪』を求めているんです。こういうことは、お互いへの気持ち、リスペクトを示すことが重要です」
林太郎の薄茶色の眼が鋭く光った。
やばいやばい。
おれはあわてて林太郎と男のあいだに入った。
「ここまでだ、林太郎!」
「あなたていどの案件で、むだにできる時間はないんですがねえ……」
林太郎の眼がますます鋭くなる。男は冷や汗をかきはじめた。
おれはそっと男にささやく。
「あのですね、中条はその気になったら何でもやります。ほんとうに『何でもやる』んですよ! 亀甲しばり、ムチ、ろうそく、言葉攻め、なんでもやります。うまいんですよ! 人生、壊されちゃいますよ!
よく考えて返事をしてください……」
「きっこうしばり……むち……ことばぜめ……ひいいい」
とす、と男の腰が落ちた。
「すい……すいませんでした……もうやりません」
「お上手ですねえ、土下座が。あ、その首の角度、もうちょっと下げていただけますか? そうそう、うなだれている感じがよく出るように」
林太郎はすばやくチェキで写真を撮った。ぱしゃぱしゃ。じーーーっ。
「ああ、これでいいでしょう。ご覧になりますか?」
男の眼の前で、出来上がったばかりの写真をひらめかす。男は茫然と、
「ごらんに……なりません……」
「そうですか、惜しいな。みごとな奴隷写真なんですが。
出すところへ出したら、高値で売れそうですね……」
そう言うと、林太郎は真を細かく引き裂きはじめた。
「依頼人は、あなたの根拠のない誹謗中傷に、大変な打撃を受けられたのです。今回はこれで示談にさせていただきますが、次は土下座じゃすみませんよ。爪はぎ……ボンデージ……イチジクカンチョウ……うふふふ」
そう言うと林太郎は紙片になった写真をまき散らした。男の肩に、贖罪の雪のように降りかかる。
「ご足労いただき、誠にありがとうございました――
林太郎は部屋のすみからほうきを取り出した。すばやく床の紙片を掃除していく。
「まったく、部屋がぐちゃぐちゃになるのは困るんですよ……」
中条林太郎28歳、新進気鋭の若手弁護士。
大学時代の同期と組んで『中条・海音 法律事務所』を開いたばかり。どんな事件も一刀両断、快刀乱麻、すぱぱぱぱん。
キレッキレの頭脳派弁護士と言われているが……本性はキチクどSの潔癖症だ。
そして気が狂うほど、おれが恋している男でもある……。
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