第十八話 愛に包まれて
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結婚式は真理恵も茅平家も快諾してくれたので超愛と夢が探してきた教会で挙げた。
華の出した条件はシンプル。見栄は要らない、華やかさも要らない。厳かな儀式に相応しい場所。場所は遠くないところ。
式場を決めてから披露宴の場所を決めた。
小さい教会だった。
庭は緑からは遠くなった芝の中に季節の過ぎた落ち葉がちらちらと落ちている。陽は暖かく、空では青い中を薄く白い雲がゆっくりと流れている。
写真を撮る時にベールが風でなびき、その少しの風に真理恵が風邪を引かないかと心配だった。けれど緊張と興奮と期待で高鳴る華嫁の心は熱く、気温など気にもならなかった。
聖歌隊と言うには小さな少年と少女8人が讃美歌を歌ってくれ、牧師さんの声は豊かな深い声だった。
互いに誓った結婚の言葉。
今日より良い時も悪い時も
富める時も貧しい時も
病める時も健やかなる時も、愛し慈しみ
そして、死が二人を分かつまで
貞操を守ることをここに誓います。
「はい」
華の声が震えた。目の前にいるのは自分を信じて疑わない素直な目をした真理恵だ。幸せのタイミング。それは真実の愛は真理恵と共にあると教えてくれた。
じっと自分を見上げるベールの向こうの瞳を真っ直ぐ見返す。ベールを上げるとそこに蕾のような唇が待っていた。
真理恵は目を閉じなかった。華も閉じなかった。互いにこの時を真実のものとして味わいたかった。
「おめでとう! 真理姉ぇ、華!」
「ありがとう」
「華くん、頼むよ。真理恵を頼む」
「はい」
「真理恵は意外と甘ったれだから覚悟してね」
「知ってます」
「真理恵ちゃん……」
「ゆめさん、泣かないで」
「真理恵ちゃん……」
「まさなりさん、泣かないで」
「華を頼みます」
「はい、お祖父さま」
「可愛らしいお嫁さん! 私は心配してませんよ」
「ありがとうございます、お祖母さま」
実は華はそのほとんどを聞いちゃいなかった。それより真理恵を見つめるのに忙しい。艶やかで愛らしくて自分より強く愛しくてならない真理恵。
(死が二人を分かつまで……違う。そんなもんで俺たちは離れない。俺の全てだ、マリエ……)
夢に微笑んでいる真理恵の手を握り振り返らせた。あまりに幸せでどうしていいか分からなかった。振り向いた真理恵がにこっと笑う。涙でその笑顔が霞んだ。
「……マリエ……」
抱き締めた。何も目に入らない、何も聞こえない。ただ真理恵がいる。その清らかで聖なる唇に口付けた。
披露宴は知っている顔で溢れていた。もちろん真理恵の友人も職場の仲間も来ている。拍手の中で中央に立って脇を見ると、幸せな顔をした真理恵がみんなの顔を見回していた。
華も会場に顔を向けた。哲平がいる。三途川がいる。課長がいる。チーフがいる。野瀬がいる。
そして泣きそうな顔をしたジェロームがいた。
(心配無いぞ)
その思いを込めて頷いて見せた。ジェロームも頷き返してきた。
課長のスピーチに涙が落ちそうになる。
「彼は戦うことを知っています。『守る』ことを言葉ではなく、実行する男です」
「華! この日を迎えたことが自分のことのように嬉しい!」
チーフの涙に有難いと思った。自分を扱うのが大変だろうということを充分に自覚している。そしてそれはこれからもきっと変わらない。それでも自分をあるがまま、最初から受け入れてくれた。
哲平のスピーチに振り回された。
(堅苦しいの書いてきたな……あ、原稿握り潰した。……マイクに怒鳴っちゃって……あ、鼻水!)
「真理恵さん、俺の相棒を頼みます! 突っ張り屋で捻くれもんですが最高のヤツです。どうか返品しないでください!」
笑った。笑っている真理恵と目を交わして笑った。笑うその顔に涙が流れていく。それを見て華も笑いながら涙を堪えた。
思わず会場に目をやる。
「ジェローム! 俺、お前にも何か言ってほしい。急にごめんな。一言でいいんだ」
突然の言葉にジェロームの目が見開いた。
ふらふらと立つ。自分だけを見ているその目には言葉にしなくても伝わってくる思いがあった。こういう場でスピーチなど出来るタイプじゃない。けれど渡されたマイクを躊躇いなく掴み、そして迸りだした言葉……
「俺、嬉しいです……華さんは何度も何度も俺を助けてくれた……華さんのお蔭で俺……強くなります、華さんのように。あの、真理恵さん……どうか兄をよろしくお願いします」
テーブルの下で真理恵が華の手をぎゅっと握り、それを握り返した。華の目に涙が溢れていた。
打って変わって二次会。一緒に行きたい! などと言い出した超愛と夢を宥めながら茅平家が帰って行く。
「いいのか? ご両親、泣きっ放しだぞ、披露宴中から」
「ああ、ウチの親はあれがデフォだから」
華の言葉に池沢が目を丸くする。
真理恵のそばに哲平が近づき頭を下げている。「どうぞ華をよろしくお願いします」と言って頭を上げた哲平の前には華が立っていた。
「なんだよ、お前! 俺は真理恵さんに挨拶してるんだぞ!」
「だめ、これ以上近づいちゃ」
「おい! 俺が真理恵さんに何をすると思ってんだよ!」
「だめ、何言っても。マリエ、これが哲平さん。すっごくいい人で巧みな話術で人を惑わす。だめだ、本気で会話しちゃ」
「この前は池沢に代理を頼んでしまって申し訳ありませんでした。彼は我慢屋ですから具合の悪い時にはしっかりと休ませてやってください……って、おい、俺は真理恵さんに挨拶してるんだ」
「マリエ、この人は独身だからな。頼もしくていつも真剣な人だからいろんな人の心を掴むんだ。惑わされるなよ」
「真理恵さん、こんなに可愛らしい方だとは思わな」
「マリエ。聞くな、あんまりいい声じゃないだろ? 耳塞げ」
「華っ! お前、この前と言ってることが違う!」
「あれ? 俺が口走ったうわ言のこと? 今は目が覚めてます」
「華くん! 私、皆さんとお喋りしたい! 邪魔しないで」
一瞬で静かになった華を見て、真理恵に対する歓声が上がった。
「マリエ……」
「心配ならそばにいていいからお話の邪魔はしちゃだめだよ」
そこからはみんなが遠慮なく話しかけた。真理恵に浴びせられる数々の質問。みんなが一番聞きたがったのは華の子どもの頃だ。
「幼馴染だと聞きました。華ってずっとこんな感じだったんですか?」
「ええ、ずっとこんな感じ」
「ケンカとか……?」
「ほとんど毎日でした。手が早いので」
「我がままだった?」
「はい」
とうとう華が叫んだ。
「マリエ! ちょっとは俺を褒めろよ!」
「華くん、嘘はいけないんだよ。聞かれないことは言わないけど聞かれたら私はちゃんと答える」
「おい、亭主関白はどうなった?」
「真理恵さんの尻に敷かれっ放しか?」
真理恵が真面目な顔で答えた。
「私、華くんのこと尻に敷いたりなんかしません。尊敬してるんです。大好きだし」
河野課長が真面目な顔で聞いた。
「どうして結婚を決めたんですか?」
「私のことに気づいてくれたからです」
「……長いこと、華を思ってきたんですね」
「ずっと。ずっと華くんだけを見てきました。彼が幸せでいることが私には幸せなので」
「華。お前たち、いい夫婦だな」
「はい、課長」
華の顔は見たことも無いほど幸せそうで、それを見た自分たちはラッキーなのかも、と思わせるほどだった。
その時後ろでカラオケが鳴り始めた。悪寒がして振り向くと不安的中。マイクを握っているのは哲平だ。止める間も無く歌が始まる。よりによって結婚式に付きものの『乾杯』。
真理恵がグラスを持ったまま固まって哲平を見ている。その耳を抑えた。激しい音痴の歌を聞かせたくない。驚いた顔のまま頷くと、華に『すごいね』と口がかたどった。
やっと拷問が終わって哲平が意気揚々と戻ってくる。片隅で、自分たちの様子に笑い転げているジェロームが見えた。
「マリエ、来て」
手を握ってジェロームのそばに行く。
「なんでこんな隅っこで笑ってるんだ?」
「だって、あの、真理恵さんに近づいたら怒られるから」
その言葉が終わらない内にくしゃくしゃと髪をかき回してやった。
「やめて、華さん!」
「な! こういうヤツなんだよ。分かるだろ?」
「ジェロームくん。いつも華くんに話を聞いてたから初めて会った気がしないです。華くんと仲良くしてくれてありがとう!」
「いえっ! とんでもないです、俺こそ華さんにはいつも助けてもらって……」
にこにこ笑う真理恵の笑顔にジェロームの言葉が止まった。
「きれい……あったかい。華さん、本当に俺、嬉しい……」
「お前が泣くな!」
そこに哲平が混ざった。
「おい、末っ子! お前、彼女どうしたんだよ? 今日連れて来るって聞いてたから楽しみにしてたんだぞ」
「あ、え、あの……」
「分かった! 見せるのがいやなんだろう、大事にしてるってわけだな?」
「写真、見せろよ。携帯にどうせ入ってるだろ?」
「あの……あ! 課長!」
立ちかけていた河野課長がジェイに呼びかけられて驚いた顔で振りむいた。
「課長! 課長は知ってますよね? 俺の家に時々来てたから会ってるじゃないですか」
「な、何をだ?」
「え!? 課長、会ってるんですか? どんな子でした?」
「やっぱり切れ長の目?」
「さらさらヘアーの美人?」
「もう! ジェロームの彼女の話ですよ」
なぜか課長がえらくドギマギしている。
「き、きれいだった」
「背、高かったですか?」
「あ、ああ」
「髪は?」
「髪は……うるさい! 俺に聞くな!」
早々に逃げ出す課長は、普段見たことの無い姿を見せていた。
三次会にまで行くと本気で真理恵を守ろうとそばから絶対に離れなかった。広岡や中山、和田、尾高。そういった面々はいいのだ。『節度』というものを知っているし、華の意志を尊重してくれる。
問題は、澤田、浜田、野瀬。調子に乗って何を言い出すか分からない。意外と危険なのは柏木だ。柏木は女性の扱いに慣れている。だから片時も真理恵のそばから離れなかった。
「ジェローム、来いよ!」
自分が右を、ジェロームに左を守ってもらう。
「華くん、男のジェラシーってみっともないよ」
真理恵が小声でくすっと笑いながら言ってくる。
「うるさい、危険生物は徹底排除だ」
そんな華を見るのも真理恵は楽しかった。
「疲れただろ」
やっとたどり着いた自宅は静かで落ち着いた。
傷のことがあるから華は酒を飲まなかったが、真理恵は多少飲んだ。ほんのりと顔が赤い。
「大丈夫、華くんが面白かったから」
「俺?」
「いい人たちだね、華くんの職場の人たちって。みんな明るい人ばっかり」
「ま、それが取り柄だからね」
「いいことだよ! だから華くん、仕事が楽しいんだね」
そうかもしれない。イヤだと思ったことが無い。諍いがあっても物をはっきり言い過ぎても、あそこでは普通にしていられる。
「みんな大人なんだね。華くん、一番小さい子に見えた」
「え、そう?」
「うん。大事にされてるよ。みんなに可愛がってもらって」
真理恵が言うのならそうなのだろうと思う。
(野瀬さんも……? 最初っから俺をガキ扱いだった?)
『可愛がってもらって』
職場での自分を客観的に見たのは真理恵が初めてだ。なんとなく心が温かくなった。
夜は二人の中で静かに過ぎていった。秘め事を楽しんで啄むようにキスを楽しんで。解け合う心。体。全て。
一瞬一瞬を二人で味わう、全身で。悦びの中で互いの体のラインをなぞる。瞳だけが雄弁に愛を語る。華は自分を真理恵に捧げ、それを真理恵が受け止めた。
『契り』
美しい言葉だと二人で思った。
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