第116話 旅立ち ~レイファー 2~

 レイファーと暮らしていたころ、マドルの名はグエンだった。


 母がレイファーを身ごもって城を出たあと、城から離れたあの森に建っていた小屋に、ひっそりと住み着いた。

 当時は小さな街が近くにあり、生活をするのには困らない程度の食料や備品を手に入れられたと、のちに母から聞いている。


 レイファーが二歳のころ、母と同じく身ごもったことで仕事を追われた伯母が、母を頼って身を寄せてきた。

 男手はなかったけれど、街から針仕事や畑の手伝いを頼まれて、貧しくても困窮するまでには至らなかった。

 伯母の子が生まれると、本当の弟のようにかわいくて、いつも二人で一緒に遊んだ。


「そうか……従弟だったんだ。あんたはジャセンベル人だし、あの人はロマジェリカ人だから、どうして兄って呼ぶのかと思ったんだ」


「俺は両親ともにジャセンベル人だが、マドル……グエンは父がロマジェリカ人だった。その血が濃く出たんだな」


「へえ……混血だったんだね。純粋なロマジェリカ人だとばかり思っていたよ。ロマジェリカは血を重んじるって聞いていたし」


「あいつは母親を早くに亡くしているから、調べようもなかっただろうし、うまくごまかしていたんだろう」


 レイファーが六歳のときにジャセンベルから迎えが来て、有無を言わさず連れ去られた。

 置き去りにされてしまった二人が心配で、どうにか森へ帰ろうとしたものの、何度も阻まれて帰ることもかなわない。

 ようやく見張りを出し抜いて森へたどり着いたときには、一年以上が経ってしまっていた。


「森にはもう誰もいなくて……小屋は廃れていた。そのそばに墓が……伯母のものだとすぐにわかったよ」


 従弟はどうなったのか、気になって探しても近くの街にはいない。

 諦めきれずに何度も森へ通ううち、兄たちの刺客に襲われ、葉山と中村に出会った。

 それからは毎年、二人に会いに森へと通い、様々なことを教わった。


「伯母が亡くなったのがいつかはわからない。それでも、グエンはまだ四歳だったはずだ。墓など掘れようはずがない。今思うと、街の誰かを暗示に掛けて墓を作らせたんだろうな」


 藤川はレイファーの話しを黙ったまま聞いている。


「周辺をどれだけ探しても見つからなかった。きっとどこかの家に貰われていったに違いない、そう思っていた」


 もしくは、貧しい者同士で寄り添って、物乞いでもしていたのかもしれない。

 死んだとは、思いたくなかった。


 レイファーの思う通りで、死んでこそいなかったけれど、過酷な環境で生き抜いたからなのか、早い段階で目覚めていたんだろう。

 まさか賢者のもとに拾われ、術を奪って賢者をほふっていようとは思わなかったが……。


「あの日、城から迎えがあったときに、伯母たちも受け入れてもらえるよう頼むことができれば……それが無理でも、もっと早くに二人のもとへ戻れていたら……今でもそう考えることがある」


「それはわかる。あのとき、ああしていればって考えるのは……あたしだって、未だに思うことはたくさんあるからね」


「のうのうと生きて、一人登りつめて、裏切り者……そう言われたよ」


 グエンはレイファーが皇子として生きてきたことを知っていた。

 名が変わっても、自分をランスだと認識していた。

 グエン自身で調べたのか、どこかで情報を得たのか、今となってはわからないけれど、レイファーが幸せに暮らしているようにみえたのだろう。


「それは違うでしょ。のうのうとは生きていなかったでしょ? のうのうと生きていたなら、命など狙われるわけがない」


「……まあな。それでも、あいつよりは恵まれて生きてきたのかもしれない。葉山や中村に会って、少なからず俺は充実した日々を過ごしていた。あいつが俺も含めてすべてを憎み、名を変え、世界を創りかえようなどと考えたのも、わからないわけじゃあない」


「だからって、それが今回のようなことを引き起こしていい理屈にはならないよ」


「わかっている。ただ、何度も考えるんだ。なにか違う道があったんじゃあないかと。俺がもっと行動を起こしていればと」


「後悔しているんだ?」


「そうだな……」


「でもどうしようもなかったんだと思う。子どもにはどうにもできないことだよ。もしもある程度、歳を取っていたとしても……どうにも抗えない状況はあるからね……人の力なんて、過信しても手に余ることばかりなんだから」


 藤川の言葉に、思わずレイファーは含み笑いを漏らした。


「初めて会ったときにも、同じようなことを言ったな」


「……そうだっけ?」


「ああ。軍に上がって二年目で……俺は十六のころだった。迷いばかりでいた俺に、あんたがいった言葉は妙に胸に沁みたよ」


「えっ? あのときあんた、十六歳だったの? じゃあ、あたしの一つ下? もっと年下だと思っていたよ」


「それは俺のセリフだ。俺のほうこそ、あんたは四つか五つは年下だと思っていたんだ」


 空が少しずつ白みはじめている。

 もう数時間すれは夜も明け、すぐに出航の時間になるだろう。


「少しばかり長話ながばなしが過ぎたな。休んでもらおうと思ったが……」


「いや、あたしから聞いたことなんだから、そんなのは構わないよ。出航してからだって、休む時間はいくらでもある」


 レイファーは今度こそ立ちあがり、部屋を出ると藤川を船室に案内した。


「出航時には船鐘が鳴るからすぐにわかる。なにかあれば、近くにいる誰にでも声をかけてくれ」


「わかった。ありがとう」


 閉められたドアをみつめ、本当に休む時間などあるんだろうか、そう思った。

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