第6話 安息 ~マドル 6~

 女官を一人、呼び付けて部屋の掃除を頼み、皇帝の部屋へと向かった。

 この数カ月、同盟の名のもとにヘイトから幾分かの食料を手にしたせいか、以前に比べると体力は戻りつつあるようだ。


 久しぶりに顔を見せたことで、喜び迎え入れられたのが鬱陶しい。

 嫌々ながらも笑顔だけは絶やさないように前に出た。


「長くお伺いできずに申し訳ありませんでした」


「マドルが顔を見せぬあいだは退屈でならぬ。庸儀の王もこのところは寄りもしない」


「あちらはあちらでお忙しいのでしょう。私もここしばらくはヘイトと庸儀を行ったり来たりでしたから」


「こちらの力を恐れてか、ジャセンベルも押し寄せてくる気配もないようじゃ。そろそろ城にこもっているのも女子を構うのも飽いた……」


 弱らせておいたと思ったのに、あれやこれやと欲に感けた要望だけは強い。


「ですが、これまでこらえていただいたおかげで、いよいよ泉翔侵攻の目処が立ちました」


「おお……! そうか、いよいよか!」


 感嘆の声を上げて立ち上がった皇帝は、急に腰を上げたためによろめいて玉座の前にひざまずいた。

 女たちが慌てて手を差し伸べて座り直させている。


「はい。あさってには出航し、首尾良く泉翔を手に入れた暁には、すべてを整えて皇帝をお迎えに上がります」


「そうかそうか……ついにあの島が手に入るか」


 一人うなずき、ブツブツと呟いている。

 昔は侵攻の際に船に乗り込み、泉翔を自身の目で見ているからか固執する気持ちが強い。


「まだ予断は許されませんが、なにしろ三国で攻め入りますゆえ、そう時間をかけずに済むかと思われます。ご準備だけはつつがなく進めていただけるようお願いいたします」


 こちらの言葉を聞き終える前に、世話係にあれやこれやと指示を出して動かしている。浮足立った様子を冷めた目で見つめた。

 この調子なら、また当分は気を逸らせておけるだろう。

 近くにいたものにあとを頼み、皇帝の部屋を出た。


 これで明日の夜まで体が空く。

 食事を済ませてから迷うことなく麻乃の部屋を訪ねた。

 部屋の隅にあったソファを窓際に寄せ、横になって本を読んでいる。

 女官の姿がないところを見ると、食事を済ませて片づけに出ているのだろう。


「この本……暇だったから借りている」


 昨夜、マドルが部屋から持ってきた内の一冊を掲げてみせた。

 月にまつわるロマジェリカの昔話や写真、挿絵の入った本だ。


 ロマジェリカでの武器の扱いかたや剣に関連した書籍もあるのに、そちらには興味がないのだろうか。

 泉翔で麻乃の部屋にあった多くの本が、剣術や武術にまつわるものだったのに。


「時間を持て余していると伺ったので、適当に見繕って持ってきたものです。好きに手に取っていただいて結構です」


 そばに寄ろうと足を踏み出すと、部屋の空気が固まったように感じた。

 麻乃の視線が必要以上に近づくのを拒むように、マドルの足もとに向いている。


(またか……近づいたと思うと引き離される……)


「その辺の椅子が空いている。適当に腰を下ろせばいい」


 麻乃は本へと視線を戻したまま小声でそう言った。

 完全に拒絶されたわけではなく、この部屋にいることは許されたようだ。

 机の横に並んだ椅子の一つに手を掛けて座った。


「昨夜は慌ただしくして言いそびれましたが、泉翔へ渡る日程が決まりました」


 麻乃の視線が一瞬だけこちらを向き、すぐに本に移った。


「……いつ?」


「あさっての正午に出航します。泉翔付近へ着くのは翌日の陽が落ちるころになるので、周辺の大きな島で夜明けを待ってからの上陸となります」


「大きな島? 枇杷島か……」


「なにか問題がありますか?」


「いや。なんの問題もない。その場所なら都合がいい、そう思っただけだ」


 都合がいいとはどういうことだろうか。

 その表情からはなにも読み取れないけれど、麻乃がなにかをしようとしているのはわかった。


「上陸に際していい手がある、そういうことですか?」


「……別に」


「まさかなにか危険なことでも……」


「あのあたりは慣れた場所だ。危険なことなんてありやしない」


 口調に苛立ちが見えた。

 ここしばらくのあいだ、一緒にいてやっとわかりかけてきた。

 どうも言葉数が少ない。


 ジェのようにベラベラと喋り続けているのも邪魔だけれど黙られるのも掴みようがない。

 問いかけを繰り返すほどに面倒臭そうな顔を見せ、最後は黙る。


 不評を買うのが好ましくない以上、結果、こちらが諦めるしかなく、今も溜息とともに出かかった言葉を飲み込んだ。

 静かな部屋に本をめくる音と、窓に砂粒がパラパラと当たる音だけが不規則に響く。

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