第85話 流動 ~レイファー 5~
「ですが、あの左腕を見てください、さっき袖を落とされたせいで見えたんですが、あの痣の形を!」
否定をしようとした言葉をピーターがさえぎる。
女の動きが速くて追い切れない。
周辺の兵を粗方倒したからか、その姿が立ち止まった。
風を受けて揺れる髪がやけに目につく。
目を凝らして良く顔を見ると、確かに見覚えがある。
ただ、以前に見たときには、髪は茶色だった。
そのまま視線を移し、左腕を見ると、花を象った黒い痣が見えた。
「あの形……あれは大剣使いの肩にある痣と同じ模様だ……」
泉翔の戦士はどうやら体のどこかに同じ模様の痣を持っている、ということは知っていた。
槍を扱う男は右手首の辺りにあったのを見たことがあるし、斧の男も右の二の腕に同じ模様の痣があった。
ほかのものと色こそ違うが、それと同じ痣を紅い髪の女が持っている。
「泉翔までもがロマジェリカに加担したとなると、わが国もさすがに手にあまります」
「だが、サムの話しではロマジェリカは近く泉翔へ侵攻するはずだ。組んでいるなら侵攻など必要はないだろう?」
乾いた音が周囲に響き渡り、陽が落ちて紫に変わり始めた空を赤く染めあげた。
「閃光弾? 撤退の合図か?」
「交戦してから、まだ一時間も経っていないのに、もう三分の一は削られてしまったようですね」
ケインが全体を見渡しながらそう言った。
徐々に退いていくサムの部隊を、紅い髪の女は深追いする気はないようで、刀をさげたままで立ち尽くしている。
不意に顔をあげて西側を見た女は、忌々しそうな表情を見せた。
その方向へ目を向けると、撤退していくサムの部隊を執拗に追っている、庸儀の軍が見える。
兵数が妙に少なく見えるのは、足止めをしていたサムの部隊が幾分か減らしたからだろうか。
その中の大きな指揮車にもう一人、赤髪の女がいた。
そちらは体も大きく真っ白なロングドレスに身を包み、やけに派手だ。
周囲を屈強な男たちに守られ、兵をあおるだけで、自ら戦おうとする意思はないらしい。
「おい、向こうにも赤髪の女がいるぞ」
ケインとピーターにその方角を示すと、二人ともそちらを眺めた。
「あちらはまた……同じ呼ばれようなのに、ずいぶんと違うものですね」
「きっと、あれがブライアンの言っていた女でしょう。あれでは、サムのやつが偽物だと断言するのもわかります」
そう言って苦笑している。
執拗に追い立てている割には、泉翔の女ほどにサムの兵を倒せていない。
そこに歴然とした力の差を見た気がする。
そもそも、己で戦う姿と、ただあおるだけの姿とでは、差もなにもありはしないが。
「同じ呼び名を持っていながら、片方があれでは、泉翔の女も面白くないだろうな」
そう言って再度、照準を合わせてみると、泉翔の女がこちらを向いた。
レンズ越しに合った瞳は髪と同じで深く紅く、レイファーの存在を推し量るように細めている。
殺気を含んだ視線に、背筋をフッと逆撫でされたようにゾクリとした。
「……ピーター、車の準備を。ケイン、すぐにここを離れるぞ」
「最後まで見届けなくても構わないのですか?」
「あの女……こっちに気づいている。あの場所からここへ、今すぐにやって来るとも思えないが、なにか嫌な予感がする」
ピーターが駆け出して車のエンジンをかけた。
辺りはもうすっかり暗くなっていて、地平線がほのかに陽の赤みを残しているだけだ。
「城へ戻るのも面倒だ。このままあの森へ向かおう」
ピーターに変わってレイファーは運転席に乗り込むと、思い切りアクセルを踏んだ。
一度は納まりかけた風が、今度は冷気を含んで横から吹きつけてくる。
たった数秒、見つめ合っただけの紅い瞳が、いつまでも追ってくる気がした。
できるかぎり早くロマジェリカ領から出なければと、気ばかりが急いてハンドルを握る手に否応なく力がこもる。
森へ着いたときには、夜の帳がおりてひどく冷え込み、霧雨が降りだしていた。
茂る木の葉で雨には濡れずに済んだものの寒さにはたえ切れず、ケインは小屋へ入った途端、暖炉に薪をくべた。
「やつらは無事に逃げ果せたのでしょうかね……」
「サムって男は強かそうだ、恐らく残りの連中は無事だろうよ。それより泉翔だ。これまであの島から出もしなかったのが、いきなりロマジェリカに加担しやがって」
寒さのせいか、しきりに膝頭を揺らしているケインが答えた。
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