第59話 目覚め ~マドル 5~

 つかんだ手を振りほどき、麻乃は身構えながらもクラリと体を揺らした。


(掛かった……)


 マドルの口もとが緩んだのを麻乃は睨み、明らかに苛立った口調で反論してきた。


「そんなはずはない。うちの主立った武将? あんたたちになぜそれがわかる?」


「貴女がたもこの大陸の各国で名を馳せる戦士たちの顔や名前はご存じでしょう? まさかご自分の国の情報が知られていないなどと、お思いではありませんよね?」


「それは……」


「特に貴女がたの国は、常に少数で私たちを阻んでくれる。幾度か足を運べば、その姿などすぐに目に焼きつけることが可能です」


「それでも……そんな話しは絶対にありえない!」


「貴女のいぬまま、ほかのものだけで取り決めが成されたのでは? あるいは貴女だけがなにも知らされず、事が動き始めているのではありませんか?」


「そんなはずは……ない」


 言いかけて麻乃は額を手で押さえ、目を閉じた。

 言葉では強く否定しながらも動揺しているのがわかる。


 そうなるように仕向けて言葉を紡いだけれど、麻乃がこうまで簡単に感情を動かすとは思わなかった。

 思い当たるなにかがあるのだろうか。


「お立ちなさい。そうまで仰るのであれば、ご自分の目で確かめてみることです」


 まずはマドルが立ちあがり手を差し延べた。

 麻乃はそれを無視してベッドからおり、まだ覚束ない足どりで用意した靴を履いている。

 ドアを開け、おもてに控えていた側近に耳打ちした。


「準備した車に、あの刀を積み込んでおいてください。くれぐれも、あのかたには気づかれないようにお願いします」


 視線を感じて部屋を振り返ると、麻乃の目が、動き一つも見逃さない鋭さで、マドルを見つめている。

 側近もそれに気づいて不安気につぶやいた。


「連れ出しても大丈夫でしょうか?」


「今は逃げるよりも確かめたいと思ってることがあるようです。当分は大人しくしてくれるでしょう」


 マドルは小声で答え、兵を減らした辺りに車を向かわせるように指示を出し、麻乃をうながして部屋の外へ出た。


 女官たちと同じ衣は足首までを覆い隠し、裾も袖も広がりのあるゆったりとした形をしている。

 着慣れないうえに動きにくさがあるようで、麻乃はしきりに足もとや袖口を気にしていた。


 車に乗り込むと、麻乃はマドルの問いかけには一切答えず、窓の外へ目を向けたままだ。

 側近との会話は気になるのか聞きもらすことのないように神経を張っている。


 なにを思っているのかまではわからなくても、すべてにおいて不安を感じているだろうことは伝わってくる。


 山を越えずに迂回するルートへ向かったとき、麓の辺りで突然、ハッとして身を乗り出すようになにかに見入った。

 その視線を追ってみても、マドルにはなにが気になったのかわからない。


 鴇汰かリュの姿でも見つけたのかと思い、目を凝らして周辺を見ても、人影はまったくなかった。

 その場を通り過ぎてもしばらくは気落ちした様子でいたのが、国境に近づくほどに、少しずつ緊張感を増していった。


 ロマジェリカ軍最後尾の斜面に車を停めさせ、麻乃をおろした。

 なにもない荒れ果てた土地に、ジャセンベル軍はおよそ五万、遠く離れても、その数の多さがわかるくらいだ。

 それに反してロマジェリカの軍勢は、自分が兵を退かせたため三万に満たないほどで、明らかに見劣りする。

 麻乃は目を細めて国境沿いを見渡した。


「……凄い数だ」


「泉翔へ侵攻するのとは違って、大陸にいるうえでは拠点をしっかり保てるぶん、兵数も資源も補充が可能です。大きな軍勢を率いても、さして問題はありません。むしろこれでも、少ないほうです」


「これで少ない?」


「こうして戦力を常に張り巡らせることがなく、泉翔が島国でなかったなら、我々もこれ以上の軍勢を率いて、泉翔に乗り込んだでしょう。拠点が置けず限られた資源と兵数でしか渡れない貴女がたの国は、攻め入るには難しいのですよ」


 フッと笑って麻乃はマドルを振り返った。


「まるで拠点さえ置くことができたら、泉翔を落とせるかのような口振りだ」


「不可能だとは思っていませんよ。そのための三国同盟でもあるわけですから。ジャセンベルの足さえ止めればどうとでも動ける……貴女の国も、それを感じ取っての今回の行動なのではないのですか?」


 マドルを睨む麻乃の瞳が、紅味を帯びている。

 左腕をつかんで引き寄せ、その手に双眼鏡を持たせた。


「目の前の軍勢をご覧なさい。貴女がどれだけ否定をしても、そこに見えるものが真実です」


 しっかりと麻乃の目を見つめたまま、一言一言を、ゆっくりと言い含めるように話した。


「知った顔がいくつあるのか、良く見て確認するといいでしょう」


 わずかに震える手が、ギュッと双眼鏡を握りしめ、麻乃は国境沿いに並ぶ軍勢を振り返った。

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