秘め事

第194話 秘め事 ~麻乃 1~

 地区別演習の結果が西区の優勝で終わり、戻った子どもたちをまじえ、全員で祝杯を挙げた。

 十時前に、麻乃は隊員の何人かに子どもたちを送らせ、日付けが変わるころまで高田や師範が、今後のことを話し合っているのを聞いていた。


 飲み過ぎている師範たちに、お茶を運んできた多香子が突然倒れ、麻乃は市原と一緒に医療所へ運んだ。

 処置室に入ってしばらくすると、石川が中から出てきた。


「爺ちゃん先生、多香子姉さんの様子はどうなんですか?」


「なんだ、高田のやつは来ていないのか?」


 立ちあがり、半ば詰め寄るように問いかけると、石川は麻乃と市原を見て、そうたずねてきた。


「せ……高田師範がいらっしゃらないとまずいんですか? まさか、そんなに悪いんですか?」


「市原先生! なんてことを言うんですかっ!」


 青ざめた市原に、麻乃は思いきり喰ってかかった。


「おまえたち少し落ち着け。どこも悪くはないわ。強いていうなら過労だろう、それから貧血か」


「そうですか……このところ、ずっと調子が良くなかったようなので心配していたんです」


 麻乃と市原がホッとして顔を見合わせると、石川は渋い顔をした。


「おまえたちに伝言させるのもなんだがなぁ……まぁ、目出たいことだからな。高田にしっかり伝えておけ、今、三カ月だ」


「……お、おめでたですか!」


 市原があげた大声が、廊下中に響いて、石川にギロリと睨まれた。


「たまには多香子を手伝って、少しは楽をさせてやれ。これから先は特にな」


「はい」


「今夜はここで休ませて、明日の昼過ぎにでも迎えをよこせばいい」


「わかりました」


 浮足立った市原が説明を聞いている横から、麻乃は石川に問いかけた。


「爺ちゃん先生、多香子姉さんの顔を見てきてもいいですか?」


「ああ、奥で横になっているから、行ってやるといい」


 そう言われ、廊下の奥にある部屋へ入る。

 最初から起きていたのか、市原の大声で起きてしまったのかはわからないけれど、多香子の目が麻乃に向いた。


 目が合うと、麻乃はなんとなく照れ臭くて、視線を外してベッドの脇の椅子に腰をおろした。

 鴇汰の言っていたことが当たってたんだ、と、ぼんやり思った。


「こんな夜中に面倒をかけちゃって、本当にごめんね」


「ううん。大丈夫だよ。それより多香子姉さんこそ、急に倒れたから……どこか痛んだりしない?」


「私は平気よ」


「そっか……でも無理しないでね? 大事な……体なんだしさ」


 へへっ、と照れ笑いがこぼれてしまう。


「そうだぞ。石川先生は、体を動かすのはいいことだけれど、無理をさせるなって仰っていたしな」


 あとから市原も入ってきて麻乃の後ろに立った。


「二人とも、本当に迷惑をかけてごめんなさいね」


「馬鹿、迷惑なわけがないだろう? なぁ?」


「うん、いつも迷惑をかけてるのは、あたしたちのほうだもん」


 市原と顔を合わせてそう言うと、多香子がわずかに微笑んだ。


「ねぇ、それより修治、呼ばなきゃいけないよね? 明日にでも誰かに迎えに行ってもらおうか?」


 麻乃が言った途端、多香子は顔をこわばらせた。


「駄目。麻乃ちゃん、それは駄目よ。シュウちゃんには絶対に内緒にしてちょうだい」


 静かでありながらも、多香子の口調は厳しい。

 思わず市原のほうを振り返ると、市原も首をかしげている。


「多香ちゃん、そうは言っても黙ってるわけにはいかないだろう? 大事なことなんだぞ?」


「そうだよ、修治、絶対に喜ぶよ?」


 多香子は体を起こし、麻乃と市原を交互に見つめた。


「それはもちろんわかってるんだけど……でもね、もうあと数日で大陸に渡るでしょう? 今、余計なことで気持ちを乱したくないの」


「余計なことって……そんなこと、ないよ。余計なわけがないじゃない」


「本当は麻乃ちゃんにも、知られたくなかったのよ……ここに気持ちを残していってほしくないの。だた豊穣の儀だけに集中してほしかった……」


 シーツを握っている多香子の手が、かすかに震えている。

 なにがそんなに不安なのか、麻乃にはまるでわからない。


「一日も早く二人に無事に帰ってきてほしいのよ。こんな話しは、それからでも十分なの。だってね、向こうに行っているあいだのことは、なにもわからないのよ? 私にはなにもできないの。心配なのよ。だからね、無事に帰ってくることだけを考えていてほしいの」


 フッと市原のため息が聞こえ、麻乃は振り返った。

 目が合うと、市原は少しだけ肩をすくめてみせた。

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