第84話 物憂い ~修治 1~

 修治は部屋を出て看護係を呼び、麻乃が着替えを済ませてからあらためて部屋に入った。


「今日ね、明日、熱がさがっていたら戻っていいって、爺ちゃん先生に約束を取りつけたんだ。今朝までのだるさが嘘みたい。体が軽いから、あと一眠りしたら朝には熱がさがっていそうな気がする」


 嬉しそうな表情の麻乃を見て少しホッとしながらも、単刀直入に聞いた。


「おまえ、昨日、なにがあった?」


 麻乃の顔が強張る。


「別になにもないよ」


「嘘をつくな。多香子から聞いた。泣いたんだろうが。なにかあったら俺に言えって言ってあるはずだぞ」


「そのことと、このことは違うもん」


「そのことにこのことか。やっぱりなにかあったんじゃないか」


 麻乃はサッと顔をそむけた。


 また、黙るだろうか?


 うっかり寝てしまったから時間はかけられない。

 放っておいてタイミングを逃したら、もう話しは聞けなくなる。

 一人で解決してくれれば問題ないが、しこりが残ってしまったらまた厄介だ。


 おおよその見当はついている。

 はっきり聞こうが遠回しに聞こうが、どうせ黙るのだろう。

 だったらはっきり聞いたほうが面倒がなくていい。

 修治はそう思った。


「鴇汰となにがあったんだ?」


「なんでよ! どうしてそこで鴇汰の名前が出てくるのさ!」


 当たりだ。

 いつになく麻乃の反応が早い。


「演習場を出ていくときの勢いからして、真っすぐここへ来たに違いない。おまえのこんな状態を見たら放っておくはずもない。泊まり込むまではしないだろうが、いられるかぎりここに残るだろうさ。それがまるで姿を見ない。代わりに盛んに動いているのが穂高だ。鴇汰となにかあっただろうなんてのは、容易に想像できる。喧嘩でもしたか?」


 麻乃はうなだれたまま、じっと一点を見つめている。


「あたしが修治に甘えてるって。見ていてイライラするんだって。やりにくくてしょうがないんだってさ」


「なんなんだそれは? たったそれだけのことか?」


 大ごとかと思ったのが、たったそれだけのことらしい。

 修治が肩透かしを喰らった気分でいるのとは逆に、麻乃は勢いを増した。


「それだけ? あいつ、あたしたちがつき合ってると思ってるんだよ? 馬鹿馬鹿しい……だいたい、あれから何年よ? もう六年もたってるってのに、なんで今さらそんなことを責められなきゃなんないのさ! あいつには、そんな筋合もありやしないのに」


「そんなもん構いやしないだろう? 思いたいやつには勝手に思わせておけばいいじゃないか。本当のことも大切なことも、俺たちがわかっていればそれでいいだろう? 誤解されたところでなんの問題もないだろうが。違うか?」


 両手で髪を掻き上げながら、修治を睨んだ麻乃は泣いていた。


「そうだよ。問題ないよ。なのになんで……自分だって好き放題やってる癖に、どうしていつも、あたしばかりが責められるようなことを言われなきゃなんないの? 柳堀でも昨日も……気に入らないなら構わないでくれりゃいいのに」


 麻乃は声を詰まらせて鼻をすすっている。


(柳堀? なんのことだ? 柳堀でもなにかあったのか?)


 疑問を感じながらも修治はそこにあえて触れず、ティッシュを取ると麻乃の顔をのぞき込み、泣くな、と頬を拭ってやった。


「おまえ、いつからだ?」


「いつからって、なにが?」


「いつから鴇汰に惚れていたんだよ」


 間近で麻乃としっかりと目が合った。

 修治は思わずため息をついた。

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