物憂い
第81話 物憂い ~麻乃 1~
体じゅうの痛みで麻乃は目を覚まし、薬を飲もうと体を起こすと、軽い目眩がした。
まだ熱がさがらないのか、頭がふらつく。
爺ちゃん先生は、熱がさがるまでは絶対に戻ることは許さない、と麻乃に言った。
(こんなんじゃ、いつまでたっても戻れないじゃないか……)
パタッと倒れるようにしてまたうつぶせると、枕もとに置いた資料に手を乗せ、読み返した。
浜には特に変化はないようだ。
諜報の情報も、あの赤い髪の女に関することは、まだなにもあがってきていない。
資料のはしが涙で濡れて波打っている。
このあいだ、思い切り泣いて、もう当分は泣くことなどないと思っていたのに。
(多香子姉さん、変に思っただろうな。きっと心配させちゃったに違いない)
はき出したいモヤモヤが、胸の中でくすぶっているのに、出どころが見つからないでいた。
「あーっ! もう!!」
枕に顔を押しつけて、一人で叫んでみたとき、ドアが開いた。
「なに雄たけびをあげているんだよ」
入ってきた穂高が目を丸くしている。
「あれ? こんな早くにどうしたの?」
「早くはないだろう? もう九時を回ったよ。ずいぶんと深く眠っていたみたいだね。看護の人が何度か様子を見に来たけど、全然起きないって言っていたよ」
体を起こしたその手に、穂高は小さめの水筒を差し出してきた。
「これ、
「チャコから?」
穂高の妻、比佐子は麻乃の一つ年上で、かつては巧の部隊の所属だった。
麻乃とはやけに気が合い、宿舎では部屋が隣同士だったこともあり、親しくしていた。
「比佐子特製の薬膳スープ。解熱に効くんだよ」
「ふうん……でもあたし、今はあまり食欲がないんだよね」
穂高は椅子に腰をおろして言いにくそうに話し始めた。
「実はね、余計なことだと思ったけどさ、演習、麻乃が抜けた穴埋めに、比佐子を入れてもらったんだよ」
「なにそれ? どういうこと?」
「師範のかたの中にも女性がいないし、女手が必要かと思って、修治さんに聞いてみたんだよね。そうしたら麻乃の部隊に女の子がいるって言うだろう?」
「そりゃあ確かにいるけど……」
「修治さんもちょっと困ってる様子だったし……なにより、麻乃に休む時間ができるかと思ったんだ」
「どうしてそんな……気持ちはありがたいけど、本当に余計なことだよ」
「怒るなよ、とりあえず最後まで聞いて。比佐子にも同じことを言われたんだ。麻乃にとっては余計なことだって。だけど、すぐに戻るのは無理だろうから参加する。それで麻乃には、まずは早く熱を下げて、それから演習場に戻ってきな、って伝えてくれってさ。それで来たんだよ」
少し首をかしげると、麻乃は受け取った水筒を見つめた。
「それでこのスープ? でも、チャコが参加してるなら、あたし居場所がない……」
「俺にはよくわからないんだけど、もう一つ伝言があってね。昨夜、女の子には引き継ぎを一回、済ませたって。それから、熱さえさがれば、戻ってからの怪我のことは比佐子が引き受けるから、ってさ。麻乃には、何のことだかわかるかい?」
「引き継ぎ――あっ! そうか! うんうん、わかった。そっかぁ、どうして思い出さなかったんだろう」
麻乃はギュッと水筒を握りしめた。つい、顔がほころんでしまう。
「そうとなったら、食欲がないとか言っていられないね。これを飲んで、ご飯もちゃんと食べて大人しく寝ることにするよ。チャコには面倒かけるけど、よろしく頼むって伝えてよ」
「わかったよ」
急に元気が出た麻乃の様子を見てホッとしたのか、穂高は小さく息をつき、組んだ指先を見つめている。
「それからさ、昨日のことだけど……鴇汰が言ったこと、あまり気にしないでほしいんだ」
勢いよく開けた水筒の蓋がカラカラと音を立てて落ち、穂高がそれを拾って手渡してくれた。
「あいつ、最近ちょっと疲れがたまってるせいか、変に苛立つことがあってさ。あれも本気で思って言っているわけじゃないと思うんだよ」
「どうかな? あんなふうにサラッと言ってのけるんだもん、あれが本音なんだよ」
蓋をカップの替わりにして、まだ熱いスープにそっと口をつけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます