不覚

第68話 不覚 ~麻乃 1~

 四日目の朝、麻乃は深夜から森の中を探り続け、疲れ気味だった。

 隊員たちはどの班も、気配を殺すのがうまくなってきている。

 麻乃と修治は見つけにくい班を選んで探り、ほかの班は師範たちに任せて、追い立てた。


 演習場の雰囲気もざわついた気配が消え始め、初日に比べてかなり変化してきている。

 毎日、攻防を繰り返しているせいで手応えも出てきて追うのも迎え撃つのも楽しみになった。

 女の子たちの様子を時々見に行くと、多少はつらそうだけれど、体調を崩すこともなく、無事にやっているようだ。


 今、気配をおさえて走る麻乃のあとから、どこかの班が追ってきている。

 ほどほどに距離を置いて移動を続けた。

 川沿いのぬかるみが多くて足場の悪い場所をわざと選んで立ち止まると、麻乃は森を振り返った。


 あらわれたのは修治の隊員たちで、何人かは予備隊で顔を合わせたことのある連中だ。

 麻乃の姿に一瞬のためらいを見せたものの、すぐに勢いよく武器を構えた。

 けれど勢いとは裏腹に、粘土質のぬかるみに足もとを取られて、腰の据わらない打ち込みをしてくる。


 想像通りの動きに麻乃は苦笑しながら、次々に打ち倒した。

 これも慣れれば動きのコツをつかんで、もっと踏み込んでくるようになるだろう。

 七人目を倒したところで、突然、森の奥から強い殺気があふれ出してきた。


「ちょっと待て! なにか来る」


 古株の一人が振りおろしてきた刀を避け、その腕を取ると麻乃は意識を集中した。

 残っている三人も殺気に気づき、同じ方向に目を向けている。


「殺気……? 藤川隊長、近づいてきますよ」


「なにかヤバイ。あんたたち、倒れてるやつらを向こうの茂みに運んで! 今すぐ!」


 倒れた隊員を三人が担ぎ上げたとき、黒い塊が木立の陰から飛び出してきた。


「嘘……どうして……?」


 山奥に生息している肉食の猛獣が入り込まないように、演習場は敷地を高いフェンスが廻らせてある。


 それなのに今、麻乃の目の前に泉翔で一番凶暴な牙獣、ガルバスがいる。

 麻乃の倍はありそうな大きな体、低い唸り声を出して身を屈め、今にも飛びかかってきそうだ。


「早く! 早くみんなを!」


 声を抑えて指示をすると、弾かれたように三人は走りだした。

 背後には、まだ四人も倒れ伏している。


 泉翔の男はみんな体が大きい。

 麻乃の身長では担げたところですばやく逃げることも、そのまま戦うこともできない。

 三人が倒れたやつらを助けるまで、一人でガルバスを食い止めなければ。


 武器は演習用の刀だけだ。果たしてこれが通用するのか――?


 麻乃は電流を最大まで上げて構えた。

 緊張で鼓動が速くなり、ジワリと汗がにじむ。

 戻ってきた隊員たちが次の三人を抱えたのと同時に、ガルバスが飛びかかってきた。


「来たっ! 早く連れていけ! それから誰か、信号弾を撃て!」


 目の前まで迫った大きな体に思い切り打ち込むと、バチッと乾いた音とかすかに毛が焦げた臭いが漂う。

 分厚い毛皮で覆われた体には、最大にしても電流が届き難いのか、咆哮ほうこうを上げただけでびくともしない。

 鋭い牙を剥き、麻乃を目がけて突進してきた。


 倒れている隊員から距離を取ろうと横へ走ると、前をふさぐように回り込んでくる。

 とにかく、みんなのほうへ近づけないようにかばいながら動くしかない。

 飛びかかってくるのを避けながら、その背中や腹に次々と打ちつけても効いていないのか弱る様子も逃げるそぶりも見せない。


 こちらの武器に殺傷能力がないことがわかったのか、ガルバスは視線を移した。

 その先には、まだ一人残っている隊員と、それを助けに戻ってきた隊員がいる。


(――まずい!)


 ジャンプをしようと、ガルバスが前足を深く沈めた瞬間を狙って、大きく振りかぶると、その脳天をたたいた。

 ガルバスが声を上げたのと同時に、信号弾が二発あがり、周囲の景色が赤く染まった。


(信号弾があがった! 誰か早く……修治……!)


 今の一撃に怒りを増したのか、ガルバスは麻乃だけに狙いをつけて飛びかかってきた。

 ぬかるみに足を取られ、転げたそばに隊員たちが落とした武器をみつけた。

 それをつかみ取ると、一刀で喰いついてこようとしたガルバスの牙をよけ、もう一刀を喉もとから突き上げた。


 もんどりうって倒れたガルバスは、すぐに起きあがると、大きく長い咆哮を上げた。

 怒りに満ちた獣の目にゾッとして麻乃の手が震える。


 さっき、牙を食い止めたせいで、武器が噛み砕かれて使いものにならなくなった。

 それを投げ捨て、まだ数本、落ちたままになっている武器に飛びついた。

 信号弾はあがったのに、まだ誰も来る気配がない。

 近くに誰もいないんだろうか?

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