第66話 稼働 ~麻乃 5~
手綱を引いて敷地を出るときにすれ違った車から、名前を呼ばれて振り返ると乗っていたのは鴇汰と梁瀬だった。
「麻乃さん、こんな時間にどうしたの?」
「不足してる備品を取りに来たんだ。それと、家の片づけとゴミ出し」
「あ、演習もう始まったんだ?」
「うん、今日からね」
「備品、急ぐんじゃないの? これは僕が先に届けてあげるから、片づけを済ませてきちゃいなよ」
梁瀬はそう言って車から降りてくると、強引に手綱を奪い取りにきた。
「いいよ、急がなくても大丈夫だから」
「まぁまぁ、いいじゃない。今は暇だし、僕も体を動かしたいし。鴇汰さん、麻乃さんを送ってあげてね」
麻乃の返事を待たずに、梁瀬は馬にまたがると駆け出していってしまった。
背後から大きなため息が聞こえ、振り返ると鴇汰がハンドルにうつ伏せている。
その姿にズキンと胸が痛む。
「乗れよ」
そういわれて、また、胸がギュッとなる。
「いいよ。ここから道場まで、そう遠くないし歩いていくよ。そこまで行っちゃえば、あとは馬を借りて戻ればいいだけだから。じゃあね、おやすみ」
振り返るのが怖くて麻乃は一息でそう言うと、速足で歩き出した。
車のドアが開く音がして、麻乃はさらに足を速めると追いかけてきた鴇汰に腕をつかまれた。
「なんで逃げんのよ?」
「別に逃げてなんか……面倒をかけたくないから」
「こんなことくらいで面倒とか迷惑とか俺は思わねーよ! いいから黙って乗っていけって!」
そのまま腕を引っ張られ、助手席に押し込まれると、鴇汰はすぐに車を走らせた。
不機嫌そうに見えるのは、やっぱりこのあいだ、柳掘で言われたことを、なあなあにしているからだろうか?
でもあれに、なにをどう答えたらいいのか、まったくわからない。
答えられるはずもない。
こんなこと、修治には話せないし――。
ふと、市原を思い出した。
(そうだ。今度、市原先生に、さり気なく相談してみようかな……)
一人でいろいろと考えているあいだに、家の前に着いてしまった。
お礼を言って車をおりると、玄関に鍵を差す。
車が走り去る音が聞こえないので、不思議に思って振り返ってみると、すぐ後ろに鴇汰が立っていてドキリとした。
「なに? どうしたの?」
「どうもこうも、おまえを送って、梁瀬さん連れてこないとなんねーじゃん。一人より二人のほうが早いだろ。さっさと片づけちまおうぜ」
「……入るの?」
問いかけに、鴇汰は怪訝な表情で見つめ返してくると、あっ、と声を上げた。
「おまえ、なんか変なもん、置きっ放しか出しっ放しにして出たな? だから演習が始まったばかりなのに片づけなんかしにきたんだろ! やべーだろ? 早く開けろよ!」
「出しっ放しって言うか……多分、まだ大丈夫かな~? って思うんだけど、駄目な気もするかなぁ~? って……」
「いいから早く開けろって!」
せっつかれて、しぶしぶドアを開け、中に入って電気をつけた。
奥の部屋に入り、両親の写真の前に置いたオレンジケーキを見ると、見た目にはおかしな変化はない。
飾った花はしおれてしまっている。
「なんだよ。思ったより奇麗にしてんじゃん。台所にも、なにもないぜ?」
「うん、そっちにはなにも出してないから」
「入っちゃマズイ部屋?」
鴇汰が部屋の前で、そう聞いてきた。
「いや、平気だよ」
中に入ってくると、鴇汰は麻乃の手もとを見た。
「あ、オレンジケーキ? もしかして、このあいだ、柳堀で買ったオレンジ?」
「うん。おクマさんに頼んで焼いてもらったの」
「ふうん……へぇ、麻乃って母親似なんだな」
棚に飾ってある写真と麻乃を交互に見て、一人でうなずいている。
気恥ずかしくて視線を逸らした。
「で、そのケーキは……って聞いちゃマズかったか?」
「ううん。これは二人の好きだったものなんだよね。毎年、おクマさんに焼いてもらって、命日にお供えしてるんだ」
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