2話 少年アル

 7年後、惑星フェルズ。

 その星は無限に広がる宇宙の中で、無数にある寂れた星々の1つだ。

 

 重厚感に溢れた鉛色の曇天が覆う大気、その下には銀色に輝く高層ビルが群がる大きな都市があり、都市の周りにはスラム街が蜘蛛の巣のように広がっている。


 この星はいつも曇っていて汚染されていたが、最初からこうだった訳じゃない。


 未知の発見を求めた開拓者や、ビジネスチャンスを求めた太古の移民達が、後先考えずに環境を破壊し尽くした結果、この星は病人のような空模様になり、垂れ流された有害物質と廃棄物によって汚染された土壌が広がる終末世界ディストピアへと変貌してしまったのだ。


 しかしこんな荒涼とした星でも、時折り晴れた空の割れ目から覗かせる太陽と2つの月は、フェルズに住む人々の数少ない心の拠り所の1つとして知られていた。


「ふぅ――、ふぅ――」


 そんな荘厳さと空虚さを併せ持った空模様の下で、1人の少年がガスマスク越しに息を荒げながら、幾何学模様が刻まれた金属の絶壁を、両手両足につけたマグネットグローブとブーツを使って登っていた。


 少年が今いる位置は、地上から既に200メートル弱の高さまで達している。落ちれば数秒以内に無惨な肉塊になるのは確実であり、実際の所少年の背筋にはうすら寒いものが奔っていた。


「すぅ――はぁ〜……」

 

 ほんの少しのミスで死に至る緊張感から息を荒くしていた少年は、呼吸を整える為に動きを止めてからしっかりと深呼吸をする。


 美味しい空気とはお世辞にも言えないが、マスク越しに無害化された空気は、肺を通って身体の隅々まで酸素が行き渡らせてよどんだ思考を段々とクリアにさせた。


「はぁ……」


 もう一度深呼吸して息を整える。

 激しく自己主張していた心拍は段々と落ち着き始め、身体中を汗が伝い、熱を持った身体が冷えたのを確認してから少年は口を開いた。

 

「すげぇ……ここまで来たかぁ」


 少年は何気なく下を覗き見る。


 白霧はくぶが立ち込めている中で見える土壌汚染で黒くなった地面は、此方を飲み込もうとする奈落の底のようだった。常人ならば恐怖のあまり、その場に縫い付けられたかのように動けなくなっても可笑しくない。

 

「へへ……、待ってろ、よっと!」


 しかしそんな手に汗を握るような状況でありながら、少年――アル・スターライトは余裕そうにほくそ笑む。


 眉までかかる長さをした、深くて濃ゆい青の髪。水色に輝く宝石のような瞳は、キラキラとした夢と希望が宿っている。顔つきは中性的で可愛らしさすら感じるが、男の子らしい勇ましい笑みが似合う14歳の少年だ。


 そんなアルの首には、小さなサファイアが付いたネックレスがかけられており、濁った灰色の雲の隙間から差す日の光がサファイアに当たる度に、「ここにいるよ」と言わんばかりにきらりと光っていた。


 爽やかで神秘性すら感じる見た目したアルだったが、反対に着ている服は非常に見窄らしい。

 所々煤けたような汚れが目立つ鼠色のボロ布をマントのように羽織り、ブカブカであちこちほつれた跡が目立つ灰緑色のツナギのような服装を着込んでいる。


 装いを見れば少年が貧しい生活を送っていると、誰でも分かる見た目だった。


「よし、このまま行けば――」


「アル! 良くも私をシャットダウンしましたね!」


 息を整えたアルが壁登りを再開させようとした瞬間、繊細で透き通るような女性の声が割り込む。声の主はアルのすぐ近くから発せられているようだ。アルは「うげっ」と何やら気まずそうな顔をしながら声がする方に顔を向けた。

 

「お、おはようニナ! 今良いとこなんだ! 後ちょっとで着くからっ!」


 厄介なタイミングで目を覚ましたなと思ったアルは、内心焦燥感を抱いていた。彼女がスヤスヤ寝ている間にさっさと登ってしまおうという、浅はかな作戦は無に帰した。

 

「良いとこ……ですって?」

 

 ニナと呼ばれた声の主が、ボロ布マントからひらりと現れる。まるでクリオネのようなフォルムをした不思議なロボット――ニナは、ふよふよとアルの顔近くを浮いていた。


 耳の小さな猫みたいな形をした頭部には、つぶらな黒い目がディスプレイに映し出されたアニメーションのようにパチクリと動いている。


 まるでマスコットキャラクターのような見た目をしているが、本人曰く高性能かつこの世に1つしかない希少価値のある存在らしい。


 本当に高性能かどうかはさて置き、アルにとってニナは単なるロボットなどではなく、家族同然の大切な大切な存在だ。ニナ自身もアルの事を家族と思っている。だからこそ彼女ニナがアルを心配していたのは、ごく自然な事だった。

 

「私が聞いてたのとは違います! 安心安全なルートを見つけたって言ってたじゃないですか!」


「だから装具も調達して、順調に登れてるじゃん?」


 アルはお説教してくるニナに僅かばかりの反抗心を込めて、ぶーぶーと口を尖らせて反論した。

 しかしこんな反論なんてニナの前では全く無意味だ。


「……登る直前に私をシャットダウンさせて良く言えますね。どう見ても危険だからそうしたんでしょう? 私に注意されたくないから」


「し、心配させたくなかったからだよ! う、うん!」


 小さいボディに似つかわしくない強大な怒気を感じたアルは、慌て弁明する。正直こんな状況下でガミガミ叱られるのはいくらなんでも勘弁して欲しかった。


 気分が落ち込んだ反動で、崖から転がり落ちて死ぬという真似なんか晒したくない。手っ取り早く彼女に落ちついて貰いたいアルは、なけなしの知識を使ってあらゆる策を考える。


(ニナの欲しいものとか、後は何か勉強頑張るとか言えば……。いや、それは後が辛くなるし……)


 アルは危うく墓穴に顔から突っ込む勢いだったが、辛うじて思いとどまる。

 それを察したのかは知らないが、ニナは深いため息を吐くと、観念したかのように言葉を続けた。


「はぁ……もう良いです、改めてアルが言う事聞かない子だと認識しました」


「い、いやー、でも……お宝大事だし」


「命より大事なものはないって教えたでしょう? これ言うの何回目ですか……」

 

 デフォルメされたようなつぶらな瞳を吊り上げて、正論を投げかけるニナ。彼女の意見は全くもって正しいが、アルにはどうしても引き下がれない理由があった。

 

 こればっかりは誰が何を言おうと変えられない。

 アルにとって大事な夢を叶える為に必要な事だからだ。


「でも! この廃棄された宇宙戦艦の中には、高価なお宝が隠されてる、かもしれないんだっ。ここまで来たら引き返す訳にはいかないでしょっ」


 身体を懸命に動かしながら、アルは言った。

 カンカンと軽い音と共にアルは金属の崖――もとい横たわるような形で廃棄された宇宙戦艦の甲板を、重力なんてまるで感じさせない軽やかなステップを刻んで登っていく。


 少し目線をズラせば、同じように廃棄された宇宙船が数多く倒れ込んでいた。この場所に訪れた人は口を揃えて「船の墓場」と呼んでいる。

 

 尤も墓のようにちゃんと弔うような物など無く、野に打ち捨てられて腐っていく動物の死体が幾つもあるような、荒れ果てた場所だった。


「慎重に……!」


「大丈夫、大丈夫!」


 ニナの制止を跳ね除けて、アルはひたすら登り続けた。

 煌く水色の瞳が捉えたのはかっぴらいたハッチのドアだ。幸い経年劣化や腐食といった事が原因で、外から入ることが出来ないといった事態は回避出来た。


「よっ、ほっ!」


 アルは壁を登っているとは全く思えない程軽快な足取りでハッチの中へと入り込む。横向きに倒れこんでるせいで、問題なく通れる筈の通路が奈落の穴になっている可能性を考慮していたアルは、ハッチの先を覆い尽くす暗がりを照らす為にニナを呼びつけた。


「ニナ、下は大丈夫そう?」


「……大丈夫です。どうやら何かの隔壁が出たままなのか、下はそこまで深くないでしょう」


 ニナが目から優しい光を放つと、暗黒に染まった空間に隠れた部屋を暴き出す。長年人が立ち入らなかったせいか、部屋のあちこちが錆びたり拉げていたりなど悽愴せいそうたる状態になっていた。


「よ……っと!」


 アルはハッチの淵に手をかけてぶら下がると、足場が安定してそうな場所を目測で判断してから手を離した。


 ダンッという軽快な音と共に、アルは薄汚れた隔壁の上に降り立つとガスマスクを乱暴に脱ぎ去る。そのまま隔壁の下部に目をやると、何やらパスワードを打ち込む為に備え付けられたパネルが見えた。

 ボタン部分にはかつて文字が書かれた形跡があるが、掠れて読めなくなっていた。


「なるほど、こういったタイプの奴ね」


 予めこういった場面を予想していたアルは、上着にあった大きめな胸ポケットからタブレット端末とケーブルを取り出す。アルはケーブルと端末を接続した後に、接続部分をパネル付近にあった差し込み口に差し込んだ。


 するとパネルの電源が付いて、画面が表示された。

 

「非常用電源でシステム生きてるのかな。へへへ、ラッキー」


 アルは慣れた手つきでタブレット端末を軽く指先で叩くと、8桁の数字が目まぐるしく動く画面が起動した。


「よし……」

 

 数秒ほど経ち、絶え間無く変動していた数値の動きが止まった。ランダム生成された数列が休眠していたシステムの封印を破った瞬間だった。


 ガシュンと空気の抜けるような音が鳴ってドアロックが解除され、久々に息を吹き返したエアロックシステムが静まり返る空間に木霊していく。ガタガタとぎこちなく開いていくドアは、長年放置された弊害で若干建て付けが悪くなっていた。


「よっと!」


 隔壁をこじ開けたアルは一気に飛び降りると、比較的安定した足場に着地する。青い瞳を上へ向けると、船体が横たわっているせいで内部の部屋が全て横向きになっていて、平衡感覚が狂いそうな空間が広がっていた。


「さぁて、どこにある……!」

 

 この先に待ち受けるであろう「お宝」に期待を込めたアルは、投棄された戦艦の死骸の中へと足を進めていった。

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