第16話 優勝候補⑪
ゆらり。
ウサギマスクの殺人鬼が振り返りこちらを見ていた。だらりと下げた両腕。その先には銃が握られている。
さっきまで真波さんだったはずの何か。野生の肉食動物に狙われている感覚。首筋の後ろの産毛がチリチリと逆立つ。アレがヤバいものであると、本能が警告してくる。オレは身をかがめると、隠れていた車の車体に沿って少しずつ後退した。
とにかく逃げなきゃ。まだ距離がある。今のうちに逃げないと。足は速い方だ。今ならまだ間に合う。
でも、みんなは? 由梨は何が起きているのかまだ理解できていないように棒立ちで固まっている。孝子は……? あれ? 孝子がいない。左右を見渡す。いない。もう逃げた?
ボコンッ。
オレの一瞬の迷いを見透かしたかのように、車のボンネットの上に何かが落ちてきた。車の屋根の上を歩いてくる音がする。車体の後方で身をかがめていたオレが音の正体を確かめようと見上げた時、首を
「翔太ぁ~、あ~そ~ぼ~」
ヒィッと、思わず喉から悲鳴が漏れる。
おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。
さっきまでだいぶ先の交差点にいたのに!
「お前がずぅぅぅぅぅっとキッショイ、キッショイ、エロい目で、見てたのわかってたぞぉ~」
銃口がオレにピッタリと定まっている。恐怖で固まってしまって動けない。このままじゃ死ぬ! そう固く目を閉じて死の瞬間を待っていた時、身体を突き飛ばされた。その直後に連続した銃声が響く。目を開けると与太郎さんがいた。
与太郎さんがまた助けてくれたんだ。真波さんは敵だったけど、与太郎さんはオレ達の味方ということでいいのだろうか。もしかしたら彼ならこの豹変した彼女を元の真波さんに戻してくれるかもしれない。
「おい。ヨタロー。てめぇ、また邪魔する気か」
彼女は車の屋根から飛び降りると、今度は与太郎さんに銃口を突き付ける。
そのあとの与太郎さんはまるで手品師のようだった。彼女の銃を両手で掴んで銃口を上に向けたかと思うと、弾の入っているマガジンが地面に落下した。驚いた彼女がもう片方の銃を彼に向けたが、同じくマガジン部分を魔法のように外してしまったのだ。
「この前は俺が悪かったから、甘んじて受けたけど。マナミさん、銃の持ち方、直した方がいいよ」
なんの話をしてるのか全くわからない。だけど、いつものヘラヘラと笑っている与太郎さんではなかった。銃が使い物にならなくなった真波さんは、それらを投げ捨てると、今度は与太郎さんの首を絞めようとしたが、それも手首をつかまれて阻止されてしまった。
それから、与太郎さんは真波さんを車体に押さえつけると、彼女だけに聞こえるように何かを耳元で囁く。すると、彼女は急に大人しくなった。
やっぱり与太郎さんはスゴイ人なんだ。地面に尻餅をついたままになっていたオレは危機が去ったことを喜んで、立ち上がると尻の埃を叩いて落とす。
それから……こちらを振り向いた与太郎さんにお礼を言おうとして……
ドン。ドン。
あれ? なんだろう? 胸を突き飛ばされたような衝撃で、せっかく立ち上がったのに、また仰向けて倒れてしまった。急激に視野が狭まっていく。
真っ暗闇になる前に見たオレを見下ろす与太郎さんの顔。彼の口元はまた何故か「ごめんね」と言っていた。
◇◇◇
俺、さすがに怒ってる。なにあれ公開浮気宣言ですか。
倒れた翔太くんのイケメン
空になったマガジンを外して、新しいものに交換し、スライドを引いて初弾を装填する。翔太くんをぶち殺してからずっと由梨ちゃんの悲鳴がウルサイ。俺は振り返って、由梨ちゃんに照準を合わせると、二発撃ちこんで黙らせた。確実に殺したいなら、ダブルタップは基本だね。
あれ? 孝子ちゃん、どこに行ったんだろう。ま、いっか。あの子はずっともの静かで控えめで良い子だった。全員見捨ててでも逃げるって素早く判断したのも好感がもてる。俺は中継ドローンに耳を指で叩いて、「インカムちょうだい」と本部に向けてハンドサインを送った。
俺の職名ステータスもジャジャ・ラビットの復職に合わせて、
「もうッ! ヨタ君、酷いッ!」
ウサギマスクを地面に叩きつけたマナミさんが何か怒ってるけど、俺だって怒ってるし、今回は譲らないもんね。俺はプイっと顔を彼女から背ける。
「イジワルッ!」
マナミさんは「ウー」と唸って、怒った顔で目に涙を溜めていた。やっべぇ。超エロ。可愛い。でもまだ許しませーん。
さっき押さえつけた時に、俺は彼女の耳から
「浮気してんの、どっちだよ」
図星だったんだろう。急に大人しくなった彼女を見て、俺の怒りは沸点に達してしまって、それで翔太くんをブチ殺してやったってわけ。
結局、マナミさんは翔太くんのことを殺したくて、殺したくて、ずっーとウズウズしてたのだ。おそらく初めにタチバナさんから彼の写真を見せられた時から、ずっと。俺には「他の奴に殺されるな」とか言ってた癖に、自分はずっと他の男を殺したがってたとか、ほんと腹立つ。
俺にここんところベタベタしてたのだって、罪悪感からだろう。彼女の
「違うもん! 浮気なんかしてない……」
彼女の説得力のない言葉にイラっとして、思わずまた車に彼女を押さえつけた。次に、俺達の周りを先ほどから近距離で飛んでる中継用のカメラドローンを撃ち落とす。ハンドガンの片手撃ちでも当たったので、俺やっぱ才能あるかも、と全然関係のないことを考えた。
マナミさんが身をよじって俺の手から逃げ出そうとするから、逃がさないように手に力を込める。そして、膝で彼女の閉じた太股をこじ開けると、スカートの中に手を入れた。案の定の状態で、俺はイライラしながら手を引き抜いた。
「翔太くん殺すの嬉しすぎて、殺す前からこんなんなってんのに?」
俺の指摘に顔を真っ赤にした彼女は、自由な方の手でミニスカートの裾を必死に抑えている。
「だから、それ違うの!」
「なにが違うの?」
さすがに、ムッとして言い返した。
「……だから……その……元々、殺すからって濡れたりしてたわけじゃないの……」
「はぁ?」
何言ってんの。散々、俺のこと殺して欲情してたじゃん。
「……その……もう……ほんとヤダ。ヨタ君、イジワル……」
意味わかんね。俺は呆れて、彼女から身体を離した。
「もういいや」
俺がそう言い放って、踵を返そうとしたら、彼女は慌てて俺の服を掴んできた。
「ヤダッ! ちゃんと言うから、待って……お願いだから」
顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしながらも、そう引き留められて、まぁ悪い気はしない。やっぱマナミさん、可愛いしエロいし。彼女が「耳貸して」と服を引っ張ってせがむので、仕方なく小柄な彼女の身長に合わせて俺は頭を下げた。
「……人殺しは大好きだけど、本当に元々殺しに快感を得てたわけじゃなくて、それにエッチするのも別に好きじゃなかったの」
耳元で小声でそう話す彼女を横目で見ると、今にも泣きそうな顔をしていた。彼女の話し始めた言い訳内容については反証したい点がたくさんあったけど、このエロい泣き顔に免じて黙って続きを聞くことにした。
「でもヨタ君、いつも全部まとめて与えてくれるから、だんだん……その……殺しのこと考えると……えっと……ヨタ君とエッチするの……期待するようになってて……だから……」
ポクポクポク、と脳内で木魚が響く。つまり、今までは「殺し→楽しい!」ってだけだったけど、俺と付き合うようになってからは「殺し→エッチ→気持ちいい」に変わったってことか? いやいやいや、俺は騙されないぞ。
「でも翔太くんのことは、ずっと殺したくて仕方なかったんだよね?」
彼女はキョトンとして、首を傾げた。
「別に彼に限らず、いつでもどこでも誰でも殺したいよ。確かにあの人のことは、ずっとチラチラ見てきたり、隙あらば触ろうとしてきて、キッショとは思ってたけど」
ん? なんか、もうよくわからなくなってきたな。じゃあ、俺は何にこんなに怒ってたんだろ? もしかして、翔太くんブチ殺したの早合点だったのかな?
改めて翔太くんの顔の潰れた死体を見る。やっぱ、ちょっと心が晴れ晴れである。ま、これはこれでいいか。たぶん俺、彼のこと嫌いだったんだろうな。うん。
マナミさんの方へ顔を戻すと、彼女は不安そうに俺を見上げていた。なんか負けた気がするけど、まぁいっか。俺は彼女を抱きしめた。
「もう怒ってない?」
胸の中で彼女がそう聞いてくる。
「マナミさんの中で、俺は特別?」
俺が質問に質問で返すと、彼女はギュッと抱きしめ返してきてくれた。
「うん。ヨタ君のこと、大好き」
もう仕事サボって、このまま部屋でイチャイチャしたいなぁ。
俺はワンチャン、タチバナさんに「午後休、申請したいです」とスマホで送信する。タチバナさんから秒で返事が来た。
『ふざけんな。最後まで働け』
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