第49話 王女からの伝言


「ほら飲め。少しは落ち着くぞ」


 セリオスはそう言って、ホカホカと湯気の立つバター茶のカップを、エルマの手に押しつけた。


 マイラム竜導師長の執務室で、エルマは長椅子の上で毛布にくるまっていた。彼女の向かい側には、困り顔のマイラムが座っている。

 セリオスは、マイラムと自分の前にもバター茶のカップを置くと、一人掛けの椅子に腰を下ろした。


 エルマは、どうやってこの部屋まで来たのか覚えていなかった。自分で歩いてきたのか、それともセリオスに担がれて来たのかすらわからない。

 サリールの魔の手からセリオスが助けてくれたことは覚えているけれど、その後のことは記憶の彼方に飛んでいる。


 とにかく恐ろしくて、今もまだ体がガクガク震えている。

 見かねたマイラムが毛布を掛けてくれたが、それでもエルマの震えは止まらなかった。


「それで────エルマをさらおうとした怪しい男というのは、黒マントに銀髪の若い男で間違いないのかね?」


「はい。竜導師長様は、もしやあの男をご存じなのですか?」


 セリオスの問いかけに、マイラムはため息とともに「あぁ」と頷いた。


「その男は……ユルドゥス王弟殿下の竜導師、サリールで間違いないだろう。殿下はつい先日まで東方諸国を漫遊されていた。サリールとはその折に知り合ったらしい」


「東方諸国を漫遊? では、あいつは、素性もわからぬ市井しせいの者なのですか?」


「我らにとっては素性の分からぬ男だが、殿下はきっとご存知なのだろう。ああ、セリオスは知らないだろうが、殿下はとても気まぐれな方でな。身分を問わず、気に入った者を召し抱えることがよくあるのだ」


 マイラムが困ったように眉尻を下げているのとは対照的に、セリオスは怒ったように眉を吊り上げている。


「そんな! 東国で出会ったのなら、他国の息がかかっている可能性だってあるでしょう! 王弟という立場のお方が、そんな者を気軽に傍に置くなんて、アズールではとてもじゃないが考えられません!」


「セリオス……どうしたのだ? いつも冷静な君らしくないぞ」


 マイラムにそう問われて、セリオスの眉間はますます険しくなった。


「竜導師長様。あの男は、本当に竜導師ですか? 魔道士ではないのですか? エルマが攫われそうになった時、彼女は叫んでいました。なのに、誰一人として廊下に出て来なかった。音を遮るか、誰にも気づかれぬような魔道が掛けられていたのではないか。そう思ってしまうほど、俺には不自然に思えました。それに……俺が剣で斬りつけても、あいつは一滴の血も流さなかった!」


「な……んだと?」


 セリオスの言葉に、マイラムは愕然とした。

 それは毛布をかぶりブルブル震えながら話を聞いていたエルマも同じだったけれど、セリオスもサリールに魔道の気配を感じたのだと知って、少しホッとした部分もあった。


(やっぱり、あの風は魔道だったんだ……)



 ルース王国に魔道士はいない。そもそも大多数の王国民は、魔道というものがどんなものかもよく知らないのだ。

 東国の大きな町には、占いやまじないを生業とする下位の魔道士もちらほらいると聞くが、この国では聞いた事もない。

 魔道に一番近い力を持つ竜導師のマイラムでさえ、魔道に関しての知識は浅い。



「────セリオス。今の話、誰かに話したか?」

「いいえ。そもそも、ここに来るまで誰にも会いませんでしたから」


 きっぱりと言い切るセリオスを見て、マイラムは大きく息を吐いた。


「実はな……朝一番に、王女殿下の侍女が私を訪ねて来た。その侍女は、エルマに護衛をつけて欲しいという王女殿下の言葉を伝えに来た。理由は言わなかったが、護衛にはベックが適任だろうと言っていた。

 この近衛府には、エルマに反感を持つ者がいる。侍女の話を聞いた時は、そういう者たちからエルマを守りたいのだろうと思っていたのだが……もしかしたら別の意味があったのかも知れん」


「それは……王女殿下も、魔道に気づいている、という事ですか?」

「さすがにそれはわからぬよ」


 マイラムは頭を抱えてため息をつくと、いつもの厳めしい顔でセリオスを見つめた。


「セリオス。きみはエルマを助けてくれた。だから王女殿下の話をしたが……この話は、きみの心の中だけに留めておいてくれないか?」


 マイラムの言葉を聞いたセリオスは、一瞬、傷ついたような表情を浮かべた。


「俺は……確かに、アズールの人間ですが、俺はこの国の内情を探りに来たんじゃない。操竜術を学びに来たんです。飛竜テュールのことだってそうだ! 俺は、ここで得た情報を、許可なく自国の者に流したりなどしません!」


 初めは冷静に言葉を選んでいたセリオスだが、その口調はだんだん激しくなっていった。


(なんだか……泣いてるみたい)


 マイラムに不満をぶつけるセリオスを見て、エルマは何故かそう思った。


「……すみません。竜導師長様のご心配はもっともなのに」


「いや、きみを疑っている訳じゃない。だからこそ、飛竜テュールに関する質問も私の一存で許可したのだ。ただ……何というか、私も近衛府の人間なのだ。国を守る責任がある」


「それは、もちろん、わかります」


「エルマがこんな状態だから、飛竜テュールの話はまた日を改めるとして……セリオス、ひとつ頼まれてくれないか? ベックを呼びに行って欲しい」


「ベックを……」


 不意に、セリオスがエルマに振り返った。

 ちょうどセリオスの方を見ていたエルマは、思わず飛び上がりそうになるほど心臓が跳ねた。

 青灰色の瞳はいつものように冷ややかで鋭いのに、なぜか、とても淋しそうだった。


「それは、構いませんが……ベックに護衛を頼むのなら、サリールの話もしておいた方が良いのでは? 俺もベックと一緒に、ここへ戻って来ても良いですか?」


「あ、ああ。もちろん」

「では、ベックを呼びに行ってきます」


 セリオスは立ち上がると、今度はエルマには目もくれずに、颯爽と部屋を出て行った。



「エルマ、震えがおさまったのか?」

「へぁ?」


 マイラムに声をかけられて、エルマはハッとした。

 毛布を握りしめた両手を見てみると、確かに震えは止まっている。


「ほんとだ、治りました!」


 エルマは嬉しそうにマイラムに笑顔を向けると、借りていた毛布を膝の上で折り畳み始めた。

 そんな彼女を見守るマイラムの瞳は、困惑の表情を浮かべたままだ。


「実は……さっきは言わなかったが、『王女様の伝言』には続きがあるんだ。

昨日の品評会で、黒く煤けた竜目石があったろう? あの竜目石が黒く変色する前、サリールがテーブルの前に立っていたそうだ。ヌーラ本人が見たと言っていた」


「えっ……」


 エルマはビクッと肩を震わせた。

 ようやく恐怖が薄れはじめたというのに、サリールの顔を思い出した途端に恐怖が蘇ってくる。


「それって、まさか……」


 エルマは何かを探すように視線を彷徨わせ、マイラムの執務机の上に目を止めた。

 無造作に置かれた羊毛布フエルトの塊。昨日、ハリムから預かった竜目石だ。


 サリールが魔道か何かで竜目石を黒くしたのなら、このまま、ただ怯えていてはいけない。

 エルマはグッと拳を握りしめてマイラムを見た。


「あのっ……竜導師長さま! あの竜目石、もう一度拭いてみても良いですか?」


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