英雄死亡説
イチ
1章 物語の始まりは謎めいた雰囲気に限る
第1話 目覚め
佐賀は目を覚ます。眩しい、と思う。
パサパサ——
動くと、新聞紙が擦れる音がする。数枚、床に落ちる。
ああ、痛い。
とりあえず首が痛いのだが、最も痛いのは目だ。干乾びた目に、見上げる天井の照明が痛すぎる。できるだけそれが目に入らないよう、佐賀は強く目を閉じる。
目が痛い。
首も痛い。
そしてまだ眠い。
佐賀がもぞもぞと態勢を変え、見つけた横向きのいい姿勢でまたまどろみに入ると、刹那、僅かに目覚めていた思考の部分で、「なぜ照明が点いているのか」ということを思った。
——ああ、気持ちいい。
——あと十分寝たい。
——照明が明るい。
——どこだここ。
「おはようございます」
女性の声が聞こえて来て、佐賀の身体はビク、と動く。それでパイプ椅子に右肘をぶつけて、ジーンと電気が走った。
「ああ。おはよう」
目を閉じてぶつけた箇所をさすりながら、平然と佐賀は言う。ああ、ここは図書館だったな、と思考が二秒ほどして佐賀は思い出す。寝てしまったのだ。
女性は受付カウンターの中に入り、バッグを置いてコートを脱いだ。その間にも、テキパキと備え付けのパソコンの電源を入れている。無駄のない動作だ。
「九時までには出て行くようにしてください。開館の時間なので」
椅子に座った女性は、パソコンが起動するまでの時間のついでみたいに佐賀にそう言った。
「ああ、分かった」
佐賀はそう言って起き上がると、床に落ちたいくつかの新聞紙を拾って机に置いた。カウンターの上に掛けてある時計をチラ、と見ると、時刻はまだ七時前だった。
「いいですよ、開館前には起こしますので」
佐賀の時計への視線を察してか、女性は佐賀にそう言う。
「いや、もういいんだ。それより、君はそこで何をしているんだい」
佐賀は右肘をさすりながら、女性にそう聞く。見た目、同じぐらいの歳の女性だ。
「司書ですから。それよりその新聞、あとでちゃんと返してください」
女性は短くそう言って、そこでようやくパソコンが立ち上がったのか、キーボードと画面に向き合い始める。メガネには白い長方形が二つ、レンズに映っている。
「司書か。司書がパソコンを使うのかい」
拾った新聞を重ねて折りたたみながら、佐賀は女性にそう聞く。「ラーメン屋さんでも使いますよ」と女性は答え、「あとそれ、もう少し綺麗にたたんでください。倉庫に保管するときに嵩張ってしまうので」と続けた。
「いまどきのラーメン屋はあなどれない」
「そうですね。あと、重ねるときはページ番号が並ぶようにしてください」
女性は佐賀とキーボードを見ず、画面だけを見てカタカタと指を動かしている。佐賀は折りたたんでいた途中の新聞紙を大きく机に広げて、言われた通りペラペラとめくって入れ替え始めた。
「残業みたいなものですよ」
それで女性は佐賀に、おまけのお菓子をあげるみたいに言った。
「勤務前の残業かい」
「変ですね。何でしょう。前業?」
「『ざん』と『ぜん』じゃ順序が逆だぜ。ざ行では」
「よく噛みませんね。でも『ざん』より前のものはないですよ、ざぎょう、では」
ざぎょう、と口の動きを大きくして女性は言う。
「本当だ。じゃあそういうときは根本を見直すのが大事なんだ。そもそもそれは残業なのかどうか」
言って佐賀は席を立ち、カウンターの中へ歩いて行こうとした。すると、
「ダメです。これは見られてはいけないことになってるので」
女性はそう言って、カチ、カチ、とマウスを操作する。こちらからは分からないが、開いていたファイルを閉じるような、そんな所作に思えた。
——そんなに秘密の作業なのか?
テキトーに画面を覗いて「なるほどこれは確かに残業だ」くらいに言ってやろうと思っていた佐賀は、
「政治屋の会食以外に覗いちゃいけない場所がまさか図書館にあったとは」
そう言って、女性の座るカウンターから斜め向かいに置いてある荷物置き用の台に、足を組んで座った。
「もっとありますよ、マスコットの中とか、試着室とか」
斜め前から見てくる佐賀に対して、女性は貫徹して画面から目を動かさずそう答える。
——が、
「それより、あなたは何をしているんですか」
チラ、と視線が佐賀にやられた。近くで見てみると、射抜く、そういう強い目をしていた。
「俺は絵師だぜ。絵を描いてる」
「えっと、質問を聞いてましたか」
「ああ、聞いてた。俺は、絵を描いてるんだ」
「ワ、アユドゥーイン?」
「アイムドゥローインナウ」
「英語も通じないみたいですね」
「芸術家は話が通じないんだ」
「それは納得です」
女性は口先で話しながら、手元ではマウスを操作している。
「でも私が聞いているのは、なんでここに居るんですか、ということです」
「ああ、だろうね」
佐賀は、昨日の昼からあの席でずっと浮世絵の本を読んでいたこと、読んでいると寝てしまったこと。次に目を覚ましたのは真っ暗な深夜だったことを話した。
「それで、ここで寝泊まりした、と」
女性はペタ、とラベルを張るようにして言った。
「ああ、もう扉が閉まっていたからね」
「扉は開けておいたんですけどね」
「うん?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます