8

「あまり情をかけすぎると、変なものに取り憑かれちゃうかもよ」


 立ち上がる私に、藍之介が薔薇のような唇を細め、言う。


「変なものって、何?」

「例えば……」


 藍之介の言葉の動きに合わせ、辺りが明滅した。


「鬼……とか?」


 どこかで神の怒りのような地鳴りがする。

 テーブルに頬杖をつき、私を映すその瞳は何かを見透かしたような色をしていた。

 やがて訪れた腹の底に響くような轟音に、びくりと身体を揺らし我に返る。


 いつの間に雨が降っていたのだろう。

 小さな傷の目立つガラス越しには、細かな水の粒が風に靡き地面に舞い降りていた。


 突然の雷と天候の変化に一瞬驚いた。

 けれどたまにある通り雨だろうと落ち着き直すと、窓から藍之介に視線を戻した。


「あはは、やだなぁ、そんなことあるわけないって、そもそも鬼なんか本当にいるはずないんだから」

「……だといいけど」


 藍之介はたたんだノートパソコンと文庫本を重ね小脇に抱えると、出入り口へと向かった。


「今日は帰るよ、なにかあればまた連絡をちょうだい、明日は家庭教師のアルバイトがあるけど」

「忙しいのにいつもありがとう……傘は?」

「いいよ、すぐそこなんだから」


 銀色の傘立てに収まるビニール製のそれを勧めたけれど、藍之介は軽く笑いながら「じゃあまたね」と言い開けたドアから小走りに帰って行った。

 ほのかな街灯がともる道を越えて、向かい側にある小さな本屋さんに到着する後ろ姿。

 しばらくぼんやりと藍之介を見送っていた私は、小雨の中で佇む看板をしまおうと店から出た。

 プラスチックでできた長方形のそれに、中腰になり手を添える。中に電球が入っていて、下に小さなタイヤがついているやつだ。

 だいぶ黄ばんできたし、本当は買い替えた方がいいんだろうな。

 そんなことを思いながら店内に引き込もうとした時だった。

 

 しくしく、しくしく、と。

 しゃくり上げるような、小さな子供が泣くような音が聞こえた。

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