二人の日常

「おい弟子よ」

「はい?」

「普通の魔法使いの仕事を見に行かないか」

「え?」


冷房の効いた部屋で先日作った新しいレシピのメモを取っていると、自室から出てきたラズさんが突然そんなことを言った。

普通の魔法使いの仕事とはどういう意味だろうか。確か、魔法使いの仕事は階級によって受けられる任務の幅は変わるものの、基本的には魔獣の駆除と治安維持活動が主だったはずだが。

真意がいまいち掴めず、はた、と呆ける私にラズさんはニヤリと笑って続ける。


「お前って平均的な魔法使いがどんだけ苦労して魔獣を狩るかまだ知らないだろ?どんなことでも平均と最高を知っておくのは大事だ」

「あー...」


確かに平均を知るのは大切だ。

私とてそれは他人事ではなく、魔法を学び始めた最初期は平均を知らないがために詰め込んでしまってラズさんに止められた。

あれに関しては平均を知らなかった事が理由の全てではないものの、間違いなく一枚噛んでいるし、他の理由の根底にそれがあると言っても過言じゃない。

故に、平均の大切さは身に沁みて感じているのだが、それはそれとして私には同年代で魔法を学ぶ友人がいるのだ。

フェリアは魔法を学び始めて一年と半年程らしいが大体私と同じくらいかほんのちょっとできないぐらいなので、基準はその辺りだと目星をつけている。

平均を知らないわけじゃないんだよなー、なんて考えつつ、しかしフェリアは学生であるため正式な魔法使いとはまた別だろうと結論付け、最終的にはお誘いに乗っかることにした。といってもラズさんからのお誘いを断る気は毛頭なく、ただその心構えをどうしようか、と考えていただけだが。


「そうですね。行きましょうか」

「三日後にそこそこ大規模な魔獣駆除があるらしいからそれに行くか。北の国境付近らしいから向こうの国の特産品とか売ってるかもな」

「...半分観光気分じゃないですか?」


西区での出来事を思い出しながら胡乱な視線を送ると、ラズさんは「半分も何も仕事で行くわけじゃないからなぁ...」と開き直り、「まぁ」と続ける。


「ぶっちゃけると最近俺もお前もあんま外出てないだろ?たまにはいいかと思って」

「おぉ...!」


あの出不精のラズさんが健康に気を使って自ら外に...!

私がきらきらと目を輝かせてラズさんの方を見ると、当の本人は居心地が悪そうに頭をがしがしと掻いた。


「今月入ってからはほとんど家を出てませんしね。にしてもあの師匠が自らお出かけの提案とな...」

「引きこもってんのはお前もだろうが。つーかどっちかって言ったらお前を心配してだなぁ...」

「私は師匠と違ってぽつぽつ外出してますよ?それにもう少し後にはフェリアとお買い物もする予定です」

「俺だって仕事あったら出るっての」

「あら、今月は未だないようですけどお忘れですか?」

「あ...」


恐らく頭の中のカレンダーを捲ったのだろう。

なんだかんだとだらだら過ごすうちに日付感覚がおかしくなったらしく、今月に入ってからまだ一度も仕事が来ていない事実に今気づいたらしい。

ラズさんはチッと舌打ちをした後、ソファに座っていた私の隣にどかりと腰を下ろした。


「最近お仕事さぼりすぎじゃないです?」

「いいんだよ、俺が仕事するってことはそんだけ危ない事になってるってことなんだから」

「まぁ、確かに」


ラズさんは基本的にすべての事案に対して対応できるが、だからこそ最終兵器というか、国としては奥の手のような扱いをしているようだ。

それに、ここからは推測になるが、依然聞いたギフテッドと王家の関係から見るに、ラズさんに頼りきりになってギフテッドの権力が上がるのを防いでいるのだろう。

ギフテッドが欲しいと言えば国を渡さなければいけない立場の王家側からすれば、なるだけギフテッド以外の力を使って諸問題に対処したいはずだ。


「よし...と」


つらつらと考えながらも並行してレシピのメモを書き終えると横からラズさんの首がぬうっと伸びてきた。


「なんこれ」

「レシピの手帳です。たまにすっぽり忘れてるレシピがあったりするのでメモすることにしてんですよ」

「へぇ、まめだねぇ...師匠ポイントってなんだ」

「基本的には師匠のためにご飯作ってるんですから大事でしょう?」

「ま、まぁ...?」


レシピ帳には作り方の他に、味の概要やどんな季節に合うかなどを書いているのだが、ふと思い立って師匠ポイントを追加したのだ。

ラズさん以外に作ることはほぼ無いし、ラズさんの好みかどうかというのは私の料理においては非常に重要な要素である。

それにラズさんは味覚が鋭いので、ラズさんが気に入っている物は余程好みから外れていない限り、他の人に出しても喜ばれるだろうという信頼の証でもある。

ラズさんが好奇心に若干の悪戯心を混ぜた瞳で「ちょっと見ていい?」訊いてきたので、隠すものでもないと手帳を渡すとラズさんはさながらおもちゃを貰った子供の様にかんばせを躍らせた。


―時たま凄く幼くなるの可愛いなぁ...


「ほぇー............ってお前、俺の好み分かりすぎてない?」

「あぁ合ってました?なら良かったです」


表面上は何でもないような振りをしつつも、その実、心の中で思い切りガッツポーズをしている私に、ラズさんは関心を通り越して最早畏怖の域といった具合の視線を送ってくる。

その見開かれた美しい瞳には”何故”の二文字がありありと書かれている。

この際だし、言って無い方の特性も教えてしまおうか。


「あー、言って無かったんですが、私共感覚があって...それだけだったらまだ分かるんですけど、何故か聴覚情報にも適応されてるんですよね。なのでラズさんが”美味い”って言う声音でどのぐらい気に入ってくれたのかが結構詳細にわかるというか...」


隠していたと言う訳ではないが、言うタイミングが無かったうえに、この説明をすると毎度何とも言えない問答をしていたのでそれが面倒だった。

それに、何でも感情が分かるというよりは、皆が勘と経験で判断している他人の感情を私は色で判断しているというだけなので些事と言えば些事なのだ。

おずおずと明かされた事実に、ラズさんは少しずつ目を見開き、その後何故か赤面した。


「...分かるってのはどんぐらい分かるんだ?隠してても分かる感じ?」

「いえ、表面に出された色がほとんどで、そこに真意が混ざる感じですね。あくまでメインは表面上の物なので映し出された色が絶対に正しいってわけじゃないですし、色を見たって『何だこの色』ってなる事もままあります」

「あぁ、そう...」


そんな万能なものじゃないと言うと、ラズさんは安心したようにそっと胸をなでおろした。

正に『何だこの色』、となってラズさんを伺うと、「いや、何でも」とそっぽを向いてしまう。まぁ悪い感じではないし、いいか。


―私たちの間に生ぬるい沈黙が流れる。

私は案外この時間が好きだ。

二人で、何もするんでもなく、ただ、お互いの存在を共有する。

何より落ち着くし、心が癒えていく。

私は、この静寂が好きだ。

少し睡魔を覚えて隣のラズさんにぽふりと凭れると、最初こそびくりと体を固くしたもののすぐに脱力して、ほんの少しだけこちら側に体重をかけてくる。

最近はこうして触れ合う事が多くなった。

この時間、私はもっぱらラズさんの事を考えているが、ラズさんは何を考えているのだろうか。


―ラズさんも私の事を考えてくれてるかな。


そんな淡い希望が泡のように浮かび、弾けたところで私は意識を手放した。


―――――


隣からすうすうと愛らしい寝息が聞こえてきて、俺は勢いよく振り返った。

この馬鹿は眠いと感じたその瞬間から寝ることが出来る体質らしく、時々こうして俺に頭を預けては驚くほどの速度で寝入り、部屋に放り投げられている。

家事全般を何でもこなす上に精神面でも相当成熟しているため、普段は年下と話している感覚があまりないのだが、ふとした時に今回の様な幼い姿を見せてくるのが最近の俺には少しばかり心臓に悪い。

窓から差し込む陽光を浴びてきらきらと光る白髪を撫でると、途端に顔がへにゃりと蕩けて、甘える様に肩に頬擦りをしてくる。

何故こいつはこうも信頼で満ち満ちているんだろうか。

確かに死にかけてた所を助けたのは事実だし、魔法もしっかり教えてはいる。

...だからと言ってこんなゆるゆるになるもんなのか?

こいつの真っ直ぐさに思う所が無い訳ではない。

こいつの強かさに思う所が無い訳ではない。

こいつの愛らしさに思う所が無い訳ではない。

ただ、考えないようにしているだけだ。

自分でも分かっている。

少しずつ、けれど確実に自分が惹かれている事を。

けれど俺はその思考を続けることは、結論を出してしまうことは許されない。

今は未だ対等じゃない。

俺は肩をなるだけ動かさないように、ため息をついた。


「なるだけ早く一人前になってくれ」




未だ、ラズの心労は絶えない。

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