特訓とラーメン

練習場に来た私たちは少しの間話した後、魔法の特訓を始めた。

最近の練習は少し前の物に比べてより実践的になっていて、ラズさんが私の対応できるギリギリの威力とスピードで魔法を放つのを私が必死こいて捌く、と言うものだ。

特筆することはあるまい。言うまでも無く死ぬほどキツイ。

ラズさんは魔力に関しての感受性が非常に高いためラズさんの出してくる「ギリギリ」は本来眠っているはずの潜在能力を叩き起こした上のギリギリになる。

毎度どれかに当たるのではと冷や冷やしているが、今の所気合で何とかなっている。

しかし特訓がきつい分、実力の伸び方は自分でも目を見張るものがあった。

前述した通り本当に実力ギリギリを維持することになるので今まで一拍置いていた行動や無駄な思考が無理やり引きはがされていき、それはもうとんでもない勢いで成長するのだ。

幾度となく繰り返すがこの特訓は本当にキツイ。

しかし、それでも尚私がこの特訓に辟易していないのはそれと見合うだけ実力が伸びているからであり、ラズさんの様になりたいという思いも相まって最近ではこの打ち合いを楽しんでいる自分もいた。


今日も今日とて爆音と閃光に包まれながら魔法を撃ちあっていると不意にラズさんが魔法を撃ち止めた。

はた、と呆けていると「しゅーーごーー」と何とも気の抜ける声が室内に響き渡る。

こつこつと駆け寄るとラズさんがどかっと腰を下ろしたので私もそれに倣って正面に座った。


「こりゃあ多分癖なんだろうが...。お前、魔法を見てからの思考回路はどんな感じ?」

「思考回路...ですか?」


思考回路と言われても魔法の属性を判断して、同量の魔力を練る、ぐらいしか考えてない。

訊かれている事の真意がつかめず首をひねる私に「推測だけど」と前置きをしてラズさんは続けた。


「多分、当たり前の様に属性の判断してから魔力量の計測をやってるだろ」

「え?は、はい...」


何かおかしかっただろうかと思い虚を突かれているとやっぱりと言わんばかりにラズさんは頷く。


「それなぁ、一概に良いとは言えないんだなぁ。確かに効率だけ求めるならそれが正しいんだが、対人で魔法を撃ち合うとなるとそうもいかないわけ」

「えぇ!?」

「魔力の判断を先にやった方がいい、っていうよりか特例の場合は属性の判断をしない方がいい。ってのも、障壁で複数の魔法をいっぺんに防ぐ時だな」

「あぁ、なるほど」


確かに障壁を用いて魔法を受けるのならば属性は考える分だけ脳のリソースが無駄になる。

しかし本で読んだ知識によれば攻撃魔法に対しては反属性を同速同量逆方向にぶつけるのが最高効率で、魔法障壁による防御は効率が圧倒的に悪くインスタントな戦闘には向かないはずだ。

首を捻り、疑問を口に出そうとするとラズさんが先に喋り始めた。


「まぁ、お前の言いたいことも分かる。障壁による防御は確かに効率が悪い」


―この頃ラズさんは私の思考を読みすぎだと思うの。


話の腰を折るわけにはいかないので言葉はぐっと飲みこんだが、今の私は文字通りもの言いたげな顔をしている事だろう。


「でも考えてもみろ。俺らに効率って必要か?」

「......俺”ら”?」

「なんだ忘れたのか?魔力量なら俺よりお前の方が多いからな?」

「い、いやそうかもしれませんけど...」


魔力量が多いといってもそれを使いこなせなければ意味がない。

底なしの魔力を持っておきながら魔力を使わず身を削っていた私が言うのだからその説得力たるやといったところだろう。

確かに効率を考えて脳のリソースを取られるより、自分の強みを生かして効率は捨て去ってしまうのも一つの手かもしれない。


「こういうほんのちょっとのアドバンテージが対人だと重要になってくるんだよ。魔獣相手なら遠くからぶっ放すだけでいいけど、その類の連中と交戦するときは必ずしもこっちが万全の状態とは限らないからな。自分を巻きこまないように戦うとなるとどうしても小手先が必要だから覚えとけ」

「わかりました」


これがラズさんが昔言っていた『経験からくる参考書には書かないような知識』というものなのだろうか。

いまいち自分が特訓以外で人に魔法を使うところが想像できないが、魔法使いと言うのは魔獣退治は勿論の事、治安維持の一環として犯罪者や危険集団を捕えたり、場合によっては全面的な抗争をすることがあるらしく、実践的な訓練に移るにあたって、それらの任務は飛びぬけて負傷者や死者が多いことをラズさんから聞いていた。

気乗りしないと言えばそうだ。

幾ら犯罪者であったとしても、その背景に何があるかを全て知ることが出来ない以上、人を殺してしまうというのは強烈に抵抗がある。

しかし彼らが殺した、あるいは人生を狂わせた人こそ守るべき対象であり優先順位を上げなければいけないのもまた事実。

ラズさんはゆっくり飲み込めばいいし、どうしても無理なら魔法院に申請して、その手の任務は受けずとも良いと言ってくれたが、私がやらずとも誰かがやる、私がやらなかった分を誰かがやらなければならないのだ。目をつむったところで目の前に問題が転がっている事実は変わらない。

決意に似た、それでいてどこかが決定的に異なる感情を抱き、無意識に拳を握り固めていた私を見て、ラズさんは安心させるようにふっと柔和に笑ったと思えば、すっかり慣れた手つきで私の髪を梳いた。

やっぱりラズさんに撫でられるのは好きだ。

悩みが端から溶けていく。ラズさんが居てくれる、それだけで全部大丈夫と、心から思える。

私がほんの少しでも不安を抱えるとラズさんはいつもこうして優しく撫でてくれる。

その事実が何より私を励ますのだ。

僅かにラズさんの方に頭を傾けて、指が細く柔らかい髪のあいだを抜けていく音とお互いのわずかな吐息だけを聞いていると、ラズさんは私が満足したと見るや撫でるのを辞め、立ち上がった。

正直なところラズさんに撫でられているときに”もういい”という方向で満足したことは一度もない。

心の底からぐでんぐでんに撫でてほしいという私の密かな夢はいったん置いておき、”嬉しい”と言う方向でなら条件反射で満足していると言えるのでラズさんの判断は半分正しい。

まぁ、真に満足いくまで撫でていたらそれこそ日が暮れてしまうだろうしこれが正解ではあるのだが、撫でられた後の温度が下がっていく頭はやはり寂しさを強く想起させるもので、どれだけ理屈で固めても名残惜しいという気持ちは消えない。


―いつかダメ元でお願いしてみるのもありかもしれない。


そう思ってラズさんを見ると、冷房が効きすぎていたのかふるりと体を震わせていた。




気づけば日も完全に落ちていてわいわいとした喧騒はすっかりなりを潜め、先ほどは黄色い悲鳴で生き生きとしていた公園はがらんと大口を開けていた。

流石にそろそろ帰ろうかと魔法院を後にし、ラズさんがこの時間から夕食を作らせるのは忍びないとのご意見から本日は外で夕食を取ることとなった。


「何くうーー?」

「んー」


いつもの如く私に選択権を放り投げてきたのまでは良かったのだが、如何せん今日は食べたいものが全く思いつかない。

選択肢はいくつか浮かぶのだが、どれも心を惹かれないというか、歯に衣着せず言うのならば”気分じゃない”のだ。

私が首をひねって考え込んでいる間、ラズさんは何も考えてませんという事を隠しもせずに見慣れたであろう風景をあっちゃこっちゃと見ている。

たまには目新しいものが食べたいなぁ、なんて考えたところでラズさんが「あっ」と声を上げた。

視線の先には「らーめん」の文字。


「ラーメン食うか。めっちゃその気分だわ」

「あの、らーめんって?」

「お、出た。歯抜け知識」

「む」


歯抜け知識とはひどい言い草である。自分だって油淋鶏知らなかったくせに。

不満も露わに腕をグイグイと引っ張ると、当の本人はさして気にしていないように「スマン、スマン」と。

あんまりそういう扱いしてると大声で泣きわめきますよ。ホント。


「いらっしゃい!!!」


暖簾を潜って、といっても私の頭頂部を掠めるぐらいの高さだったのを形だけでもよけて見せただけだが、中に入るとガンガンに効いた冷房と、見るだけで脂汗の出そうな厨房の熱気とがジリジリと我慢比べをしていた。

幸い客席は冷房優勢のようで、微かに滲んでいた汗が心地よく冷やされる。

厨房を見ると丁度麺が湯切りされているところだった。

どうやら大量の麺を茹でているがために厨房は考えたくもない地獄と化しているらしい。


「麺なんですね。らーめ...おぉ」

「うん。そのまんま麺だな」


しょうもない気付きをしつつ、カウンターに横並びで座った私たちは何故か二人分の席に一つしかないメニュー表を肩を寄せ合って覗き込んだ。

メニューは大きく「醤油」「味噌」「塩」「豚骨」「担々」と別れており、その下にトッピングやら飲み物やらが煩雑に並べられている。


「何がお勧めですか?」

「ん-、俺は辛いの好きだから担々麺にするけどお前あんまり得意じゃなかったよな?」

「そうですねぇ。嫌いとまではいきませんけど好んで食べはしないですかね」

「だよね」


家で出している料理にもほとんど辛い味付けをしたことが無いので察していたらしい。

幼いころに食べて半泣きになった経験に加え、昔何かの本で『辛味は味覚では無く痛覚』というのを読んでからは余計に忌避感が積もってしまって気づけば自然と避けるようになっていた。


「まぁ無難なとこ行くなら醤油か味噌だな。俺の勘だけど、この店は醤油よりだね」

「お、言いましたね?微妙だったら師匠のせいですよ」

「いや、醤油ラーメンを美味いと思えないお前が悪いね」


注文を決め、店員さんを呼んでいる間にも軽口を叩き合いながら少し待つと、びっくりするぐらい大きい店員さんがやってきて、お腹に響く花火みたいな声で注文を取った後、水を置いて下がっていった。

喉も乾いていないのに渡された水をちびちび舐めながららーめんが届くのを待つこと十分弱。

私の目の前にごとりと置かれたのは透き通った茶色いスープに黄色い麺の浮かぶ、一目見ただけで美味しいと分かる醤油ラーメンだ。

隣をちらりと見れば、地獄の窯をそのまま持ってきてお椀に注いでみちゃいました、と言わんばかりの悪ふざけの様なマグマがぼこぼこと煮えたぎっていた。

考えうる限りの最速で顔を戻した私は「いただきます」と言って箸を手に取り、麺を持ち上げてみる。

綺麗な黄色をしているが材料は小麦であっているのだろうか。

麺に絡みついていたスープが照明をきらきらと反射しながら滴っていくのを見ていよいよ我慢できずに、隣のラズさんがしているのを真似て啜ると、とたんにぶわりと鶏と鰹の風味が鼻を抜ける。

思いがけない美味に思わずラズさんの方をばっと見ると、こちらに気づいたらしくズルズルと啜りながらも器用に眉を動かして自身気な顔をしている。


「師匠。これ、何でもっと早く教えてくれなかったんですか」

「うーん、女の子引き連れてラーメン屋はどうなの?って心のガブが言ってた」

「あぁ...」


ドン引きしながらも苛める様に言っているガブエラさんが安易に想像できて思わずくすりと笑ってしまった。

そんな私を尻目に、ラズさんの意識は大分手元の醤油ラーメンに持っていかれているようだ。

んじっ、っと持てをされた子犬もような目で琥珀色のスープを眺められては、おすそ分けしない理由などないだろう。

私は一口分の麺を持ち上げ、冷ますために何度か息を吹きかけた後、蓮華に麺とほんの少しのスープを入れてラズさんの口元に持っていった。


「はい。あーん」

「...あーん.........美味い」


ラズさんは目を閉じてむぐむぐと何度か咀嚼した後、ぼそりと感想を溢した。あれ?なんか顔がみるみる赤くなってる?

少し引っかかりはしたものの、美味しかったそうなので良しとして自分も食べ進めることにする。

何故かラズさんは「ぐぬぬ」と悔しそうな声を出しているが自分でお店でも出す予定なのだろうか。

そんな思考も醤油ラーメンの前では無力に霧散していき、気づいた時にはお椀の底に書かれた「感謝」と言う文字をぼけっと眺めていた。

ラズさんは辛さに難儀したのか、未だ麺を啜っている。

隣のラズさんがふぃぃ、と満足げな声を上げたのは珍しくも私が食べ終えてから少し経った時だった。

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