旅の結末は幸か不幸か

「おはようございます。女将さん」

「おはよう、昨日はよく眠れたかい?」


宿に戻って時間をつぶしていると女将さんが朝食の準備を済ませたらしく、部屋を訪ねてきた。


「お陰様でぐっすりです」

「そうかい、そうかい。...それにしても若いねぇ、いくつ?」

「今年で十三になります」

「じゅうさん!?しっかりしてるねぇ」


私の村では成人は十五歳だったが、これはどこに行っても同じなんだろうか。

どちらにせよ想定よりも子供だったことに相当驚いているようだ。

「うちの息子はまだ自立もせずに...」と愚痴る女将さんに曖昧に笑っておいて、豆腐と揚げが入った味噌汁を啜る。

うん、おいしい。心温まるというか、味噌が薄目で出汁メインの味付けはじんわりと体に染みわたる。

というかよく考えてみれば、豆腐も揚げも味噌も大豆由来なので合わないわけがない。

朝食のメニューは魚の煮つけ、ほうれん草の煮びたし、味噌汁に白米と和食で統一されており、はっきり言って毎日でも食べたいと思える程どれもおいしい。

どうやって味付けしてるんだろうなどと考えながら夢中で食べていると、女将さんが少しだけ神妙な面持ちになる。


「ところでマリエルちゃん、この村には何しに来たんだい?こう言うのもなんだけど訳アリなんだろう?」

「...どうしてそう思ったんです?」

「そりゃあ、大人びてるとはいえまだ十三の子供が保護者もつれずに泊まってったんだ。何もないほうがおかしな話さね」

「まぁ何もないわけではないんですが...」

「心配しなくても言いふらしたりしないしマリエルちゃんをどうこうするつもりはないよ?しばらく話し相手がいなかったのさ、めんどくさいババァに捕まったと思って話してごらん?」

「そう言って下さるのはうれしいんですが面白い話でもないですよ?ただ単に家出したってだけですので。それと女将さんはとってもお若いです!」


なんとなくだが女将さんの言っていることに嘘はないと思う。本当にどうこうするつもりはなさそうだ。話相手云々は...まぁ気を使ってくれたのだろう。

ただそれとこれとは話は別だ。

女将さんに話せるならまず先に両親に話しているし、大層な話ではなく個人的なわがままのようなものだから余計人には話せない。


「久しぶりにお世辞なんて言われたよ、まぁ無理強いするもんでもないからね。困ったら大人に頼るんだよ?」


女将さんが困ったように眉を八の字にして言った。

ホントにいい人だな。うん。


「はい、無理だと思ったらすぐに大人に頼るようにします」

「よろしい」


女将さんがにじり寄って頭をなでてくる。

向けられる眼差しは慈愛に満ちていて、女将さんへの信頼を強める一方、悪い人に騙されないかと生意気にも考えてしまう。

...女将さんに仇成す輩はこの手で粉みじんにしてやろうと固く心に決めた。


朝食を食べた後、女将さんに周辺の地図や貨幣のこと、危険区域について教えてもらった。どうやら危険魔獣の住処や、政治的、文化的に重要な場所は国が立ち入り禁止にする場合があるらしい。

女将さんは別れる寸前まで名残惜しそうにしていて、そんな女将さんにくすりと笑ってから「また来ます」と伝えて宿屋を後にした。




その後、役場から依頼を受けてしばらく放浪できるであろう分の日銭を稼いだのち、町から出発した。

それからは町から町を転々する日々が続いた。

来る日も来る日も大小さまざまな町に足を運び、魔法使いについて尋ね、必要があれば魔獣を狩る。

旅自体は楽しかった。最初に訪れた町の女将さんを初めとして会う人はみな親切にしてくれるし、喰いっぱぐれる心配もないのだから悠々自適に過ごせる。


―ただ、このまま旅をしていったとして魔法使いは見つかるのかという不安は日に日に影を増していた。




今日はお財布がいささか心もとなくなっていたので教会に行って魔獣退治の案件を受けた。

空はどんよりとした花雲りで少しばかり気乗りしないが暮らしていくためには仕方がない。

今は暦の上では春一歩手前らしいが、例年より冬が長引いているらしく外はまだまだ冷え込んでいた。

借りている宿屋の扉を開けると隙間から一気に冷気が流れ込んできて身を竦める。

正直、宿に閉じこもっていたかったがそこを何とか堪えて目的の魔獣のいる森へと歩いた。


昨晩はよく寝れなかった。

定期的に現れる不安感にいつもの如く絡めとられ日が明けるのを望むような望まぬような宙ぶらりんの感覚で夜を過ごした。

昼間に町の人に見せる明るく前向きな自分と、独りの時の後ろ向きな自分の二面性に最初こそ戸惑ったものの最近はすっかり慣れてしまって、そんなところ含めて自分だと割り切るようにしていた。

ただでさえ睡眠不足で昨日の記憶と現在の記憶が地続きになっているというのに、感情面でさえ独りのときのネガティブを引きずっていたらそれこそおかしくなってしまいそうで怖かった。


いつもは難なくこなしている切り替えが今日はなぜかうまくいかないな、なんて考えながら歩く。

最近は魔獣を狩ることがストレス発散に一役買っている節があり、昨日一昨日と連続して魔獣を狩りに行っていた。

その日はちょうどいい魔獣の依頼がなかったため、魔法の練習という名目で出かけたのだが、この頃魔獣狩りに対する向き合い方が少しだけ不穏だと自分自身感じていた。

まるで胸のわだかまりをぶつけるかのように吐き出される魔法は、従来のそれに比べて魔獣が酷く痛がっていることを感じていたが、大義名分の前ではそれから目を背けるのはあまりに容易だった。


今日もまた魔獣を狩る。

この世やこの体への不安や不満をたたきつけるように魔法をぶつける。

目に見えない場所で静かに仕留めることもできるはずなのに、魔法の威力を視るため、と視界に入れて過剰に強力な魔法を使ってなぎ倒していく。

表情はピクリとも動かない。

淡い桃色の瞳はあくまでこれは仕事であるとひたすらに無機質である。

目標分なんてとうに超えているだろう。

それでも狩り続ける目的は何なのか。衝動は何なのか。すべての理由を失ったら私はどうするのか。

思考の無限ループに入ってもなお手は動かし続ける。ひたすらに狩って狩って狩って―

鼻先に返り血というには幾分さらりとした液体が伝う感覚がした。

空を見上げると出発時には花雲りだった天候は大変お怒りのようで、視界が一瞬弾けたかと思えば遠方から轟音が鳴り響く。

降ってくる水滴は次々と体の温度を奪っていった。

早く帰ろうと踵を返すも足にうまく力が入らず、私はその場にへたり込んでしまった。


「...まぁ無理もないかな...」


よく考えれば三日間満足するまで魔法を打ち続け、その間ろくに寝れていないのだ。

それに加えて今日の朝は食欲が奮わず食事をとってないため低血糖も一枚噛んでいるだろう。

もう座っているのすら億劫で仰向けになって、雨を正面から浴びる。

不思議と私の胸の内は空模様と反比例して晴れやかだった。

流石に魔獣の跋扈する森の中で倒れてしまえばいくら魔法が使えるとて無事では済まないだろう。

魔獣に狙われずとも寝不足、過労、低血糖、低血圧、低体温症の不調四天王とその魔王をなぎ倒せるほどタフじゃない。

今のうちに魔法で暖をとるなり、簡易的な小屋を築くなりとやれることがないわけではないが、胸に広がる諦念がそれをさせなかった。

というよりも、腕を持ち上げてみても魔力が練れないのだ。

周囲の魔力は感じ取れるのに、自分の魔力は全く感じられない。


―あぁ、なんて酷いことをするんだろう。


ずっと捨てたかったこの体質。

死の間際になって叶うなんてあんまりじゃないか。


その事実が本当に悲しくて、本当に腹立たしくて、しかし胸の内は諦念で一杯だったのか、そのどれもが感情と呼べるほど大きくはならなかった。

目的こそ達成できなかったにしろこの旅路は楽しかった。

世界から私という異分子イレギュラーが消えるのだと思うとやるせなさこそありつつもお似合いの最期だと思ってしまう。

あの古書の魔法使いなど単なるでっち上げだったのだろう。

これだけたくさんの人に会って、いろんな場所に行って、それでも魔法のまの字すら見つけることは叶わなかった。

旅の最中、魔法使いなんて存在しないと知らず知らずのうちに悟ってしまった時から、心のどこかで消えてしまいたいと思っていたのだろう。

確証こそないものの、胸の諦念がそれをひしひしと物語っていた。


私さえいなければ世界は平和なのだ。


私さえいなければ魔法なんて危険なものはおとぎ話から出てこないのだ。


私さえいなければ、私さえいなければ。




魔法さえいなければ私は...マリエルは幸せだったのだ。

魔法さえなければ、それ以外のほぼ全てに愛された私はどこまでも幸せに故郷のあの村で暮らしていたんだろう。

しかし魔法という特異体質のせいで私の全ては壊れた。

というのに、私の意識のほとんどは魔法で占められている。

どこまで行っても魔法のことを憎めなかった。

危険で美しいそれが頭から離れなかった。

魔法なんて消えてしまえと思う一方、魔法のない世界を生きたいとは到底思えない。

こんな矛盾も、死んでしまえば考えなくていいらしい。


もう消えてしまおう。


待てど暮らせど王子様はやってこないし、歩けど歩けど答えは見つからない。

こんな暗闇の中あと何十年も過ごすなんてできない。できっこない。

まだ、やろうと思えばそれなりのことは出来る。

しかし、もう一度一から考え直しても出る答えは同じだった。

考えている間にすっかり体から熱は奪い去られて、手足の感覚はなくなっていた。

私はぼんやりと開いていた瞼をそっと閉じた。

雨の音、雷の音、好ましくない存在が草地を踏み分ける音、意識を手放すにしたがってそれらはより大きく、盛大になっていく。

そういえば昔、母が王都の演奏団の円盤を買ってきて、暫くはそれが居間に流れていた事を思い出した。

確かにあの音楽も見事という他なかったが、今際に聞く自然の音の数々はそれに優るとも劣らない荘厳さを持って鼓膜をくすぐった。


まぁ悪くないな、なんて最後に考えて意識を手放す瞬間、癖になって辞めていなかったらしい魔力感知に今までなかったものが反応した。


(遅い...遅すぎるよ...)


今になって来られたってもうこの状況はどうしようもない。せめて後一分...いや三十秒前ですらありったけを振り絞って何とかしていたかもしれないのに。

私はすっかり芯まで冷え込んで、体内をゆっくり、ゆっくり巡る血液と、異常に重い頭だけが熱を持っている事しか最早分からなかった。

なぜ今この時なんだろう。

これでは固めた意思も、悟ったような諦念も根底から取り払われてしまう。

残るのは死への恐怖と半端に悟った自分への後悔だけだ。

薄れゆく意識の中、その人は私に”大丈夫か”と聞いた気がした。

きっと限界故の幻だろう。

魔力感知の端からここまでは相当に距離がある。

瞬間移動でもないならここに人がいるなんて事はあり得ないのだ。


―だからきっと、この体に滲むぬくもりは神様からの最期の贈り物ギフトだろう。


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