いつも楽しく拝見しています。頑張って下さい。

信号機

第1話

「ブッコローに中の人なんていないよ」

 入社してから何度目とも覚えていないような質問に、私は辟易を悟られぬよう努めながらそう返した。

 相手は未就学児と思われる男児で、人間でいえば世界がまだ夢と希望に満ち溢れていると勘違いしている年頃だ。そんな齢で”中身”に関して疑問を持つなんでかなり早熟だと思ったが、デジタルネイティブの彼にしてみれば「ブッコローは普通の中年のミミズクなんだよ」という言の方が小賢しい嘘に見えてしまっているのかもしれない。

 事実、彼が携えるその本は、おおよそ未就学児とは思えない、科学にまつわる専門書だった。私でも通読できるかわからない。

「最近の子供はそんな本も読めるんだ、すっげェな」

 思わず口をついたそんな言葉に、男児は敏感に反応する。

 目を輝かせて、手に持っている専門書の中身について解説を始めだした。ブックカバーなどがまだつけられてないところを見るに未会計の商品と思われるが、幸い男児はその書籍を乱暴に扱うことはしなかったので、そのまま話を黙って彼の話を聞き続けることにした。

 そして彼は閉店まで話を続けた。

「珍しいですね、いつもは仕事終わったら飛んで帰るのに」

 仕事を終えた私がバックヤードで休んでいると、後輩の水口が話しかけてきた。

「今日はちょっと疲れたからね」

 私が関東に40店舗以上を出店しているこの書店のYouTubeチャンネルを手伝うようになってから、気が付けば10年以上経過している。

 その頃と比べると、YouTubeチャンネルも弊社も大きく成長していた。今では私こと”ブッコロー”も以前に比べてかなり知名度が増しており、月に数回のYouTubeの撮影の他、書店員としての仕事の合間を縫って時折こうして本店へ広報の仕事と称して訪れている。

「今日は撮影ないですよね。そんな所で休んでいるくらいなら、少しは締め作業手伝って下さいよ」

 水口は入社したばかりの新入社員ではあるが、人懐っこく失礼を知らない性格で味方も多いが敵も多い。私とは不思議とウマが合って、社員の中ではそれなりに仲良くしている。

「嫌だよ。こっちは子どもの相手ばかりで疲れているんだから」

 結構先輩である私がそう言っても、彼は半笑いで「いやいや、いつも上手にサボっているじゃないですか」なんて不遜なことを言う。

 けれど私はそんな水口のことがどうしても嫌いになれない。結局その日は彼の仕事を手伝って遅くまで本店に残っていた。



 翌朝私が出社すると、本店がなにやら騒がしくなっていた。

「どうかしたのか?」

 近くにいた水口に話しかける。

「万引きがあったみたいですよ」

「へぇ」

 万引き。一昔前までは全国の書店で横行していた本を窃盗する行為。数年前まではそれによって潰れる店も多くあったが、今ではその数が激減しており、中でも弊社では実に7年以上被害が出ていない。

 そんな折でのこの事件なのだから、多少なりともセンセーショナルにならざるを得ない。

「R.B.システムは?」

「何も問題ないとのことです」

 R.B.システムとは数年前に弊社が開発した、物質を媒介とした自立型AIの名称であり、全く新しい書籍の販売システムである。弊社の販売する書籍はこれによって爆発的に売り上げを伸ばした。

 このシステムを境に書店のありかたは大きく変わった。従来のように人が本を選ぶ時代は終わり、本が人を選ぶ時代に変わった。

 例えいくらお金を積もうが書籍が拒否をすれば購入することは叶わない。購入するためには、AIに「この人であれば心からこの本を楽しめる」と判断されなければいけない。逆に、そういう判断をされれば書籍の方から購買者に販促をかけてくる。

 このシステムでは、今まで出会うことのなかった本や知りつつも見向きもしなかった本に出会える。一度ページを開いてしまえばそこはAIが選んだ購買者、まず間違いなくそれぞれに最適な内容となっており、購買者の読書に対する満足度はこれまでの比では無い。

 そしてこのR.B.システムのもう一つの優れた点は、万引きをすることが極めて困難になる、という点である。

 R.B.システムによって管理されている書籍は万引きすることができない。万が一当書籍の意思に沿わず、或いは正当な料金を払わずに店外に連れだそうものなら、彼ら書籍は人目を憚らず大騒ぎする仕組みになっている。その大音量の中、誰にも気づかれずに書店の外へ出ることなど誰にもできない。

 つまりこのR.B.システムが正常に作動している限り、本を盗むことは不可能なのでる。



 弊社の本店は昨年、伊勢崎町から移転されている。現在はみなとみらい本店と称し、みなとみらい駅からほど近い場所に地下2階、地上28階建ての高層ビルを構えている。

 地下1階から12階までは書店として、それよりも上の階は本社として機能を備えており、YouTubeチャンネルの撮影が行われるのもこの本店22階である。正直、ここまでこの会社が大きくなったのは私の功績がかなり含まれていると自負しており、心の中とYouTubeでこの周りの建物と比べてもかなり高さのある本社ビルの事をブッコロー御殿と呼んでいるのではあるが、いかんせん巨大なビルである。書店部分である12階までと、私が主に出入りする22階を除けばこのビルのことを私はあまりにも知らなかった。

「ここは何だね、水口君」

 私と水口はそんな未だ不思議の多い本社ビルの28階、つまり最上階に訪れていた。

 目の前に見えるのは小奇麗なフォントで控えめに書かれた「技術開発室」という文字と、多少のバッファローが突撃してもビクともしなさそうな重厚な扉。それが私たちの行く手を阻むようにそびえ立っていた。

「僕も初めて来ました。会社でもごく一部の人間しか本来は入れないらしいですよ」

 そのあとに続いてラッキーですね、とでも言いだしそうな朗らかな表情で水口は言った。

「そういうことを言ってるんじゃないよ」

 私が水口を問いただす前に、目の前の扉が音もたてずに開く。中には小難しそうな壮年の男性が一人、こちらを睨むように立っていた。

「初めまして、坂本と申します」


 私達はその坂本という男に案内され、開発室の中へ入っていった。その中にも扉がいくつかあり、我々はその中の一つに通された。

 中は開発室という言葉から想像してたものとは違い、至ってシンプルな造りとなっていた。机が一つと、その両脇にソファが二脚置かれていたくらいで他には何もない部屋だった。

 もしかしたらここは応接室のような役割の部屋なのかもしれない。

「話を聞かせて下さい」

 坂本がどこからがコーヒーを持ってきて我々の前に差し出すと、彼も前の席に腰を下ろしてそう言った。

 つまりこういうことである。

 R.B.システム発足以来、初めての盗難事件が発生した。これはただの万引きではない。R.B.システムの安全神話を根底から覆しかねない事件である。

 もし仮に今後こういった盗難事件が多発すれば、会社全体の信用問題に関わる大きな問題に発展する。株価は大きく下がり、システムを供与している他社への説明は必至であり、場合によってはリコール、賠償問題なんて話にもなりかねない。

 もしそういう話になれば成金趣味全開で無駄に豪華な新しい本店ビルを建てたばかりのわが社には大きすぎるダメージとなる。

 そうなる前に対処しなければいけなくてはいけない。社外に一切漏らしたくはないが、犯人は何としても見つけ出さなくてはいけない。もし万一それが叶わなくても、最低限原因だけは見つけなくてはいけない。

 少なくともこのことが公になり、対外に説明する義務が生まれる前に。

「事件が発覚したのは今日の朝の一斉点呼の時間です。昨日の朝の時点では異常が見当たらなかったとのことらしいので、昨日一日の間に盗まれた可能性が高いとのことです。その後様々な角度での調査を行っておりますが、現在有力な情報は得られていません」

 弊社では毎朝各階において書籍による一斉点呼が行われる。販売数との数が合わなかった場合、そこで盗難が発覚する。

「点呼は朝のみですか?」

「昔は就業時にも点呼をしていたらしいのですが、もう何年も万引きが無かったからか、最近は朝礼だけしか点呼をしていなかったみたいですね」

「監視カメラは?」

「このビルは約200個の監視カメラがありますが、その多くが13階以上の店舗以外の箇所にあります。当然レジや出入口付近など、必要な箇所にはいくつかありますが、盗難のあった本棚付近を映したカメラはありません」

「成程」

 水口の説明に、険しい表情を崩さないまま言葉少なく坂本は言う。

 R.B.システムを知らない者からは杜撰な管理と思われるかもしれないが、それだけこのシステムが書籍の盗難を不可能にしていたということを示している。もう弊社から万引きという言葉が消えて7年だ。最近入社した水口のような社員だけでなく、多くの社員の気がその方向へ向かなくなるのも無理からぬ話だ。

 新しくできた本社ビルがこういった盗難を想定していないことからも、それが伺える。

「現状ではやはりR.B.システムが突破された謎を解くことが、犯人を捕まえる最も簡単な方法というわけですか」

 坂本が言う。すぐに警察に頼れない今、それが一番解決への近道というのは間違いないだろう。

「ところでR.B.システムってそもそもどういった形で盗難を防ぐんですか?」

 水口が疑問を口にする。確かに私もR.B.システムが投入された初期は何度かそのシステムが作動したところを見たことがあるが、もうここ数年は未遂事件すら起こっていない。新入社員の水口が知らないのも当然だ。

「ではR.B.システムについて誰でもわかるよう説明してあげよう」

 彼はどこからか一冊の書籍を取り出す。表紙も背表紙もなく、何も書かれていないただただ真っ白い本であった。

「これは試験用のR.B.システムを搭載した書籍になります。見ての通り試験用なのでこの書籍に内容や表紙デザイン等はありませんが暫定的にこの部屋を本店ビルとし、この部屋を出ることでR.B.システムの盗難防止システムが発動するようになっております」

「急にすっげェ饒舌になりますね」

 私の言葉に耳を貸す様子はなく、坂本は手に取った書籍を私の目の前に差し出した。

「じゃあこれを持ってこの部屋の外へ出てみてください」

 私ではなく水口に渡せよとは思ったが、わざわざ断るほどでもない。本を一冊持って外へ出るだけだ。

「店員IDを外してください」

 書籍の管理のため、弊社の店員はIDを付けることによって店内における書籍の移動に関してはシステムが発動されない仕組みになっている。

 私はIDを外し、小さく息を吸う。


「今日も仕事疲れたわァ

「こんなに毎日仕事をしても給料は上がらないし物価は高くなるし

「書店に来てみたのはいいけれど、本当に嫌になっちゃうわァ

「今日もこの本を買いたいけど、財布には60円しか入ってないのよねェ

「はーぁ、どうしようかしら

「そうだ、誰も見ていないうちにこっそり持っていっちゃおーっと」


 いつもの調子でそんな事を言いながら、本を手に取る。

『初めましてお客様。残念ですがお客様と私の相性は良くないようです。私を元の本棚に戻してください』

 聞きなれたAIの合成音声が書籍から発せられる。

「そんな事言わないでよ、私君が欲しいんだけど」

『当書籍より、あなたにふさわしい本がここには数多く在籍しております。もしよろしければ書籍のご案内を致しますがいかがなさいますか』

「いやいや、私は君が欲しいんだって」

『それはできません。大変申し訳ございません』

「そこをなんとかお願いしますよォ」

『そう言われても困っちゃうなぁ』

「なんか急に馴れ馴れしくなったんですけど」

「R.B.システムは非常に高度なコミュニケーション型AIです。ある程度相手をみて態度や発言を変えることがあります」

 私の疑念に、眉1つ動かさずに坂本は返す。なんだか釈然としないが、今はそういうものと納得する他ない。

『わかったわかった、あんたと相性のいい本をとりあえず三冊見繕ってやるからまずはそっちから話聞きな?』

「距離の詰め方が個人経営の居酒屋と同じなんですけど、これはシステム上正しいんですよね?」

「はい。あなたに最も適したコミュニケーション方法です」

 そんなやりとりをしながら、段々と部屋のドアの方へ向かっていく。それに伴って坂本と水口も私の後ろを歩く。

『警告です。当書籍を元の棚に戻してください』

 私が扉へ近づくと書籍の言葉遣いが元に戻り、音量もひと段階大きくなった。そして数秒の間をおいて同じ言葉が繰り返される。

 ちなみに当店のマニュアルでは、この音声が聞こえた先のお客様には声がけをすることになっている。

「ここは小さな部屋なので音がすぐに大きくなりますが、実店舗では所定の本棚を15m離れると警告音がなり、出口に近づく度に音量が段階的に大きくなります。その時点で、店員や来店者に気づかれないということはほぼ不可能です」

 坂本がそんな風に言うのを聞きながら、私はその本を持ったまま部屋の外に出る。二人もそれに続いた。

『警告です、当書籍を返却してください。警告です、当書籍を返却してください』

 音量がさらに上がる。今度は絶え間なく合成音声が室内に響き渡る。

「うっわ、うるさいですね」

「試験用なので音量はある程度下げてあります。本来は80デシベル程度で、決して隠し通せる音量ではありません。警告は本店ビルから一歩でも出れば発せられ、内蔵されてある充電が無くなるまで続きます」

「無くなるまで、ってどれくらいですか?」

「60分から90分程度です」

 水口の質問に坂本が答える。

 その後三人で部屋へ戻ると、すぐに音声は収まった。

「当然店内でも気づかれずに持ち歩くということは難しいですが、最大音量になっている警告音を誰にも気づかれず町を歩くことは無理でしょう」

「例えばなんですけれど」

 またも水口が遠慮がちに手を上げる。

「何らかの手段で書店員のIDを手に入れることができたら、警告音は鳴らないんじゃないですか?」

 確かに水口の言う通り、私は先の実験にあたって自身のIDを外した。それは普段から我々書店員は店内の書籍を移動できる立場にあり、仕事中に関してR.B.システムが発動することはない。

「いいえ、書店員に与えられている本の移動の権限はこの本店ビルの中だけです。ここを出れば来店客と同様にビルを出てから10秒程度で警告音が発せられる仕組みになっています」

 このみなとみらい本店の周りは人通りも車通りも多く、万が一警告を無視しながら外を歩けば、たとえ店員でもほぼ確実に通報されるだろう。

「それじゃあこのR.B.システムがきちんと作動されている限り、やはり本を盗むなんて無理なんですね」

「いいえ、それは私には断言することはできません」

 それは、私が予想していた返答とは全く違うものであった。

「驚異的なスピードで学習をする人工知能は、学習の方向性が我々の思惑とほんの少しずれるだけで、全く予想外の動きをすることが多々あります」

「それは…」

「例えば社会的に悪とされるものを肯定したり、一昔前まで横行していたような差別的な発言をしてみたり。そういった考えを生み出した人工知能は『間違いを犯した』として開発中止に追い込まれています。そしてこの分野ではそう言ったことが繰り返されています。今は過渡期と言ってしまえばそれだけになってしまいますが、我々人類には理解の及ばない、最も効率的とする一つの進化の方向性と考えることもできます」

 坂本は淀みなく言う。まるでこの事件を予感していたかのように。

「例えばR.B.システムの『会社の利益を最優先に考える』という条件が、思いもよらない方向性に行けば或いは…」

 坂本のそんなつぶやきが、どうしてかしばらく離れてくれなかった。



 それから数週間がたった。

「結局、あれからなんの音沙汰もないですね」

 私がいつも通り本店で仕事をしていると、暇にでもしているのか水口が話しかけてきた。

「多分それはもう解決してると思うよ」

「どういうことですか?」

「あの後すぐ、うちの上層部に話に行った。ごく限られた条件下におけるAIの誤作動という結果に落ち着いたから、外向けの発表はしたけれどそこまで話題にはなってないみたい」

「えーなんで教えてくれなかったんですか。俺全然知らなかったですよ」

「いや先週朝礼で言われたはずだし、小さくだけどニュースにもなったから知らないのはお前だけだと思うけど」

「じゃあ今教えてくださいよ」

 水口に肩を揺らされる。自分で調べろとも言おうと思ったが、鬱陶しさに思わず口を開く。

「水口、盗まれた本の題名って知ってる?」

「ええと、確か『R.B.システムの概要と発展』でしたっけ。結構小難しそうで俺にはとても読めそうにないですね」

「R.B.システムはその人の資質を瞬時に判断することができる。そして常に思考は会社の利益を最優先で考えている。だからこそR.B.システムはAIの判断する最高の読書体験を提供し、盗難を許さない。しかし今回の事件では、書籍を手渡すことで、会社に対する利益が盗難による損失を上回ると判断された結果によって引き起こされた」

「どいういう意味ですか?」

「今回盗難された書籍はR.B.システムに関するもの。もし仮にR.B.システムを今後大きく発展させる可能性のある者が目の前に現れたとしたら、R.B.システムはどういう行動をとると思う?」

「仮にタダであげたとしても、巡り巡って会社のためになると? けれどその本を持ち出した人物が、全く別の会社でその才能を発揮してしまうかもしれませんよ」

「私はそこまで言及はしなかったけれど、もしかすると持ち出した人物はここの社員なのかもしれない。就業中の誰かか、或いは休日にここへ立ち寄った社員か」

 私にはにわかに信じ難いことではあるが、一定数の社員は休日にもこの書店に訪れる。頭の下がる話だ。

「R.B.システムは、定価である5,800円を渋っている人物に対して無償で渡す判断をした。将来的にそれが、R.B.システムとこの会社にとってそれ以上の価値を生むのだから」

 割合高額な専門書を片手に苦悩する未来ある若者に、手元の書籍が同情する。そんな情景を空想してしまう。

「それが誤作動ってことですか」

「あくまで仮定でしかないけれど。しかし皆はそれで納得して、会社はダメージを免れた」

「そういう話だったんですね。やっぱりAIなんて俺にはよくわからないなぁ」

 水口は愚痴を言うように呟いた。私は彼に早く仕事へ戻るよう促したが、それから結局また少し雑談をして週末に飲みの約束をした後、やっと彼は本来の業務に戻って行った。

「お久しぶりです。ブッコロー」

 不意に、懐かしい声が私の耳に届いた。

 必要以上の優しさを孕んだその声を、私が聞き間違えるはずがない。振り返って確認すると、やはり彼女が立っていた。

「文房具王じゃあないですか。お久しぶりです、今日はどういった御用で?」

 かつて「文房具王になり損ねた女」と呼ばれた彼女が立っていた。以前は私とYouTubeチャンネルで共に戦った中ではあったが、もう何年も前に弊社を退社し、「文房具の女王」という文具店を創業した。彼女の文具に対する情熱とセンスが評価され、その会社は驚くべきスピードで成長。今では全国で78店舗を展開し、名実ともに文房具王の名を欲しいままにしている。

「その呼び方、やめてくださいよ」

 困ったように彼女は笑う。彼女と喋ると、不思議と普段よりも意地の悪い言葉が零れてしまう。彼女に対する感情は、古くからの悪友に対するそれに近かった。

「今日はプライベートですよ。ちょっと小耳に挟んだ話があって」

「さすが元従業員は耳が早いですね」

 盗難事件の話だろう。従業員の中には、今でも彼女と親交の深い者が多くいる。誰から聞いたかはわからないが、結構な機密情報を社外に漏らすなんて、愛社精神の無い社員もいたもんだ。

「なんですか? 弊社の危機を笑いにでも来たんですか?」

「そんなことしませんよ」

 また彼女は笑う。この魅力的な笑顔が見たくて、私はつい悪態をついてしまうのかもしれない。

「でも残念でしたね、もう解決しちゃったんで」

「うふふ」

 弊社にいたころの輪郭のあやふやなふわふわした雰囲気は健在であるが、独立をしてからそこに貫録のようなものが加わった気がする。

「嫌ですね、ブッコロー。私とあなたの仲。私に隠し事なんてしなくてもいいじゃないですか」

「なんの話です?」

「あの本は誤作動によって持ち出された訳ではありませんよ。それはあなたもわかっているでしょう?」

「……」

 背中にじわりと汗が滲む。普段は立て板に水で名が通っている私がすぐに言葉を返せないことが、この場では何より雄弁に事実を物語っている。

「ちょっとだけお話聞いたんですよ。例えば水口さんからも」

「あなた水口さんとは在籍の時期被ってないじゃないですか」

「ふふふ」

「なんでも笑ってごまかそうとしないで下さいよ」

 意識せず強い口調になってしまう。

「私はR.B.システムについては詳しくありません。うちのお店では使っていませんしね。けれどこのシステムについてなんて知らなくても、ここから誰にも気づかれず本を持ち出すことなんて簡単ですよ」

「いやいや、そんなこと誰にもできないですよ。だから弊社では何年も盗難事件は発生していなかった」

「いいえ、できますよ。より詳しく言うのなら、他の誰にもできなくとも、あなただけにはそれが可能です」

「どういう意味ですか」

「水口さんに聞きましたよ。事件の発覚した日の前日、あなたは本店に遅くまで残っていたらしいですね」

「……」

 どうせ水口から聞いて知っているのだからと、私は返事を拒んだ。

「あなたはあの日、目的の書籍を持ってこのビルを上がった。きっとあなたがよく利用する22階ですね。R.B.システムが有効なのは本店ビル内です、店員であるあなたが書籍をもって本棚を離れても警告は発せられません」

「けれど本店から書籍を少しでも出せば、結局警告は発せられてしまいますよ」

「ええ勿論。けれど、それでいいんですよ」


「だって、あなたミミズクじゃないですか」


 R.B.ブッコロー。

 おしゃべりが好きで、競馬が好きで、インクが好きで。そして、人間ではなく、ミミズク。

 それは、弊社にかかわりのあるすべての人が知っている事実だ。

「これはAIが絡んだとても複雑な事件に見えますが、犯人がミミズクと考えると途端に簡単な答えが導きだされます。あれ? 人じゃないから犯人って言うのはちょっと変ですかね犯木菟?」

「なんて読むんすかそれ」

「このビルの22階、そこの窓からあなたは空へ飛んだ

「ミミズクですからね、それは特別なことでもなんでもありません。そしてこのあたりにはこのビルを超える大きさの建造物はなく、少し上を目指せば、例え大きな警告音が鳴っていたとしてもそれを咎める人間はそこにはいません。

「ビルを離れて警告音が鳴り始めるまで10秒程度でしたね。それだけあれば音の届かない上空まで離れるのは、あなたにとってはそこまで難しいことでは無いでしょう。

「そしてシステムが連続して起動出来る時間はおおよそ1時間程度でしたね。その時間を空中でやり過ごした後、書籍を別の場所へ移動させた。

「どうですか、なにか間違えているところはありますか?」

「ミステリ作家みたいでしたよ。流石ですね」

 私のその言葉は、肯定と全く同じ意味だった。

「何故こんなことをしたんですか。こんな、会社に対して反旗を翻すような真似、あなたらしく無いじゃないですか」

 彼女のその言葉を聞いて、1人の少年を思い出す。

 私があの日出会った、専門書を語る少年。

「私このシステムあまり好きじゃないんですよね」

「あら、あなたがそんなこと言うんですね」

「システムに選ばれなかったとしても、本当にその書籍が必要と感じている人はいるはずです」

 少年は、あの本をきっと本当に欲しがっていた。

 けれど彼はシステムに弾かれてしまった。

 私には、それがどうしても許せなかったのだ。

「それじゃあ、かの本は」

「今はここから離れたところに。折を見て彼がまた来店した際に、本店の来店何万人記念とか話してプレゼントするつもりです」

 R.B.システムに選ばれなかったということは、それなりの理由があったのは間違いない。実際読んでみると、思った内容とは違ったものでがっかりしたかもしれない。結局途中で飽きて通読できないかもしれない。けれど、私はそれでいいと思う。成功体験だけが、素晴らしい体験であるとは限らないからだ。

 時には失敗することも、人の道には必要なのだ。

 だって、本は心の旅路なのだから。

 私がそう伝えると彼女はまた、困ったように笑っていた。

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いつも楽しく拝見しています。頑張って下さい。 信号機 @sinngouki

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