掃除

鳴代由

掃除

 机の上にだるそうにしゃがむ男は、 一枚の札を掲げて頭をかいた。


「あのお、今やめてくれたら見逃しますよ。面倒なんですよね。ここでやめたほうがお互い に楽だというのに。……おうい。聞いてます? ああ、聞こえてないのか。じゃあ仕方がない」


 相手の返事がないくせに、男はぶつぶつと独り言を言っている。奇妙ではあった。だが男 の目の前には、部屋一面を覆いつくしてしまいそうなほど大きな何かがいる。 霧のようにふ わふわとしていて、でも雨の日の雲のようにどんよりとした灰色の何か。そこから何とも言えない殺意が向けられている。けれど、それはほんの少ししかないことに気付く。

 札を掲げる男が、僕のところにその殺意がくるのを止めているようだった。男は殺意に顔 を歪めることなく、平然としている。特別集中していることが伝わってくるというわけでもない。男はくありとあくびをしながら、手に持つ札をひらひらと霧のかたまりに見せつけている。


 その状態から先に動いたのは、霧のかたまりのほうだ。大きかった体をさらに大きくさせ、部屋の天井を押し上げていく。ミシミシと言う天井からは、ほこりが舞う。そしてそれと同時に、霧のかたまりから細く、鋭い腕のようなものがあちこちに伸びてきた。それは二本、三本と増えていき、男を取り囲む。動き回るそれは、金属同士がぶつかり合ったような音で壁に傷を作り、机の上に置いてあった資料を床へと投げ落とした。

 だが男は動かない。否、正確には、口を動かしていた。男の口から歌うように出される言葉は、男の周りに伸びてくる腕を跳ね除け、手に持つ札を熱くさせる。そしてひときわ強い声で言葉を言い放ったとき、鈍く火が上がる音とともに、霧のかたまりが一瞬にして消え去った。


 霧のかたまりがいなくなった部屋は、想像していたよりも静かだ。残ったのは僕たちと、あちこちに物が散らばった部屋のみ。


「……はぁ。ぐちゃぐちゃだ。片付けておいてもらえますか」

「は、はい!」


 男は首をパキパキ言わせながら机の上からひょいっと地面に降りる。表情の変化はわからないが、きっと、疲れているのだと思う。

 ここからの事務所の掃除は、僕の仕事だ。

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掃除 鳴代由 @nari_shiro26

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