セックスなしの彼女じゃダメですか?

虫野律(むしのりつ)

色葉花乃(いろはかの)①

「ね、わたしたち付き合おうよ!」

 弾けるような笑顔でそう言った彼女があまりに眩しくて、かわいくて、俺は声の発し方を忘れてしまっていた。

「わたしたちなら」と彼女は続ける。「きっと上手くやっていける」

「そ、そうだな」俺は内心で頭を抱えていた。

「うん!」彼女は、やはり美しかった。そんな彼女は明瞭な口調で、それはもうはっきりと力強く断言した。

「絶対にセックスを求めない、約束する」

「……」約束しなくていいんだが?

「だから……」そこで言葉を切って彼女は、照れ隠しをするように一度視線を外し、しかしすぐにまたその大きな瞳に俺を映した。「だから、わたしを空韻そらおと君の彼女にしてください!」

「……」

 ちょっと前までは挨拶を交わすだけの関係だった美少女から、どうしてこんな尖った告白を受けることになったのか、それを語るには少しだけ時を遡らなければならない。



 そも、俺──空韻維月いつき──はぼっちではない。

 いや、物事の外形のみに着目して、ぼっち要件該当性を視野狭窄的な無知蒙昧さを以て検討した場合、その可能性がいついかなる時においても否定されるとみだりに断ずべきでないことは、過去の判例に鑑みると、明白とまでは言えなくとも肯定しうると言わざるを得ないという側面は、たしかにある。

 ただ、本件審理で争点となっているのは──そう、あくまで俺は一人が好きなのであって、クラスで浮いているから、とか、友達が欲しくても上手く馴染めないから、とか、そういうことではないということだ。

 ──というのはもちろん嘘で、小学校五年生のころ厨二病的かっこつけに目覚めてしまってから足掛け七年、高校二年生になった今でも〈孤高のクールキャラ〉を気取ってしまっており、いや、昔からそんなふうに振る舞いつづけてきたせいで引っ込みがつかなくなっていると言ったほうが正しいか──とにかく俺はそういう変わったやつとしてぼっち生活を送っていた(とても寂しい)。

 その日も俺は、屋上の扉の鍵を破り、立ち入りを禁止されている屋上に意気揚々と侵入して一人で昼飯を食べていた。教室の喧騒から逃れるためでもあるし、いつもどこで飯を食っているのかわからないミステリアスなやつ、と思われるためでもある。便所飯していると思われている可能性からは目を逸らさなければならない、という現実からも全力で目を逸らしつつ、柔らかな春の日差しの下、賞味期限の切れかけた調理パンにかじりついた。

 ──その時だった、屋上の扉が開いたのは。

 ぎぃぃ、とホラーゲームでよくあるあの音が聞こえ、びくりとして俺は振り返った。だ、誰だ? まさか先生にバレたのか、と先生恐々、もとい戦々恐々としていた。

 しかし、そこから現れたのは、我らが私立海市かいし高等学校二年A組が誇る一軍女子グループ様御一行であった。

 御一行様の内訳は、ギャルギャルしい見た目だがクラスで最も成績のいい夏目なつめ、黒髪ロングの姫カットだがオタサー姫感より極妻感のあるきつい顔立ちの右京うきょう、かわいい系の極致のような顔と重火器な胸部ブツを装備したスーパー男子受け女子なのに三人の中で一番ヒエラルキーの低い色葉いろは──これらキャラの濃すぎる美少女三人組が、俺の聖域に不法侵入してきたのだ。許せねぇよなぁ? 許せねぇなぁ!

 しかし俺は〈孤高のクールキャラ〉、

「ふっ」と小さく鼻で笑い、「バレちまったか」とつぶやき、さっさと消えようとおもむろに立ち上がt──、

「お、空韻いんじゃん!」インテリギャルの夏目が俺の名を呼んだ。てか、声がデカい。

 ビビったわけではないが、本能的な恐怖を覚え、蛇に告られた蛙化現象男子になっていたら、なぜか三人組はフェンスの近くにいる両生類であるところの俺に歩み寄ってきた。

 頭の悪い陽キャギャル(旧帝大A判定)特有の、すなわち他人のパーソナルスペースを破壊することに何の罪悪感も抱かないサイコパスな距離の所まで来た夏目は、

「へぇー」と感心したように言った。「なかなかいい眺めじゃん」

「ああ」俺はカッコつけて落ち着いた声音で(若干距離を取りつつ)答えた。「いいだろ、ここ」

 フェンス越しとはいえ、中核市としてそこそこ栄えている街が見渡せる。風も心地よい。空も見える。絶対タワマンよりいい。

「鍵を開けたのは空韻君なの?」

 聞き取りやすいきれいな発音でこう尋ねてきたのは右京だ。極道というよりアナウンサー感がある。髪型のセンスと顔立ちと喋り方すべてが矛盾していて、素人がプロットなしで書いた小説みたいなやつだ。つまり、男の欲望バリューセット女子の可能性があるということ──しかし、顔立ち的には人生をエタらせてくる焼き入れフルコース女子だから手を出そうとするやつはそれほど多くない。なので、

「あ、ああ──いや違う、今日、来てみたら開いてたんだ」と、さらりと非難の芽を摘んでおいた。だって右京って結構まじめなんだもん。怒られたくないもん、怖いし。

「そうなんだ、悪い人もいるんだね」色葉が純粋そうな様子でうなずいた。現代日本の闇と人間の業の深さを知らずに育ったらこうなるんじゃないかっていうほんわかした口調だった──彼女と話す時は胸に目が行かないようにするのに著しく精神力を消費するから、ある意味この中で最もヤベーやつだ。

「え、でもお前さっき、『いいだろ、ここ』っつったよな?」夏目が詰めてきやがった。そういうの良くないって。「ってことは、今日だけじゃないんだろ?」

 こいつ絶対、彼氏の浮気を目敏く察知して吊し上げる系女子だ、と恨みがましい視線をやり──たいところだったが、キャラを崩すわけにはいかない。

 肩をすくめて、「さぁ、どうだろうな」と痛々しい返事。たまに死にたくなるが、もはや条件反射なのだ。

「まぁ、ここにいるわたしたちも同類だけれど」とフォローのようなものを入れる右京。

「ね、それより早く食べようよ」色葉が言った。

 たわわな果実ではなく白く小さな手に目をやれば、手作り弁当らしきものをぶら下げていた。

「だな」と夏目はうなずいて、フェンスの所にあるベンチにどっかと腰を下ろした。

 さて、と俺は足を入り口に向けて、「じゃあ俺は行くわ」

「まぁ待てよ」しかし夏目が待ったを掛けてきた。

 何だよ、女三対男一なんて居心地最悪だから早く自由になりたいんだけど。

「せっかくだからお前も座れよ」夏目は男前な──圧迫面接という言葉を連想させる物言い。

「い、いやだって──」邪魔したらわりぃし、と続けようとしたのだが、

「わたしも空韻君とお話ししてみたいー!」と色葉が天真爛漫さを押しつけてきた。かわいいから余計タチが悪い。

 比較的に良識的な対応を期待できる右京に助けを求める視線を送った。反対意見を一つ頼む、と。

 しかし、

「あなただってまだ食べている途中だったんでしょう?」と俺の手元──食べかけのパンを一瞥。「追い出すのは忍びないわ」

 正しいことが人を救うとは限らないというのは、やはり真理である。

 やれやれという気持ちを抱いているかのようなアンニュイな表情を作りながら俺は、しかし内心では一軍女子様の機嫌を損ねないよう気を遣って昼休みを過ごさなければならなくなったことを嘆いていた。もしこの三人に目をつけられたら、と思うと身がすくむ。

 こうして、ヤクザ御用達の雀荘でイカサマを敢行して荒稼ぎするかのごときスリリングなランチタイムが始まったのだった。



 突然だが、クイズの時間だ。

 Q、目の前で三人の美少女JKが恋バナを始めた場合、彼女いない歴=年齢の陰キャ童貞はどうすればいいでしょうか?

 A、空を見上げて風になる→✕

「そういや、空韻は彼女とかいねぇのか?」

 夏目が悪気のない……否、嗜虐的な光を瞳に浮かべて尋ねてきやがった。

 Holy shit!クソがよ!

 麗らかな日差しに目を細めていとあはれしてたのに邪魔しやがって?! お前それでもわびさびとわさびを愛するジャパニーズギャルかよ?!

 と内心悪態をつきつつ、

今は・・いない」嘘は言っていない。取り立て助詞とか対比限定用法とか知らん。

「へぇ~」とニヤニヤする夏目。

「それなら前の彼女さんとはいつ別れたのかしら?」と今度は右京。

 おま、お前それ禁止カードだろ!? その質問は俺に効く。つーか、察して流せよ! 人の心とかないんか?! この極悪極妻JKがよ!

 無論、これらの罵倒はおくびにも出さずに、

「どうでもいいだろ、そんなこと」とクールに決める。

「どうでもよくないよ」色葉が悪意のなさそうな表情で言う。「わたし空韻君のこともっと知りたいもん」

「……」そういうのが一番やりにくい。善意らしき何かにはどう対処すりゃあいいんだ……?

「まさかとは思うが」と夏目が切り出してきた。「お前童貞なのか?」

「そそそんなわけねぇだろ高二にもなって」なぜこいつは男子高校生のちっぽけな幻想プライドすら叩き潰そうとしてくるのか? 悪魔の生まれ変わりなのか?「どどど童貞ちゃうわっ」

「その反応、完全に黒じゃない」右京はお行儀良くタコさんウインナーを口に運んだ。淑やかに(?)もぐもぐしながら俺が懺悔するのを待っていやがる。

「えー」色葉は不思議そうに、「かっこいいのにどうして彼女作らないのー?」

 天使かよ! 惚れてまうやろ! 童貞のチョロさをなめんなよ! エロ漫画のヒロイン以上の尻軽だからなぁ?!

 それはそれとして、ただ単にモテなくて童貞、というレッテルは〈孤高のクールキャラ〉には相応しくない。

 ので、過去に何度か使った言い訳を再び述べようと口を開き、「実はさ」と神妙な面持ちを演出。「信じてもらえないかもしれないけど」と更に前置きし──。

 何だ急に畏まって? と夏目が怪訝そうにし、もぐもぐと右京は黙々と箸を進め、「なぁに?」と色葉は小首をかしげた。

 掴みは悪くないと心の中でほくそ笑んで俺は、それを口にした。

「俺、セックスに興味ないんだよね」

「……」「……」「……」

 場が一瞬止まった後、

「またまたぁ~、そんなん絶対嘘だろ、男なんてみんなエロエロじゃん」と夏目──ごもっとも。

「たまにいるよね、こういうエロくないことがかっこいいと勘違いした男子」と右京──うるせぇ自覚はあるわ。

「ほ、ほほ本当なの?」と色葉──ん? やたらと動揺しているが、なぜだ?

 考えてもわからないことは考えない主義なので色葉のことは措いといて、

「ま、そういう反応になるよな」悲しそうな、そしてどこか儚げな雰囲気を醸し出しながら俺は言った。それから、「どうせだから少し愚痴ってもいいか?」

「はぁ? 愚痴ぃ?」夏目が語尾を上げて、

「本当に少しなら聞いてあげてもいいわよ」右京が二つ目の弁当箱を開け、

「き、聞きたいっ、聞かせて!」色葉がガッついてきた──だから何でやねん。

 ……ま、いいや、と流して、

「普通のやつはさ」と何様目線かわからない口ぶりで俺は話し出した。「恋愛感情があって、その延長線上には当たり前にキスとかセックスとかがあるじゃん?」

「まぁそうだな」夏目は、だから何だ? と言わんばかりだ。

「でも、何でか知らないけど、俺はそうじゃないんだよ」はぁ、と青に偽装した溜め息。「誰かを好きになることはあっても、そういうことをしたいという欲求が湧かないんだよ」

「んー」右京が顎に指を当てて考える仕草をし、「性的マイノリティの一種にそういうのがあったような……ええと何て言ったかしら?」

「まぁ、そこら辺のことは俺も詳しくはないけど、とにかく俺はそういうやつなんだよ」でさ、と挟み、「俺の理想とする恋愛って、何ていうか、その……」そこで言葉に迷うふりをすると、

「プ、プラトニックな感じ?」色葉が良さげな言葉を教えてくれた。

「そうそう、そんな感じ」とうなずく。「ハグや軽いキスぐらいでもう十分なんだよ。それ以上は、嫌なわけではないんだけど、できればやりたくない」

「それは嫌とどう違うんだ?」夏目は知的好奇心を顔に浮かべていた。

「食べ物に置き換えるとわかりやすいかもしれない。俺の場合は、空腹を感じることがないからできれば食べたくないって感じ。アレルギーを起こすわけでもないし、その食べ物を不味いと感じるわけでもないから食べれないわけではないんだけど、でもまったく腹が減ってないから好き好んで食べようとは思えない」

「あー」わかるようなわからないような、という声で夏目は相づちを打った。

 一方、色葉は、うんうん、としきりにうなずいている。

 そして右京は、「お腹が空かないなんて意味がわからないわ」とつぶやいていた。

「で、これの何が問題かっていうと、まず間違いなく相手側の持つ普通の恋愛観とズレてることだ──するとどうなるかってのはわかるだろ?」

 と三人を見回す。

「そりゃ長続きしないわな」あっけらかんと夏目。

「身体の相性は大切だものね」大人びた様子で右京。

「お互い嫌な思いしちゃうね」深刻そうな色葉。

「そうなんだよ」と俺は我が意を得たりとばかりにうなずいた。「俺だって似たような価値観の人がいたら恋愛したいって思うよ? でも、女の子って、というか大抵の人ってセックス大好きじゃん。なかなかそういうのなしでいいよって子はいない。そうなると結局上手くいかなくて別れることになる」──だからどうしても積極的にはなれなくてな、と自嘲的なニュアンスを吐息に込めた。

 ま、全部、〈孤高のクールキャラ〉、もとい〈ちょっと影のある孤高のクールキャラ〉を維持するための嘘なんだが。何だよ、セックスに興味ないって。ないわけないだろ。何ならヤりたい盛りですが?

「ふーん」夏目の顔には、まだ疑っています、と書いてある。「ま、話はわかったけど」

「つまり、あなたはセックスどころかキスすら未経験ということなのね」右京は平静な口調で言った。

「そうだけど、そこ確認しなくてよくね?」どSかな?

「で、でも空韻君の場合、仕方ないよ」俺の嘘をすっかり信じ込んだ様子の色葉が、優しい声色で言った。共感力が高いのか、少しだけ瞳を潤ませてさえいる。

 ……流石の俺も罪悪感を覚えるわ。しかし、俺にも譲れないものがあるというか、よくわからない強迫観念めいた縛りがあるというか。

「ところで今度はあたしの愚痴を聞けや」仕切り直すように夏目が言った。

 そして、夏目の元カレの不満について延々と聞かされているうちに昼休みは終わってしまった。

 この昼休みは、全然休んだ気しなかった……。



 その日の帰り際、教室を出ようとしたところで茶髪ボブカット小柄巨乳JK、つまりは色葉から声を掛けられた。

 振り返り、どうした? と目で問うと、

「えと、空韻君これから予定ある?」

 部活もやってないしバイトもやってないし友達も彼女もいないし暇ではあるが、なぜそれを聞く。いじめか?

「ないよ」と答え、言外で、なぜ、と尋ねた。

 ぱあ、と表情を明るくして色葉は、しかし、「あの、その……」ともじもじ。

 何だこいつ、と訝しみながらも急かすことなく黙して待っていると、

「空韻君、歌好きなんだよね……?」

 たしかに昼休みにそういう話も一瞬したけど。

「好きだよ」

 なぜ歌が好きか。

 元々耳が良くて音楽方面のことが得意だというのもあるが、一番の理由はそれほどお金を掛けずに一人で楽しめるからだ。歌うのだって近所にあるひと気のない河川敷なら自由だし、シャウトだってやりたい放題だからな!

 なお、たまに現れる堤防道路の通行人からは笑われることもある模様。……悲しいなぁ。

 色葉は続ける。「嫌じゃなかったらでいいんだけど、えと、カラオケに付き合ってほしいの」

「……」後ろを振り返った。誰もいない。つまりこれは俺に言っているのだろうか? まさかな……。

 返答すべきか否か判断に迷って沈黙していると、

「あ、ぁぅ、ぅぅ」色葉は明らかに狼狽していた。「い、いきなり言われても迷惑だったよねごめんなさい今までありがとう楽しかったよ空韻君との思い出は忘れないからさよなら」と円満寄りの別れ話めいた捨て台詞をまくし立てて去っていこうとしたので、

「ちょいと待えてぃ」条件反射的に江戸っ子風に呼び止めてその手を掴んでしまった。汗でじっとりと湿っていた。「あ、わりぃ」ぱっと手を離した。

「ぅ、うん」色葉は照れたようにうつむいた。

「……」で、どうすればいいんだ? 呼び止めておいて何だが、断ったほうがクールっぽい気はするんだよな……。

 ちら、ちら、と上目遣いに期待に満ちた瞳を向けてくる小動物に、「はっ、何でお前みたいなちんちくりんとカラオケ行かなきゃなんねぇんだよ? おうちに帰ってキャットフードでも食ってろ(嘲笑)!」と言うのは、すこーしだけ罪悪感が……。

「……ぅぅ」時間経過と共に色葉の顔が雲っていっている──今にも降り出しそう……。

「いいよ、行こう」俺は言った。

「!」一転、今度こそ色葉は、憂いのない鮮やかな笑顔を咲かせた。「ありがとう!」

「お、おう」

 純粋な感謝をまっすぐにぶつけられると怯んでしまうのは、強い光に慣れていないからだろうか。



 たいして親しくない女子と二人きりでカラオケに行く場合、何を歌えばいいのだろうか?

 自分の趣味全開で邦ロックや洋ロックを入れてもいいのだろうか? 

 それとも流行りのJ-POPを歌うべきなのか?

 あるいは日本人として演歌を全力歌唱するのが無難か……? これが一番正解に近い気はするが……。

 一人カラオケしか経験ねぇからわかんねぇや。

 てか、色葉は何を歌うんだ?

 というわけで、徒歩で駅前のカラオケ店に向かう道中、「色葉はどんな歌が好きなんだ?」と尋ねてみた。

 すると緊張した面持ちで、「ふ、普通の」と返ってきた。

「例えば?」

「え?! ええと……」と考えるような表情になり、「YOASOBI?」

「……」取って付けたような感じがするのだが。「結構難しいと思うけど、何歌うんだ?」

「一番有名なやつ」

「具体的には?」

「ぅーん? 『朝に歩く』だっけ」

「……『夜に駆ける』って言いたいのか?」

「あ、うん、それ」

「……」

 随分健康的な歌になったなぁ?! にわかってレベルじゃねぇぞ!? 絶対心○しないだろ?! 早起きして散歩に出かける熟年夫婦の歌だろそれ!!

 突っ込み待ちなのか? 突っ込まなきゃいけないのか!? 俺のキャラじゃないんだが?!

「空韻君は何歌うの?」

「ふぇ?」というのは俺の声である。不意打ちされたせいでちゃちなメッキが剥がれてしまった。ペタペタと修復。

「えーと」と今度は俺が言い淀む番だった。しかし考えても選曲の正解なんてわからない。

 ちら、と横目で色葉を見る。小柄で小動物めいた雰囲気ながら、どことは言わないが母性にあふれていて、こう、何つーか、ダメ男製造業で東証一部に上場してそう……。

 よし、正直に好きなアーティストを言おう。考えてもわからないなら思考放棄に限るぜ!

Linkin ParkリンキンとかONE OK ROCKワンオクとか」と答えた。

「!?」色葉は驚いたように目を見張り、「空韻君洋楽歌うの?!」うれしそうでもある。

「『空韻君も』って色葉も歌うのか?」

「あ……」しまった、という顔。

 二人で足を止め、顔を見合わせた。

「「……」」

 それから、俺は尋ねた。「YOASOBIは歌わないのか?」

「う、歌えるよ、たぶん」

 彼女らをなめすぎじゃないですかねぇ……。「曲名は?」

「……『朝に起きる』」

「さっきよりひどくなってんじゃねぇか! もはや外にも出てねぇじゃねぇか!!」

 ──はっ! と俺は正気に戻った。あまりにひどい間違いにメッキが弾け飛んでしまった。「悪い」と急に大きな声を出したことを謝ると、

「ううん」と色葉はかぶりを振り、「わたしのほうこそごめんね、ほんとは邦楽は全然聴かないんだ」と白状した。

「だろうね」再び歩き出す。

「うん」色葉もテクテクと歩を進めながら、「カラオケで洋楽を歌うと白けることってあるじゃない?」と聞いてきた。

「お、おう」一人カラオケ専だから盛り上がるも盛り下がるもないんだが……。

「だから、みんなが知ってそうなやつを歌おうと思って、それで嘘ついちゃって……ごめんなさい」

「い、いやいいんだ、その気持ちはよくわかる」いや誰かとカラオケ行ったことないんでその気持ちは全然わからんのだけど。「ジャズR&Bロックバラードからアニソン演歌国歌校歌まで邦洋問わず俺は何でもいけるから、気にせず好きなの歌えよ」

 色葉は頬を緩め、「よかった、空韻君をさそって」と、そして紅葉色に染め、「わたしたち相性いいかもね!」

「なんだこいつかわいすぎだろ」

 ──はっ! と俺は正気に戻った。しかし時すでに遅く、

「き、急にそういうこと言わないでよぅ」

 色葉は、ふい、と顔を逸らした。



 カラオケ店に入店すると、小さめの部屋に案内された。

 すると、「恥ずかしいから先に歌って」と色葉が言ってきた。どうやら彼女は言い出しっぺの法則を軽視しているようだった。

 とはいえ、こだわる意味もないので、肯首して俺から歌いはじめた。

 一曲目(俺)……「Numb」Linkin Park

 二曲目(色葉)……「Suffer」Charlie Puth

 三曲目(俺)……「Re:make」ONE OK ROCK

 四曲目(色葉)……「Inconsolable」Backstreet Boys

 この時点で俺は、おや? と思っていた。俺みたいなほとんど関わりのない陰キャをさそったのは、そういうことなのか? と深読みしてもいた。

 あえて対抗するように五曲目は、Bruno Marsの「Just the Way You Are」をガチに感情を込めて歌ってみた。

 色葉は目を閉じて静かに聴いていたように見えたが、途中でうたた寝していたとしても外形上は特に変化はないので俺にはわからなかっただろう。

 歌いおわると、パチパチパチと拍手が飛んできた。「すごい! すごい! すんごく上手いね! 今までで一番良かったよ!」

「そうか」となるべく素っ気なくなるように答え、椅子に腰を下ろした。

「もうずっとそれ聴いてたいって思ったもん」

 一見、明るくはしゃいでいるように見えるが、その表情の裏側に憂いの気配が潜んでいるように──考えすぎかもしれないが──俺には思えた。

「『just the way you are』って甘いだけじゃなくて」色葉は言う。「とっても優しい言葉だよね」

  直訳だと〈ありのままの君〉になるけど、この歌に込められた思いを考慮すると、

「『ありのままの君の、そのすべてを愛してる』って感じか」たぶん一生言うことのない台詞だn──。

「ねぇねぇ」と二の腕をつんつんされた。

「何?」やめろよな、童貞はボディタッチされると即堕ち二コマする哀れな生き物なんだぞ? 次の瞬間にはアへ顔ダブルピースしてるかもなんだぞ? そうなったらどう責任を取るつもりなんだ?

「空韻君は誰かを好きになったことはある?」

 何だ出し抜けに、とは思わない。それどころか、やっぱりそういうことだったのか、と得心さえしている。

 すなわち、

「失恋でもしたのか?」

 失恋ソングを続けているし、歌って自分を慰めたいのかなって。でも、夏目や右京は都合がつかなかったから、友達のいない俺の頭に白羽の矢をヘッドショットしたのだろう。俺にはまったく共感できないが、世の中にはお一人様に抵抗のある不可解な感性を持った珍種がいるらしいからな。色葉もその類いなのだろう。

 ふふ、と儚げにほほえんでから色葉は、「ううん」と小さく首を振った。「失恋はしてないよ、最近は」

「……」あれ? 普通に外した?

「わたしもね」心の奥底に隠した何かを掬い上げるかのように色葉は口を開いた。「空韻君と同じなんだ」

「……」何を言ってるんだろうこの娘さんは?「どういうことだ?」

「わたしもえっちなことに興味が持てないってこと」

「……」それ嘘なんです。正直今も視界の端に意識を集中してこっそりとあなたの豊満な果実を観察しています。本当にありがとうございます。

「わたしたちみたいな人のことは、ノンセクシャルっていうらしいよ」知ってた? と少女らしい澄んだ瞳が、童貞らしい性欲に塗れた俺の瞳を覗き込んだ。

「全然」と首を横に振った。「社会が押しつけてくるラベルになんて興味ないから」実に社会不適合者孤高のクールキャラっぽい台詞だと思う。

「そっか」色葉の小さな口からポツポツと言葉が零れ落ちる。「こんなわたしにも好きな人がいたんだよ」

「うん」ええやん、青春やん。

「一個上の先輩でね、中二の夏休み明けに先輩から告白してくれて、付き合うことになった」そこで少し笑って、「すごくうれしかった。毎日が幸せだと感じてた」

「うん」幸せそうで何より。

「けど」と暗く転調し、「先輩の受験が終わったころに、その……身体を求められてしまって……でもわたしそういうのわからなくて……怖くて……」

「うん」あらまぁ。

「『やめて』って、『わたしはそういうのできない』って言っちゃったの」

「うん」ごめん、正直先輩に同情するわ。こんなかわいい彼女を目の前にしてセックスできないってのは、かーなり辛いって。

「その時は先輩も、『わかった』『焦りすぎてた』『ごめんな』って言ってやめてくれたんだけど、少ししたらまた求めてきて……ディープキスは嫌って言ってたのにその時はいきなり舌を入れてきて……」

「うん」生々しいなぁ。

「先輩のことは大好きだったはずなのに……気がついたら涙があふれていて……また拒絶してしまって……」

「うん」いろいろきついなぁ。

「はは」と自嘲するように明るく笑って、「結局、その少し後に先輩には振られちゃったんだ」

「うん」性の不一致はしゃーない。切り替えてこー。

「それからはずっと一人。どうせみんなえっちできないってわかると離れていくんだって思うと、踏み出せなくて」

「うん」俺は今までずっと一人なんだが?

「……ちゃんと聞いてる?」

「聞いてるよ」俺は真摯な表情で大きく顎を引いた。「ただ、非常にコメントしづらい話ではある」

「そっか、そうだよね。突然こんな話されても困っちゃうよね」

「違くて、色葉の気持ちも先輩の気持ちもわかるから、どちらかを悪く言うことは俺にはできないって意味──普段から嫌だと言ってたのにいきなりディープキスはちょっとアウト寄りかもだけど、でも仕方ないことでもあると思うし、先輩が人としてダメとまでは思わない。もちろん──」嘘だけど、想像でしかないけど。「色葉の辛い気持ちは痛いほどわかる。好きでそうなったわけでもないのに周りから受け入れられないってのは、苦しいよな」

「うん……」

「しかも色葉は俺と違ってちんちくりんだから強引に来られたら防ぎようがないだろ?」

「ち、ちんちくりん……?」

「幾ら好きな相手でも無理やりされると恐怖とか嫌悪感はあって当たり前。それが尾を引いて恋愛に臆病になるのも道理だ」まぁその、と頭を掻き、「俺は彼女なんていたことないから恋愛のことはわからないけど、きっと色葉なら大丈夫だろ。理解してくれる人も出てくるって、絶対にな。学校で一番かわいいし純粋だし優しいし失恋ソング上手いしダメ男育成上手そうだし」

「ねぇ後半は褒めてないよね?」

「絶賛してるよ」

 色葉は半目になって、「からかってるでしょ」

「何で?」俺はすっとぼけた。「色葉が彼女だったら幸せだろうなぁって思うよ」セックスできないのはマジ勘弁だけど。

「……そっか」色葉は氷の溶けはじめたメロンソーダに口を付けた。こくり、と喉が動いた──何かエロいな……。

 こと、とグラスを置いて色葉は、「ありがとね」とほほえんだ。

「いいよ別に」興味のなさそうな口調を作って答えた。

 ふと、喉の渇きに気づいた。飲みかけのアクエリアスを煽る。欲望のままに液体を流し込むと、すぐに空になってしまった。

「わたし持ってくるよ」色葉は、いつもの優しげな声音で言った。「何がいい?」

「次はそっちの番だろ。俺が行ってくるよ」と腰を浮かせるも、

「いいからいいから」と太ももを押さえられた──おいボディタッチはやめろと何度言えばわか……一度も言ってなかったわ☆

 席を立ってドアに手を掛けたところで色葉は、立ち止まり、振り返った。その顔は真っ赤に湯で上がっていた。「つ、次はCarly Rae Jepsenの『Now That I Found You』を歌いたいから入れておいて!」

 そう言ってから返事も待たずに行ってしまった。

 一人残されたカラオケルーム。隣の部屋だろうか、調子外れの、けれど楽しそうな歌声が聞こえていた。

「……………………『Now That I Found Youあなたと出逢えたから』ね」その意味を味わうように俺はつぶやいた。

 今度は随分と恋する乙女の歌キラキラしたラブソングを歌うじゃねぇか。

「……」

 顔が熱い。今の俺、全然クールじゃないな。

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