白波さんと昔の話

「ああ、年内はダメですよって藤崎さんに言われました」

「そうか。私のせいで申し訳ないね……」

「いえ。一人で配信するのも楽しいですから」


 キッチンで料理をする余多君を眺めながら、私は申し訳なさそうな顔を作って見せる。

 話しかけるといちいち顔を上げて反応してくれるのが可愛らしい。

 あまり何度も声をかけても邪魔になるだろうと思って控えているけれど、本当はずっと私の方を見て話をしていてほしい。でも手料理も作って帰ってほしいから我慢だ。料理の感想を言うと、嬉しそうな顔をするし。


 実は藤崎さんに初めて余多君のことを相談した後考えたことがある。

 もしかしたら私は、余多君を独り占めしていたかったんじゃないかなって。本人がやりたいと言っていたことを手伝ったのは、余多君が喜ぶ顔を見たかったから。

 でも他の人にも認知されて、手元を離れて行ってしまうのは寂しい。


 そんな気持ちが私を暴走させたんじゃないのかなと、今は思っている。

 実際私は、余多君がいろんな人とコラボして、あっという間に人気者にならなかったことを喜んでいる節がある。

 彼の道を邪魔してしまったことは本当に申し訳ないと思っているのだけれど、私の中にそんな醜い気持ちがあることは事実だ。


 今はこうして仕事をしながら二足の草鞋でVtuverをしているけれど、収益化して、一人前に暮らせるようになったら、きっとそれもやめてしまうのだろう。

 そうしたらこの蜜月の関係も終わりだ。

 私はそれまでの間に、少しでも余多君の心を傾けられるのだろうか。


 ああ、そうか、私は余多君の笑顔を見たかったんじゃない。

 きっと、余多君に恩を売って、私を無視できないようにしたかっただけなのだ。

 どうやら心の奥底に抱いていた感情は、恋とかそんなものよりさらに醜いものだったのかもしれない。

 独占欲、それが裏返って罰が当たっているのが今の私なのかもしれない。

 嫌だなぁ……。


「……白波さん、元気なさそうですね。嫌いなものが入ってました?」


 表情には出していないつもりだったのに、余多君が珍しく手を止めて顔を上げていた。


「そうかな? 好きなものばかりだけど、どうしてそう思ったんだい?」

「なんとなく……? 多分白波さんが笑ってないからでしょうか……?」

「私、そんなにいつも笑ってるかな?」

「あ、えーっと、笑っているとは違うのかもしれませんけど……、いつもはもっと楽しそうな顔をしている気がしてたので……。今は、はじめて白波さんを見たときみたいな顔をしていました」

「自分ではわからないものだね。そういえば、はじめて余多君に会ったときって、私熱を出していたんだっけ」

「そうだったんですね」


 ああ、そうか。

 私にとっては驚きの3度目の再会だったあの日も、余多君にとっては日常の一コマか。

 

 余多君がここに初めて来た日、私は熱を出しているのを押して対応をしたんだ。新しい子の研修って聞いていたから、部屋をいじくりまわされてはと思って、念のためだったけど。

 そこで余多君は体調の悪さに気づいてくれた。

 私はそれがとても嬉しかったのを覚えている。あ、この子変わってないんだなって思った。


 運命の再会だと思ったのは、きっと私だけだったんだね。


 それはそうだ。

 だって私は昔の話なんか一度もしたことがないし、余多君だってその話を出したことは一度もなかったもの。



◇◇◇


 ピアノを演奏するのが好きだった。

 もしかしたら上手だって大人にほめられるのが好きだったのかもしれない。


 小学5年生の頃の話だ。

 外向けの発表会で、私は散々練習してきた曲を失敗した。


 自分でいうのもなんだが、身長も高く、今と変わらない整った顔立ちをしていた私は、多分話題性が高かったのだと思う。一時期はテレビに取材を受けたこともあるくらいだったが、今思えばそれは、実力からくるものではなかったのだ。


 いつもとは違う観客層。

 いつもとは違ってカメラがたくさん。

 

 そんな中で私は失敗した。

 うまくごまかしたつもりだったけど、失敗してからの演奏は頭の中が真っ白になっていたと思う。

 当然両親も先生も難しい顔をしていた。

 いくつかお小言を言われて、頭の中が真っ白なままテレビの取材をちょっとだけ受けて、私はトイレに行くと言ってその場を抜け出した。

 誰かが、お母さんかお父さんか先生が、私の気持ちを察して、追いかけて慰めてくれることを期待していたのだと思う。しかし誰も来やしなかった。ホールではまだ演奏が続いている。


 トイレの前にあったベンチに座って、私は一人座ってうつむいていた。

 目の前を数人が通り過ぎていく。


 小さな男の子が一人、私の前に立ち止まって、それからトイレに消えていった。

 誰もかまってくれやしない。

 演奏がうまくできない私なんて、価値がないんだって本気で思っていた。今思えばきっと大したことじゃなかったけど、子供時代の私は初めての失敗に絶望してたんだと思う。


 しばらくして、隣に誰かが座った。

 もう誰も近くに来ないでほしいのに。


 さっきまで慰めてもらうことを望んでいたくせに、私はそんな捻くれたことをもって、ようやく来た誰かに八つ当たりをしようと思って顔を上げたんだったと思う。


 しかしそこにいたのは私より小さな男の子で、顔を上げて目が合ってしまったことに私は怯んで黙り込んだ。


「…………なに、バカにしに来たの?」


 それでも立ち直った私は、そんなはずもないのに小さな男の子に向けて八つ当たりをした。男の子はそれでも立ち上がったり怒ったりせず私のことを見て首をかしげて見せた。


「なんで?」

「演奏失敗したからバカにしに来たんでしょ」

「ううん、演奏楽しそうだった。今は寂しそうだったから」

「楽しそう!? 楽しいわけないじゃない! 失敗したのに」

「……ごめんなさい。でも、途中までは楽しそうだったから」


 小さな子に向けて何をしてるんだろうって、子供だった私も思った。

 大きな声を出して謝らせたことを、その時はもう後悔していた気がする。


 

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