どろりとした感情

「おはようございます、お疲れ様です」


 土曜日にスタジオへ行くと、いつも通り弟と同い年くらいの男の子から挨拶をされた。背は小さいけれど整った容姿をしていて、この世の不幸とは無縁ですみたいなのほほんとした顔をしている。

 私はこの子が嫌いだ。

 先輩や副社長である藤崎さんからやけにかわいがられている。 


「……おはようございます」


 3人でいるときは聞こえないふりをして返事をしないこともあるけど、こうして挨拶をされて無視するほどの勇気はない。

 私が返事をすると、その子は嬉しそうに微笑んでくる。


「大堀さんも今日は配信ですか?」

「……そうですね」

「僕もなんです。土曜日はいつもお会いしますね! 白波さんがいつも大堀さんはしっかりしてて頼りになるって言ってて、お話してみたいなって」

「皆月さん」

「はい!」

「私、準備とかあるのですみませんけど」

「あ、ごめんなさい、お邪魔してしまって……」

「構いません、それでは失礼します」


 まるで小さな子供をいじめてしまったような嫌な気分だった。

 適当にあしらわれたことにイラつきでもしてくれればいいのに、本当に申し訳なさそうに俯くものだから余計に腹立たしい。

 私の機嫌を取るような話題も、なんだか嫌だった。


◇◇◇


 私のうちは貧乏だ。

 小さなころから住んでいるぼろいアパートに、母親と私、それから弟と三人で暮らしている。

 弟が生まれてすぐに外に女を作って逃げたした父親は、当然のように私たちを引き取らず、養育すら払うことことなく姿をくらました。

 母親は私たち二人をたった一人で育てたのだから、きっと立派なんだと思う。

 でも、毎日夜遅くまで働いて、行方不明のせいで離婚もできず、そして再婚もできず、同年代よりも10歳は老けて見える母親の人生っていったい何なんだろうって思う。

 

 でも私だって十分かわいそうだ。

 母親は自分で相手を選んで、結局離婚されたわけだけど、私は何を選ぶこともできずに小さなころから弟の世話ばっかりして育ってきた。

 古い貰い物の服。貰い物のぼろぼろのランドセル。学校が終わったら慌ててお家に帰って弟を迎えに行って……。

 同い年の子たちと馴染むことなんてできない。どんなに明るくふるまってみても、家にたった一つだけあるテレビにかじりついて話題をいっぱい作ってみても、私はいつものけものだった。

 だって皆みたいに時間も自由じゃないし、流行のアクセサリーの一つも手に入らない。


 そんな私が憧れたのは小さな箱の中で輝くアイドルだった。

 私もいつかオーディションを受けて、鮮烈なデビューから脚光を浴びて。

 そんな妄想が妄想に過ぎないことに気づいたのは小学生も高学年になったころだった。


 友達の一人がアイドルのオーディションに受かったって聞いた。こっそり耳を澄ませていた私は絶望する。

 レッスンが夜遅くまで大変で、衣装にもレッスンにもお金がかかって、車で送ってもらわないと間に合わなくて。


 無理だ。

 まだ小さな弟を一人で家においてレッスンなんていけない。

 衣装やレッスンに払うお金なんてない。

 お母さんは仕事で忙しいし、そもそもうちに車なんてない。


 私はアイドルになることを諦めた。

 所詮無謀な夢だったんだと思う。


 中学生になって勉強した。

 まじめに勉強していい学校に行って、それで、偉い人になろうと思った。

 推薦で公立の頭のいい学校に行けた。

 皆がお化粧して、恋をして、毎日楽しそうにしているのを見ながら私はいつも勉強してた。


 大学受験の話が出たころ、お母さんの勤めてた会社がなくなった。

 謝られながら、弟のために働いてほしいのって言われた私は、お母さんに笑って大丈夫だよって言った。多分笑って言えた、と思う。


 それから三年たって、私は20歳。

 高校を出てちゃんと事務の仕事に就くことができた私は、ようやくお金に苦労することなく暮らしていた。お母さんの仕事も落ち着いて、弟も高校生になった。

 ちょっとだけ貯金もできてる。


 でも、私に趣味なんてない。

 小さなころアイドルが好きだったけど、今じゃもう、見たいとも思えなかった。

 

 そんな頃、へらへらした同僚から勧められてYotuveを見るようになった。

 対して面白くもないと思っていたのだけれど、ある時Vtuverに出会ってしまった。


 キラキラして、ちやほやされて、人に夢や癒しを与える姿は、かつてあこがれたアイドルの姿に重なった。

 今なら多少のお金もある。

 

 これが自分に与えられた初めてのチャンスであるように思えた。

 成人したから何かをするのに母親に許可を取る必要だってない。


 私はすぐにVtuverの募集をしている会社を探して応募した。

 睡眠時間を削って勉強し、いくつかの面談を乗り越えて、そうしてようやく掴んだのが『リベルタス』の研修生という地位だった。


 『リベルタス』のタレントは、みんなどこか変わっていたり、浮世離れしたところがあって、あまり苦労をしてきた感じの人はいない。だからちょっと嫉妬もしてしまったけれど、しかしその分才能にあふれた人たちに見えた。


 ここで頑張るんだ。

 ここで私の人生を変えるんだ。


 そう思ってデビューまでこぎつけたとき、突然前触れもなく一人のVtuverがデビューした。しかも『リベルタス』から。

 オーディションを受けるでもなく、研修を受けるでもなく、本当に唐突にデビューをした。

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