水無月周のママ

 翌日、朝早くに目が覚めてしまった僕は、部屋の中を無駄にうろうろする。

 ちょっとだけ眠りが浅かった気がして、目覚めに目をこする。


 顔を洗ってから布団をたたんだ。

 汚れも見えない畳を掃いて、窓をなんとなくからぶき。キッチンのコンロにほんの少しついていた油汚れを入念にふき取って、まだ8時半。

 窓を開けると太陽が雲で見え隠れしている。もしかしたらどこかで天気が崩れるかもしれない。


 畳敷きのワンルームの玄関に座って、スタジオへ顔を出すかどうか考える。

 昨日遅くまで仕事をしていそうだから、今行っても藤崎さんいないかもしれない。

 もしいたとしても来るよう言われていない以上、僕が行っても邪魔になるだけかもしれない。


 傘の柄に指で触れてからやっぱりやめる。


 優柔不断だ。

 スマホの電源ボタンを押して、何か連絡が来ていないか確認してみる。

 

 何も来ていない。


 僕は玄関に足を下ろしたまま、ごろりと天井をむいて寝転がった。

 どんな姿が出来上がるんだろう。


 水無月周は僕になって、僕が水無月周になる。

 そのままでいいと言われたけれど、それで仲良くしてもらえるのだろうか。


 目を閉じてぼんやりしていると、段々と眠気が襲ってきた。

 何もしない怠惰な一日になってしまいそうだ。でも何も手につかないのだから仕方がない。


 


 電話が鳴る音がした。

 ぼんやりと浮上する意識の中で、名前を確認するとスマホの画面に藤崎さんの名前が映っていた。

 じたばたと手足を動かし正座をし、慌てて画面をスワイプする。


「お疲れ様です、皆月です!」

「……お元気ですね、おはようございます。早速で申し訳ないのですが、水無月周のキャラクター案をいくつか出しましたので、話がしたいなと。今キャラクターを起こしてくださる方にラフを描いていただいていますので、良かったらスタジオまでお越しいただけないかと」

「行けます、行きます!」

「……お待ちしております。あまり急がなくていいですから、道中気を付けてきてくださいね」

「はい、ありがとうございます」


 ぷつりと電話が切れたのを確認して時間を見ると、時間はお昼前に差し掛かっていた。

 ずいぶんのんびりと眠ってしまっていたみたいだ。

 慌てて靴をつっかけて、傘を手に取り家から飛び出す。


 数メートル進んでから鍵をかけ忘れたことに気が付き、慌てて戻ってしっかりと施錠をした。


 空はすっかり曇り空だけれど気分は晴れやかだ。

 気を付けてと言われたことを思い出して、僕は走らず早足で駅へと向かった。

 

 いつもは乗らないバスに乗って、スタジオ近くのバス停で降りる。

 

 土日でもスタジオは稼働しているようで、受付にはいつもの関西なまりのお姉さんが待っていた。


「皆月くん、来たんですね。藤崎さんが小会議室でお待ちですよ」

「ありがとうございます。この間のお部屋でしょうか?」

「ええ、そうですね」


 はやる気持ちを抑えながら、小会議室前で一度深呼吸をしてから扉をノックする。


「皆月です、入ってもよろしいですか?」

「どうぞ」


 扉を開けると中には藤崎さんと、パソコンに向かって作業をしている男性が一人いた。

 男性は小さな板に、ペンのようなものを走らせている。板には何も線が残っていないようだけれど、何をしているのだろうか。

 手元に注目した後顔を見て、その男性が見たことがある人であることに気が付いた。


 たまに穂村さんと一緒にスタジオから出てきていた男性だ。

 糸目で愛嬌のある顔立ちをしている。


「お、君が余多君? よくここの掃除してる子やろ?」

「こちらが余多さんのキャラクターデザインを担当してくださる白春はくしゅんさんです。うちのタレントのデザインを多く担当してくださっています」

「よろしくお願いします、皆月余多です」

「はいご丁寧にどうも。俺のことは親しみを込めて『くしゃみさん』って呼んでくれてもええで」

「くしゃみ、さん……?」

「なんかくしゃみの音みたいに聞こえるやん」


 はくしゅんでくしゃみの音。

 なんだかかわいらしい呼び名だ。


「白春さんも、ご自身のキャラクターで、うちのVTuverとして活動してくださっています。今のところ『リベルタス』に所属している唯一の男性タレントです」

「一応な、でもメインの仕事はこっちやで。んでもって、俺は一応イラストレーターって公表しとるからな。事実上は余多君が『リベルタス』初の男性VTuverになるわけや」


 なんだかその話だけ聞くとものすごく責任が重い気がする。

 僕がうまくいかないと、これから先の男性デビューが難しくなるということなのでは……?


「そんなに不安がらなくても大丈夫ですよ。その点に関しては私は心配していません」

「……頑張ります!」

「余多君真面目やなぁ。ま、本人と話してみたら、ちょっとイメージがまた浮かんできたわ。無理言ってきてもらって悪かったな」

「くしゃみさんが呼んでくださったんですか?」

「俺がイメージ湧かせるために呼んでやーってマネに駄々こねただけやで?」

「いえ! ずっと気になっていたので呼んでいただけて嬉しかったんです」


 ずっとパソコンの画面に目をやっていたくしゃみさんは、僕の方を見てからにんまり笑った。


「なんやこの子、偉いかわいいやん。本気で言うとるん? 演技とかやなくて?」

「多分本気だと思います」

「俺やったら休日に金にならん話で突然呼び出されたら嫌やけどなー。そりゃ建前では嬉しい言うかもしれへんけどなぁ?」

「私が急に呼び出したことを責めていらっしゃいますか?」

「いや、マネのはちゃうやん、ちゃんとお金になる話やん。でもいつもより色付けてくれるんなら素直に受け取るで?」

「考えておきます」

「よっしゃ、またやる気出てきた」


 また板の上にがりがりとペンを走らせるくしゃみさん。

 僕は藤崎さんに手招きされてくしゃみさんの対面に座った。

 横顔をこっそり見てみると、昨日よりもずいぶんと疲れた顔をしている。服も昨晩と変わらない。もしかしたら昨日からずっと仕事を続けているのかもしれない。


「余多さん、あの板が気になりますか?」

「……あれで、絵を描いているんですよね? スマホのように直接触るならわかるんですが、すごいなと」


 プッとくしゃみさんが噴出して笑う。


「ペンタブっていうんやで。家にはな、ちゃんと画面が映ってるようなでっかいのもあんねやけど、これは携帯用やね。VTuverになるのにホンマにパソコン関係に詳しくないんやな。ママになりがいあるやん」

「ママ?」

「くしゃみママやでー」

「VTuver界ではイラストレーターさんのことをママっていうんですよ。そういうことでいうのなら、くしゃみさんは輝夜さんのママでもあります」

「そうなんですね……」

「くしゃみママは多産なんやでー」


 聞けば聞くほど新しい単語が出てくる。

 勉強しないよう言われてしまったけれど、本当に勉強しなくても大丈夫なのだろうかと少し不安になってきた。

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