働き者

 始めるときも横でサポートしてもらうのを前提とするので、お勉強会はこの辺でということになった。

 本当は明日の休みもがっつり勉強をする話だったが、予定が変更になった。

 代わりに時間をかけて、僕、もとい『水無月周』の見た目を考えるのだとか。

 それが配信の中の僕の分身になるのだと思うと、少し緊張するし楽しみだ。

  

 窓を見るといつの間にか外はもう真っ暗だ。

 普段だったらもう食事を終えてのんびりしている時間だけれど、特別なことをしているというワクワク感のおかげか、眠気がさっぱり来ない。


「さてと、あまり遅くなっても良くありませんし、そろそろお開きにしましょうか」

「はい、ありがとうございます」


 時計は夜9時。

 藤崎さんがドアを開けてくれている間に廊下に出ると、玄関ロビーの椅子に、穂村さんが据わっているのが見えた。


「よっ、余多」

「穂村さん、どうしたんですか?」


 近づいて声をかけると、あきれ顔で迎えられる。


「だから美乃梨みのりって呼べって言ってんだろ。私の名前を呼ぶのがそんなに嫌か?」

「嫌じゃなくて、なんだか照れくさいというか。家の人以外を下の名前で呼んだことがないので……」

「その年で何の冗談……まじ?」


 スマホをポケットにしまいながら立ち上がった穂村さんは、僕のことを見て動きを止めた。

 そしてそっぽを向いて変な顔をしてから、僕の肩に手を置く。


「よし、今呼べ。美乃梨だ、美乃梨」

「あー、えっと、……美乃梨さん」

「できんじゃん。次からそう呼べよ」


 額を指でつつかれる。

 痛いというよりじんわりと温かいような気がした。


「穂村さん、余多さんをいじめるのはやめてください」

「いじめてねぇよ。マネこそ、余多のこと連れ込んで何してんだよ」

「連れ込むって人聞きの悪い」

「この間もこそこそ探り入れてただろ。あたしには知る権利があるんじゃねぇの?」


 僕を間に挟んで会話をされるといたたまれない。

 険悪、というほどではないのかもしれないけれど、二人の間に緊張が走っているのがわかる。

 藤崎さんの言葉は丁寧だけれど、感情の揺れがあまり感じ取れないので、表情を見ていないと余計に何を考えているのかわかりづらい。

 

 場所を少しずれて、二人の顔が見える位置に立ったところで丁度藤崎さんが話し始めるところだった。


「お話していいかどうかは、余多さんに決めてもらった方がいいでしょう。私としては別に構わないと思っていますよ」


 二人の顔が同時に僕の方へ向く。

 話していいのならば、僕としては穂村さんに隠すようなことは何もない。


「ええっと……、僕ここで配信の勉強をして、その準備をしてもらうことになりまして……」

「は? 余多って掃除の仕事してんじゃねぇの?」

「はい。ですから仕事っていうほど本格的にできるかわからないんですが、藤崎さんがまずはそれでもいいって言ってくれたので……」

「へー、お前パソコンとか詳しくなさそうなによくやる気になったな。もしかしてあたしがやってるから、とかか?」


 少し顔を近づけて「ん? どうなんだ?」と聞いてくる穂村さん、ではなく美乃梨さん。理由は違うけれど、それよりも気になることがあった。


「やっぱり美乃梨さんもVTuverされてるんですか?」

「……そこからかよ。ここに来てんだからしてるに決まってんだろ。あたしがここで何してると思ってたんだよ」

「俳優さんとかかと思ってました。美乃梨さん背が高いですし、美人なので」

「お前お世辞とか言えたのか、偉いじゃん。でもこんな髪色した俳優がいるわけねぇだろ」


 結構な勢いで背中を平手でたたかれた。

 お世辞とかではなかったんだけど。


「んでマネ、いつデビューすんの?」

「決めていませんができるだけ早くと考えています」

「ふぅん、名前とかは? あたしこいつなら一緒にコラボしてもいいぜ」

「水無月周、という名前にするつもりです」

「……みなづき? こいつの本名じゃんか。しかもなんかそんな奴うちにいなかったか?」

「字が違うでしょう。それから、同じ事務所に所属しているタレントの名前くらい覚えておいてください」


 小さくため息をついて藤崎さんが小言を言ったが、それでも思い当たらないようで美乃梨さんは首をかしげている。


「水無月輝夜さん、いるでしょう。彼女の弟という形でデビューするつもりでいます」

「……ああ、絡みないから忘れてた」

「うちのタレントってどうしてこう、仲間意識のない人が多いんでしょうか」

「ちゃんとここでほかの奴と収録してんじゃん」

「ここ以外では仲良くしている姿見ませんけどね。それでもあの二人よりはましですが」


 藤崎さんがぼやくように言ったことが気になって僕は問いかける。

 あの輝夜がほかの人と交流しようとしないなんてあり得るのだろうか。


「あの、輝夜ってあまりみんなと仲が良くないんですか?」

「……私が最初にコラボする相手はもう決めてる、と言ってすべて断ってくれていましたよ。何も教えてくれなかったんですが、つい先日ようやくその意味が分かったところです。もう一人も、なんだかすぐに篭絡されそうですから、余多さんは気にしないでいいですよ」

「はぁ……、そうですか?」


 気になることはあるけれど、聞くなといわれているような気がして僕は素直に身を引くことにした。

 輝夜が何かと心配をかけているようだし、僕は藤崎さんに迷惑をかけないようにしていきたいところだ。


「ま、余多がマネに連れていかれた理由は分かった。んじゃ帰ろうぜ、腹減ったし」

「え、ああ、僕のこと待っててくれたんですか?」

「じゃなきゃなんだよ」

「いえ……ありがとうございます、こんな遅くまで」

「まだ9時だろ、飯食っていこうぜ」

「穂村さんも余多さんも、11時までには家に帰ってくださいね。補導されてしまいますから」

「マネはまだ帰らねぇの?」


 送り出してくれた藤崎さんに、振り返った美乃梨さんが尋ねる。


「私はまだ仕事がありますので」

「もしかして僕に付き合ってたから……」

「いいえ、違いますよ。とにかく、気にせず帰ってください。ほら、早くいかないと食事をする時間が無くなりますよ」


 追い出されるようにして敷地を出た僕たちは、夜の道を数歩進んでから、振り返ったスタジオの中へ戻っていく藤崎さんを見送た。


「社会人って大変だな」

「いえ、藤崎さんが特別働き者なんだと思います」


 まだ十代で、社会人として一人前とは言えない僕たちは、そんなことを話しながら夜の帰り道を歩くのだった。


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