汚部屋のお姫様と僕の関係

 捨てるものを玄関にまとめてから、床に放り投げられている服を、アイロンをかける必要のあるものとそうでないものに分ける。

 中には下着も混ざっているが、僕と輝夜の間には、今更それにどうこう思うような関係性はない。ほんの一年とちょっと前まで同じ家で暮らしていたのだ。小さなころは一緒にお風呂に入っていたこともある。

 すっかり外面のいい美人に育ったけれど、中身は昔とあんまり変わっていないみたいだ。さっきの楽しそうに喧嘩をする姿こそ、彼女の本質だと僕は思っている。


 外へ出かけるとお澄ましモードになってしまうので、久々に元気にはしゃぐ姿見られてちょっと嬉しい。


 それにしてもさっきのは何だったのだろうか。

 輝夜が表情を変えるたび、左の画面に映った女の子も倣うように表情を変えていた気がする。

 よくわからない技術だ。

 もともと最新技術にはついていけていないけれど、最近ではますますそれらに疎くなってきている気がする。

 学校に通っていたころは、同級生たちや輝夜から勝手に情報が入ってきていたが、仕事を始めてからはあまり雑談も聞かなくなった。必要なこと以外を話すことが珍しいくらいだ。


「あー……」


 声を出すと男にしてはかなり高い声が耳に届く。

 だからといって女性と間違えられるほどではないと思うのだが、自分の耳に届く声と、人に聞こえる声はちょっと違うらしいからよくわからない。

 なんにしても輝夜の友達に変な疑惑を持たせてしまったのは申し訳なかった。

 後で謝っておこう。


 話をしているようだったが、掃除機はかけても邪魔にならないだろうか。

 声をかけて許可をとってもいいけれど、また邪魔をすると悪いから、掃除機は後回しにしようかな。

 とりあえず空気の入れ替えだけでもと窓を開けてみると、ぬるい風が部屋の中へ流れ込んできた。額に浮いた汗を、バッグから出したタオルで拭う。

 ぬるい風でもないよりは少しマシだ、初めから開けておけばよかった。


 先に昼ご飯の用意でもしようかな。

 掃除機をかけるよりは騒がしくないはずだ。


 台所へ場所を移して換気扇を回す。


 オーブンの上に置かれた食パンの表面に、ほんの少し緑色の何かが付着しているのが見えた。

 捨てよう。この時期はまだまだ湿度が高いので、食べ物がすぐにかびてしまう。


 冷蔵庫を開けると、中には飲み物が大量にストックされていた。横並びになって積みあがった缶は、体に悪そうな毒々しい色合いをしている。スーパーで見かけても僕が手に取らない類の飲み物だ。

 高いし、薬缶で作った麦茶が好きなので。


 逆に言えばそれ以外は、僕が用意した調味料の類しか入っていない。

 先月まではもうちょっと何か入っていたのだけれど、どんな心境の変化だろうか。


 こんなことなら最初に中身を確認するべきだった。

 いつもはそうして、なんとなく昼の献立を考えたり、足りないものを買い足したりしているのだけれど、今日はバタバタしていて忘れてしまった。


 どうしようかな。

 冷蔵庫を一度閉めて立ち尽くしていると、扉が開く音が聞こえた。


「あっつ!! あー君、クーラーつけなよ!」

「ん、ごめん、使ってない部屋だからいらないかと思ったんだけど」

「あー君がいるじゃん、熱中症になったらどうすんの」


 ぴっぴと操作音が聞こえると、空調機がうなり声をあげて動き出す。電気代がかかりそうだ。自分のために人の家の電気を勝手に使うのは気が引ける。自分の家でさえ最低限しか使わないようにしているのに。

 九月に入ってからは朝晩がほんの少し涼しくなってきたから、扇風機を適宜利用しながらぼんやりと夜を過ごす毎日だ。家では特にやることもないので、夕食を食べてしばらくしたら眠り、朝日が昇る頃に目を覚ます、老人のような生活をしている。


「まさか、家でもクーラー使ってないとか言わないよね?」


 どうしてわかったのだろう。

 たまに輝夜には考えを見抜かれることがある。何を考えているのかわからないと言われることが多いのに、さすがは幼馴染だ。


「そんなことより、冷蔵庫に食べるものが何もないよ」

「そんなことじゃない。クーラーはちゃんと使わないとダメだよ」

「……お金がかかるし」

「あー君、そういうこと言ってるとパパとママに頼んで、もうお金受け取らないように言うよ? いいの?」

「……クーラーつけるよ」


 僕は輝夜の家に十年と少しお世話になった。

 ただ蒸発した父と亡くなった母の友人だったからというだけで、他人である僕を何の不自由もないように育ててくれたのだ。

 実の娘である輝夜と同じくらい大切に扱ってくれた。


 だからこそ僕は、せめて返せるものは返したい。

 養育費は月に十万円くらいはかかるらしい。一年で百二十万円、十年で千二百万円。


 輝夜の両親は頑として受け取らないと言っていたけれど、それを輝夜が説得してくれたから、今僕はそれを支払うことができている。

 代わりに僕は約束をした。


 きちんと三食食べて健康に暮らすこと。

 困ったことがあれば相談すること。

 何か自分のやりたいことを見つけること。


 一つ目は気を付けてる。

 二つ目も問題はない。月に一度こうして輝夜の家を訪れるように頼まれているのは、もしかしたら輝夜のことではなく、僕のことを心配してのことなのかもしれない。

 三つめは……。

 三つめは何も見つかっていない。

 僕は何がしたいんだろう。

 今のところその問いの先はまだ真っ暗闇で、とっかかりすらつかめていないのが現状だった。

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