2023.3.22 息子も二者択一。アルジャーノンに花束をについてツラツラ

 昨日の「キツイかもしれないが皆でゲームするか、先生と二人でゆったり過ごすか」を、子供に聞くことができた。


 大きい声出す子がいたり、早く早くって言われたり、するかもしれないよ? 知らない子がいっぱいいるよ? 等々。

 想定されていたこと全部そのまま伝えて、聞いてみたところ、

「ゲームするほうでいい?」

と。


 二回聞いて、皆でゲーム、のほうを選んだので、デイに電話で伝えた。


「朝の時点でぐにゃぐにゃで、辛そうとか無理そうだったら、先生と二人でゆったり過ごすのに変えるからね。それでいい?」と伝えたら、わかった、と言う。


 その会話もデイに伝えて、朝の時点での判断をお願いした。

 とりあえず、あとは前日に早く寝かせるようにしないとな。



🐦🐦



 今日は一日中、ずっと「アルジャーノンに花束を」の事ばかり考えていた。

 あの小説にカクヨム風にレビューをつけるとしたら、どんな風に書くだろう。星三つじゃ足りなすぎるんだが。(考え方がカクヨムに毒されている……?)


 それにしても、映像化されるとき、アリス・キニアンとの恋愛は丁寧に描かれやすいけど、あの話のテーマは「恋愛」ではないわけだから、そこをもっと強く映像でも感じさせてくれないかなぁ、なんて思う事しばしば。

 原作が訴えてくるものを、もっと強くもっと抉るように見せてくる映画は無いかなぁ。今のところ原作が最強なんだよ。


 アルジャーノンが迷路を走るあのグルグルとした辛さ、痛みのようなものや、「手術前の自分は人間でなかったと言うのか」という怒り、「どうかついでがあったら、うらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやってください」という一文に込められたズッシリとした、一つの生への尊重感。

 かなり知能が退化した状態になってなお残る、「誰に、単なるネズミ一匹と言われようと、ぼくは、アルジャーノンに花束をそなえたい」という、「頭が良くなくなってしまった、ネズミ一匹(イコール、人間)」を尊重したいという確信のような感情。


 ああいうものがあの作品を名作にしているのであって、そこの描写が弱く感じると、なんだか勿体無いように思ってしまう。


 いや、好きですよ、恋愛ものは。

 でもあの小説は、恋愛の部分ばかり丁寧にやればいいような作品じゃないだろう、という。


 小説を愛しすぎて攻撃的になってる気がするのでこの辺で。

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