14 ノックノック


 マルガレットは今、王宮にいた。今日より正式にジスデリアの婚約者として王宮で暮らすことになったからだ。つい今しがた王宮に到着したばかりの彼女は執事に案内されマルガレットの自室となる部屋へと向かう。


 なんだか随分奥の方まで行くのね。住居区の中でもかなり外れた場所な気がするわ。


 しばらくするとようやく執事の足は止まり、こちらになりますと言って部屋の扉を開く。促されるままに入室すると想像以上の部屋の広さにマルガレットの心が騒いだ。


「いいのでしょうか……こんなに広くて素敵なお部屋」

「もちろんでございます、ジスデリアさまの奥方となるお方ですから。家具も全て一級品をご用意させていただきました」

「ありがとうございます、とても嬉しいわ」


 先ほどは自分の部屋が奥まった場所であることに少なからず不満な気持ちもあったが、部屋の日当たりが良いことに気づくとすっかりご機嫌だ。これならお昼寝をするのにもぴったりだとマルガレットは頷く。

 部屋を見渡していると、ある人物がマルガレットに近付いてくる。その人物に気付くとマルガレットは顔を綻ばせた。


「ベルタ!」

「お待ちしておりました、マルガレットさま!」


 侍女であるベルタはマルガレットの王宮への移住に伴い一緒に着いてきてくれたのだ。環境に慣れるため一足早く数日前より王宮に住み始めているようだった。王宮内に親しい人間があまりいないマルガレットにとって同年代のベルタの存在はとても心強かった。

 部屋の中には他にも数人の使用人の姿があった。王宮の専属の者なのだろう。マルガレットに気づくなりそれぞれ作業の手を止め深くお辞儀をした。


「申し訳ございません。マルガレットさまのお気に入りの家具やお召し物の搬入自体は昨日中に済んでいたのですが、まだ少し片付いていない状態なのです」


 ソファやテーブル、ベッドなどの王妃が事前に用意してくれた家具は既に設置が完了している。自分の邸から運び出したジュエリー類を収納するためのチェストや間接照明のランプも設置済みにも関わらず、ドレスなどの衣類はほとんど片付いていないようでソファの上に山積みになっている。


「何かわたくしにも手伝えることはある? 例えば服をクローゼットにしまうとか」

「そんな、とんでもございません。ただいまソファを空けてすぐにお茶をお淹れいたします」


 もしかしてわたしがいては皆やりづらいかしら。まだ二人きりならベルタものびのび作業ができるでしょうけれど、ほかの使用人もいると返って気を遣わせてしまいそうね。


「ねえそれではここは任せて王宮内の散策をしてきてもいい? 数時間は戻ってこないと思うわ」


 周りの使用人たちにも聞こえるようにあえて大きな声で言う。


「かしこまりました。お気遣いいただきありがとうございます。お気をつけていってらっしゃいませ」

「ううん、いってくるわね」



 部屋を飛び出してみたもののマルガレットは困っていた。自分なんかが勝手に王宮内を歩き回ってもいいのだろうか。ジスデリアの婚約者であるマルガレットは十分堂々としていてもいいのだろうが、今日来たばかりの身としては正直まだ感覚は部外者だった。幼いころは何も考えず王宮内をよく歩き回ったものだがこの歳になるとそうもいかない。

 城内の廊下を歩き続けて辿り着いたのは中庭の薔薇の庭園だった。以前訪れたときは夜だったからあまりよく見えなかったが、明るいうちに改めて見ると様々な品種の薔薇があることに気づく。同じ赤でも品種によって花びらの形や枚数、それに色味がだいぶ違う。近寄ってみると香りまでもがそれぞれ異なった。


 あの夜、ジスデリアさまに薔薇を差し出されたときは不覚にもどきっとしてしまった。


「――だってあんなのずるいわ、星の瞳に見つめられたら誰だって」


 あのときジスデリアは自分たちが親しくしていることを家族にアピールするためと打算的な理由でマルガレットに薔薇を与えたが、効果は見事覿面てきめんだった。二人が家族の元へ戻ると、それにいち早く気付いたアメリと王妃はニヤつきを抑えることなく「若いって素敵ね」「一輪の薔薇だなんてロマンがあるわ」と頷き、そして酒を煽った。


 そういえばジスデリアさまは日中の間、何をされているのかしら。執務中、それとも読書とか? 

 ……想像つかないけれど、なんにせよ挨拶くらいはしておかないと失礼よね。


 ジスデリアと顔を合わせるのはあまり気が進まないがこれからさらに顔を合わせる機会は増えていくだろう。少しずつ苦手意識を減らしていきたい。さっと挨拶だけしてすぐにその場を去ればいい。マルガレットは踵を返して居住区エリアに向かって歩き出した。


 

 十分ほど歩いてようやく住居区エリアまで戻ってこれたけど、肝心のジスデリアさまの部屋がどこにあるか分からないわ。きっとそんなに遠くはないと思うのだけれど。


 ちょうど向かいからくるメイドに気が付いたマルガレットはやや駆け足で、そのメイドに近付き声を掛けた。


「あの、ちょっといいでしょうか。ジスデリアさまのお部屋を知りたいんですけど」

「……ジ、ジスデリア殿下のお部屋ですか」


 ジスデリアの名前が出た途端にメイドの顔が強張る。その表情に気づいたマルガレットは突然王子の部屋の場所を聞いた自分をメイドは怪しんでいるものだと思った。


「あ、わたくし、マルガレット・ジルスチュアードといってジスデリアさまの婚約者になったのだけれど本日よりこちらの王宮でお世話になるからそのご挨拶にと……」

「マルガレットさまのことは存じております! ただ、その……」


 どうやらマルガレットが怪しまれているというわけではないようだ。


「一介の使用人である私はジスデリアさまのお部屋までご案内することは出来かねます。大変申し訳ございません。……場所をお伝えすることはできますので、恐れ入りますがご自身で行っていただいてもよろしいでしょうか」

「……ええ、」


 ジスデリアさまの部屋まで案内することができない? 部屋に入るわけでもないのに? 


 きっとメイドは自分の仕事で忙しいのだろう。そう結論付けたマルガレットは彼女を引き留めてしまったことを申し訳なく思い、ジスデリアの部屋の場所を聞くと深くお辞儀をして礼を述べその場を後にした。


 メイドに言われた通りの道を進むマルガレットは不思議だった。自分の部屋ですら住居区エリアの中でもかなり奥のほうだというのにジスデリアの部屋はそのまた更に奥にあるという。城内の廊下を真っ直ぐ歩き続けると、やがて周りの景色は森に包まれ始めた。城の裏手まで回ってきたようだ。


『道なりに真っ直ぐ進んでください、すると少しずつ廊下の外の景色が変わってきます。行き止まりまでいくと、鉄の扉があります。……そちらが殿下のお部屋です』


 あった、鉄の扉だ。しかしこれは部屋というよりも物置の扉だった。城のこんなひっそりとした場所にジスデリアがいるというのだろうか。恐る恐るドアノッカーを二回叩いた。


「ジスデリアさま、マルガレットです! 本日よりこちらでお世話になることになりましたのでご挨拶に伺いました」


 返事がない。やっぱりここがジスデリアの部屋だなんてありえない。きっと先ほどのメイドは何か勘違いしていたに違いない。


「……いいよ、開いてるから入って」


 気だるげなその声の主は間違いなくジスデリアのものだった。

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