10 花芽く舞踏会


「き、昨日も勘違いされていたようですけど、わたくし別にキースさまのことお慕いしてるわけではありませんから」


 そう言いながらもマルガレットの頬は淡いピンクに色付いていた。


「ふーん、まあなんでもいいけど。あんまり遅くなってみんなに変にからかわれたりするのも嫌だしそろそろ食堂に向かおうか、ついておいで」

「は、はい」


 食堂に入るとすでにマシューやオデットも到着しており、つまりジスデリアとマルガレット以外の全員が揃っていた。

 席にはそれぞれの家族が向かい合わせになって座ることになった。主役のジスデリアとマルガレット、両家の両親、キースとヨシュアの順である。


 今夜は両家の顔合わせで祝いの場という名目のため食堂には豪奢な飾り付けが施されていた。長テーブルには等間隔で中に薔薇の花びらが閉じ込められた蠟燭に火が灯り、それぞれの席には鏡のごとく磨かれたシルバーのカトラリーや金のゴブレットが並んでいる。


 晩餐が始まると、お通しのアミューズやオードブルが順番に出されていくたびにジスデリアは味や見た目のリアクションをしてみたり両親たちやよく喋るヨシュアの会話に元気よく相槌を打ちながら何とかやり過ごしたが、向かいに座るマルガレットはどうも会話に参加する気はあまりないらしく黙々と食事を進めていた。

 基本的に口数の少ないキースでさえ会話に耳を傾けているというのに、マルガレットはジスデリアが想像していたよりも随分マイペースな令嬢のようだ。


 とはいえ、そうなるのも無理はないかとジスデリアは思い直した。

 母親は元々従姉妹同士、父親たちも宝石の取引をきっかけに親しくなり、キースとヨシュアは歳が近く気が合うことから十年来の友人関係。それぞれ話が弾むのも頷けた。

 それに引き換えジスデリアはマルガレットと再従姉妹に当たるとはいえその事実を知ったのはつい昨日のことだし、お互い昨日の今日で婚約者と言われてピンと来るわけもなく、その上マルガレットへの悪態を当の本人に聞かれるという大失態。


 今更親しく話せと言われる方が無理な話だよね、この子も概ね同じような気持ちに違いない。少なくともぼくのことを良くは思っていないだろう。

 だいたいこれでは両家顔合わせというよりも本当にただの仲良し家族同士の晩餐会じゃないか。馬鹿馬鹿しい。


 魚料理が出てくる頃にはすっかり話題は商いの話に移っていた。


「まあ! それでは今はヨシュアが商会の代表なのですね。若いのに立派ですね」


 オデットの言葉にヨシュアは皿に盛りつけられている蒸し焼きのタラを切り分ける手を止めて、その美しい顔立ちからは想像できないほど子供のようなくしゃっとした表情で目を細めた。


「父に比べたら私などまだまだです。でもやり甲斐はありますね、いずれはもっとたくさんの国に支店を持つつもりですよ」

「ヨシュアは向上心の高い子なのね」

「そうよオデット、ヨシュアは自慢の子ですもの」


 オデットもジルスチュアード公爵夫人も身内しかいないからなのか、それとももうアルコールが回ってきているからなのか随分砕けた話し方になっていた。キースも会話に直接混ざることはなかったが興味深く三人の話を聞いている。

 今度はマシューと公爵が喋りだした。


「スティングよ、先日頂いたワインも味わいが深く大変気に入った。やはりデッチ地方で採れる葡萄はよいな」

「おお、それは喜んでいただけて何より。同じデッチ地方のもので他にもおすすめがありますのでまた近々お贈りさせていただきますよ」


 二人はどうやら酒の趣味が合うようだった。

 アルコールに強いマシューと公爵は次々にワインのボトルを空けていく。次ので四本目だった。


 しばらくして肉料理が運ばれてきた。牛フィレのポワレだ。フライパンで軽く焼き目を付けられたそれは食欲をそそる油の甘い香りがしている。

 各々が会話に夢中になっている中、マルガレットだけは違った。皿が目の前に置かれた瞬間くんくん匂いを嗅いでいる。そっとナイフを肉に差し入れ一口サイズに切り込みを入れると、ゆっくりと口に運び入れた。

 なんとなくジスデリアはその様をぼんやりと眺めていた。マルガレットは頬に手を添えるとうっとりした表情で肉を咀嚼していく。


「……おいしい、とっても幸せ」


 マルガレットのそれは独り言であったが、その様子を眺めていたジスデリアにはしっかりと声が届いていた。マルガレットもまさか自分の独り言が誰かに聞かれているとは思っていなかったからジスデリアと目が合った瞬間、恥ずかしさから咄嗟に目を逸らした。


 なんだか既視感があると思ったらローズベリーと食べ方が似ているんだ。それはもう美味しそうに食べる。さすが姉妹なだけあるな。


 ジスデリアはほんの少しだけ幼少期の思い出が懐かしくなった。

 

「そういえば昨日マルが疲れて休憩室で休んでいたときにジスデリアさまが付き添ってくださったそうですね。二人はどんな話をしていたのかしら」

「あらジス、それは本当なの? ぜひお母さまもお聞きしたいわ」

 

 突然話題を振られ焦ったジスデリアとマルガレットはほぼ同時にそれぞれの母親の顔を見た。オデットも公爵夫人もだいぶ酔っているようだ。話題に関心を持ったマシューと公爵の視線も集まる。

 ジスデリアが横目でマルガレットを窺う限りマルガレットは相当動揺していた。


 マルガレットは頼りになりそうもない。ぼくが何か言わないと。

 ジスデリアが頭を働かせて言い訳を考えていると先に口を開いたのはなんとマルガレットであった。


「ええ、ジスデリアさまとお話をしましたわ」


 この子まさか余計なことを言ったりしないよね。ジスデリアは少し不安に感じたが、淡々と答えるマルガレットは普段の様子とは違い凛としていた。


「印象的だったのは昨夜の舞踏会で提供されているドリンクの話題についてですわ。実は提供品の一部はジスデリアさまが考案されているそうなんですが、開発までの裏話などもお話ししてくださって。実際にそのドリンクも頂いたのですが、すりおしたレモンが入ったノンアルコールスパークリングは後味がすっきりしていて本当に美味しかったです。ジスデリアさまはセンスのあるお方なんだなと思いました」


 マルガレットは言い淀むことなくつらつらと言ってのけた。

 舞踏会の提供品の一部をジスデリアが考案したのは事実だったが、それを話したのは休憩室ではなくダンスホールを後にしてからの数分の間のことだし、何より開発の裏話など話していない。

 彼女は見事この数秒の間に些細な話題を引っ張り出し、作り話を挟み込むことであくまでジスデリアのことを立てたのだ。

 余裕たっぷりに微笑むマルガレットと目が合う。ジスデリアも負けじとマルガレットに乗っかった。


「ええ、とても自信作なんです! きっとまだ材料も残っているでしょうからもしよければこのあと用意してもらいましょう」


 酔いの回った公爵夫人は嬉しそうに頷いた。


「まあそれは楽しみですわ、ジスデリアさま」


 それから食後のデザートと一緒にジスデリア考案のスパークリングも振舞うと実に大盛況だった。

 大人たちはこのあともしばらく酒を交えながら談笑を楽しむべくサロンへ移動するらしい。マシューにお前たちも来るかと尋ねられたが、これ以上素面の状態で自分たちが楽しめるとは思えない。


「お父さま、ぼく少しだけマルガレットと話してもいいかな。少しだけ二人きりにさせてよ」

「そうか、それはすまなかった。どうぞ行ってきなさい」

「ありがとうございます」


 ジスデリアは少しだけ前屈まえかがみになるとマルガレットに小声で話しかけた。


「ねえ、ちょっと抜けて少し話がしたいんだけどいい?」

「は、はい、ジスデリアさま」


 ジスデリアはにっこり微笑むとマルガレットの手を引いて食堂を後にした。

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