05 もう一つのブルー


 幼い子供のようなあどけない笑顔を見せるジスデリアは実年齢よりもずっと若く、まるで青年というよりも少年のようだ。


「ジス、いきなりどうしたんだ」

「兄さんが女の子と話してるの珍しいなと思って、気になって来ちゃった」


 ジスデリアは単純にマルガレットがどんな令嬢なのか気になって近付いてきたらしく、首を傾げながらきょとんとした様子でマルガレットを見つめた。


「きみは確か……」

「申し遅れました。こうしてお会いするのは二年ぶりですので、すぐに分からないのも無理はないかと思います。わたくし」


 マルガレットは失礼の無いようジスデリアに向き直り名を告げようするが、ジスデリアのああと間延びした声によってかき消された。


「きみはジルスチュアード公爵家のマルガレット嬢だね」


 口元にはきらりと白い歯が綺麗に並んでいた。ジスデリアはまるで絵に描いたような王子であった。


「王子殿下に覚えていていただけて光栄です」

「もちろん覚えてるよ、こんなに可憐なお嬢さんを忘れるわけがないもの。それにさっきのダンス見てたよ」


 ジスデリアはゆったりと優しい笑みを浮かべた。対してマルガレットは控えめに微笑むだけ。単に上手い返しが浮かばなかったからだ。

 

 第二王子のジスデリア・ヴィントルーヴは兄のキースとは何もかもが正反対の人間だった。

 顔のパーツも真夜中の空みたいな艶のある黒髪もそっくりな二人なのに、見せる表情や纏う雰囲気があまりにも違いすぎる。


 厳格な性格で近寄りがたいオーラを放つキースと引き換え、ジスデリアはいつだって笑顔を絶やさずその懐っこい性格から人を惹き付けるカリスマ的魅力があった。


しかしマルガレットはそんなジスデリアがどうも苦手であった。


 二年前にジスデリアと顔を合わせたとき、マルガレットは漠然と彼をローズベリーと重ねた。

 キラキラと希望に満ち溢れた表情で自分に対して微笑むジスデリアを見て、きっと彼も姉のように何でも完璧にこなし、欲するもの全てを手に入れ、自分とは違う次元を生きる人なのだと静かに悟ったのを今でもよく覚えている。


「マルガレット、もしよければぼくとも踊っていただけませんか」


 そう言ってジスデリアは自身の手を優雅にマルガレットの前へと差し出した。唐突なダンスの誘いに驚いたのはマルガレットだけではない。キースはほんの少しだけ目を見開いたが、それも一瞬のことですぐにいつもの無表情へと戻した。ただ、ジスデリアが女性をダンスに誘うのは珍しいから興味深かった。


 マルガレットも突然の誘いにたじろいだが王族であるジスデリアからの誘いを断れるわけにもいかないし、なによりジスデリアがあまりにも優しい表情でこちらを見るものだからマルガレットも自然と手が伸びていた。


「もちろんですわ、ジスデリア王子殿下」

「よかったー! 断られたらどうしようかと思ったよ」

「と、とんでもないです、王子殿下のお誘いを断るだなんて」

「ふふ、ならいいんだけど。それじゃあ兄さん、少し行ってくるね」


 キースが小さく頷く。マルガレットは持っていたグラスを近くの給仕に任せ、ジスデリアに手を引かれ再びダンスホールの中心に立った。

 

 キースと踊ったときほどではないが少しだけ緊張する。そわそわして周囲の様子を窺うと、視界の端でキースとヨシュアが並んでこちらを見ているのが映った。どうやら二人は無事に合流できたようだ。


「ね、緊張しているでしょ」


 ジスデリアはいたずらっ子のように目尻を下げ何やら楽しそうだ。


「ジスデリア王子殿下はいじわるでいらっしゃるのですね」

「そんなことないよ、それからその王子殿下っていうの堅苦しいし止めない?」

「ジスデリアさま、とお呼びしてもよいのですか」


 うんうんそのほうがずっといいなとジスデリアは口元を綻ばせた。


 ジスデリアのさりげない気遣いによりいくらか緊張が収まった。気持ちに余裕のできたマルガレットはふとジスデリアの衣装が目につく。


 キースとは対照的に白を基調としたタキシードだったが、同じく金の装飾が施されていた。

 生地が細かいジャガード織りになっていることに気付くと、自分のドレスと同じ生地だなんてなんだかまるでペアルックみたいとマルガレットはぼんやり思う。


指揮者がタクトを構えると、それに合わせて演奏者も一斉に構えの体勢を取りホールに緊張感が走る。

 始まるわと緊張感から息を呑む彼女を安心させるべく、ジスデリアはマルガレットの手をぎゅっと握りなおした。


「マルガレット、今はぼくのことだけを見て」


 ホットミルクにはちみつを入れたときのような、そんな優しい甘さが胸の中に溶けていく。


 演奏が始まった。曲調に合わせてステップを踏んでいく。本日二度目のダンスだからか、キースと踊ったときよりも随分心に余裕をもって踊ることができていた。


 実はマルガレットはワルツを踊るのが好きだった。


 得意ではなかったけどいつの日かあのときの少年と踊るためと、練習を重ねるうち次第にワルツを踊ることが好きになっていたのだ。


 なんだかとっても楽しいわ、わたしの好きな曲だからかしら、それともジスデリアさまのサポートが上手だから? それにジスデリアさまの手、なんだかひんやりして落ち着くのよね


 まだ少し緊張しているが、けれど先ほどまでの息が詰まるような緊張ではなかった。


 そんなことを考えれば考えるほどにマルガレットは自若じじゃくとそれでいて楽しげに踊るジスデリアの燦然さんぜんたる瞳に今にも吸い込まれてしまいそうだった。

緩く真ん中で分けられたジスデリアの前髪はキースよりもずっと視界が開けている分、より瞳のロイヤルブルーの輝きがはっきりしている。

 

 ジスデリアさまが微笑むたび数多の星が流れていくようだわ


「……とっても、素敵」


 ジスデリアは一瞬なんのことか分からない様子で口をぽかんと開けたが、すぐさま目を細めくすくすと笑った。 

 

◇ ◇ ◇


 それからマルガレットとジスデリアは三曲連続で踊り続けた。思いのほか意気投合した二人はいつまでも踊っていられるような気さえしたが、マナー上そうもいかず三曲目が終わると二人でダンスホールを後にした。 


 ジスデリアは少し待っててねとその場を後にすると、しばらくしてどこからともなくドリンクの入ったグラスを持ってきてそのままマルガレットに差し出した。


「ノンアルコールのスパークリング、すりおろしたレモンが入っているから喉がすっきりするよ」

「ありがとうございます、ジスデリアさま」

「さっき飲んでいたものより飲みやすいと思うから安心して」

  

 マルガレットがそれを受け取ると、ジスデリアはグラスを軽く傾けて乾杯と一言放ち笑みをこぼした。


 もしかしてジスデリアさま、わたしがさっきの飲み物は少し苦手だったことに気付いていたのかしら。グラスの中の減りを見て気付いたとでも言うの、そんなまさかね


 スパークリングは実にすっきりした味わいで渇ききっていたマルガレットの喉奥をゆっくりと潤していく。


「わ、このスパークリング本当に飲みやすくてとてもおいしいですね」

「でしょう? これぼくが提案したんだよー!」 


 ジスデリアの弾けるような笑顔にマルガレットも釣られて微笑んだ。

 見かけは若くともスマートにドリンクを持ってきたりとやはり年上の男性なのだなとマルガレットは感心した。その上舞踏会で提供しているメニューにまで携わっているという。


「きみ、すごく楽しそうに踊るからぼくもつい熱くなっちゃった」

「そう言われてしまうとなんだか恥ずかしいですけど、ジスデリアさまのサポートのおかげですわ」

「まあね、もっと褒めてもいいよ」


 わたし、ジスデリアさまのことをただの軟派な男性と勝手に決めつけていたけれど、想像していたよりもずっと話しやすいしとてもしっかりしていた方だった。人を第一印象だけで決めつけるのはよくないわね


「もう少し一緒にいたいところなんだけどぼくそろそろ行かなくちゃ。このあともぜひ楽しんでいって」

「はい、こちらこそありがとうございました」


 ジスデリアの背中を見送っていると、代わるように現れたのはヨシュアだった。隣にキースの姿はなく一人である。キースもジスデリアも主賓だから挨拶回りで忙しいのだろう。

 二人の王子と、しかもその内の一人とは三曲も踊ったマルガレットは実に幸運だったのだ。


「マル、ジスデリア王子はどうだった?」

「明るくて笑顔の素敵な方ですね。それに、とても親切にしてくださいました」

「そう、仲良くなれそうかい?」


仲良く? お兄さまは変なことを聞くのね


「ええ、まあ……あまり関わることはない方でしょうけど」


 ヨシュアは妹の返答に対してなにやら難しい表情をしたが、訳が分からないマルガレットは何とも言えない気まずさから手にしていたスパークリングを口に含んだ。


「あの、それよりもお兄さま、わたくし少し疲れてしまって。少しだけ休憩室で休ませていただこうかと思うのですがよろしいでしょうか」

「大丈夫? 随分はしゃいでいたもんね、すぐに部屋まで案内させるから少し待ってね」


 それからすぐに担当の者がやってきて、マルガレットを休憩室用の客間まで案内した。

 ヨシュアも客間まで同行するとマルガレットに軽い軽食と紅茶を持ってこさせるよう給仕に伝えると再びホールに戻って行った。


「なんだか夢のような時間だったなあ」


 憧れのキースとワルツを踊った。その事実にまだ実感が湧かない。この日のためにマルガレットはどれだけダンスの練習をしたことか。


 誰にも見られていないことをいいことに軽食の一口サイズのサンドイッチを大きくかぶりついた。王宮のサンドイッチはやっぱり美味しかった。


 それに、ジスデリアさま。……サファイアの、星の瞳をしていた。脳裏にこびり付いて仕方ないのはキースさまよりも視界が開けていて瞳がよく見えたせいよ。まさかジスデリアさまもあんなに美しいロイヤルブルーだなんてね。

 なんだか疲れてしまったし、少しだけ横になろうかしら。個室だし、誰にも見られないからいいわよね。


 マルガレットはソファに横になると、踊り疲れていたせいかすぐに規則正しく寝息を立て始めた。


 サファイアの瞳の彼は夢の中でマルガレットに語りかける―――


「やっときみと踊ることができた」

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