02 サファイアの流れ星


 幼い頃、マルガレットは父のスティングに連れられて年に数回、当時仮住まいとしていたタウンハウスがあるブルーへミア国の王宮へ足を運ぶ機会があった。


 スティング・ジルスチュアードは公爵として多大な領地を治める仕事の他に、上流階級としては些か珍しく宝石商としての一面も持ち合わせていた。


 マルガレットがまだ産まれて間もない頃は顔見知りの貴族たちにだけほんの趣味の延長で商いをする程度だったのに、わずか数年後には王都に工房を兼ねた宝石店を構えて、王都内だけでなく隣国にまで名を馳せるほど《ジルスチュアード製のジュエリー》は誰もが欲しがるほどのブランドへと急成長を遂げた。


 ついにその噂は王宮にまで届き、ある日スティングと妻のアメリはブルーへミア国の王妃によって直々に呼び出されたのである。


 実のところ、このブルーヘミア国の王妃とジルスチュアード家夫人のアメリは従姉妹関係にあった。

 以前より王妃が茶会を開くたびにアメリを王宮に招くことはあっても、公爵であるスティングを夜会以外の用事で招くのは初めてだったことから少なからずスティングは登城の際不安な気持ちもあった。


 しかしいざ蓋を開けてみれば王妃だけでなく王までもがすぐにスティングの手掛けるジュエリーを気に入ったのだ。


 それから、最初はスティングと妻のアメリの二人だけを王宮に呼び寄せていたのだが、次第に長男のヨシュアやローズベリーそしてマルガレットと家族共々王宮へと招かれるようになった。


 アメリは王妃とさらに親交を深め、スティングも王とすっかり打ち解けてあっという間にジルスチュアード家と王族ヴィントルーヴ家は家族ぐるみの付き合いとなっていたのである。

 

 まだ幼かったマルガレットやローズベリーは晩餐会には参加できなかったものの、スティングの商談やアメリの茶会の用事で登城する際には決まって着いていったし、六歳を迎えたばかりのマルガレットにとって王宮はどんなことよりも胸が弾む夢のような場所だった。


 当時のマルガレットは今よりもずっと明るくその好奇心旺盛な性格から、王宮へ招待されては城内をあちこち散策するのが決まりとなっていた。


 その日もマルガレットは特に行き先を決めるでもなく、薔薇の庭園で匂いを嗅いだりアメリと王妃が談話しているサロンの横をこっそりすり抜けたりと気の向くまま歩いていた。

 

 なんだかお腹が減ってきちゃったな、と腹をさすりながら城内の廊下を歩いていると、ふと自分と同じような背格好の少年がバスケットを胸に抱えたまま目の前の扉から部屋の中へ入っていくところが目についた。


 あのバスケット何かおいしいものでも入っているのかな


 マルガレットは扉をほんの少しだけ開き、目を細めて部屋の中を覗き込んだ。少年は部屋の中心にあるソファにずっしりと腰掛け、先ほどのバスケットに腕を伸ばしている。


 開かれたバスケットの中には、色とりどりのサンドイッチが敷き詰められていた。たまごサンドはシンプルながらもふっくらボリューミーで、その隣のローストビーフのサンドはタレがつやつやとしている。バスケットの端にはデザート用にブドウやオレンジ、イチゴなどの果物も添えられていた。


 城内をたくさん歩き回りお腹を空かせていたマルガレットにとってそれらはまさに宝石のように輝いて見え、思わずごくりと生唾を飲み込む。


 離れたところから見てもすぐに分かる美味しそうなバスケットの中身にマルガレットのお腹がキュウと小さく音を立てた。

 恥ずかしさよりも前に盗み見したことがばれてしまうと慌てて身を隠そうとしたときには時すでに遅く、少年は訝しげにマルガレットを見つめていた。 


「だれ、きみ?」


 その声に返事が返ってくることはなく、マルガレットはただ目を丸くさせ口をあんぐりとさせていた。


 少年の瞳はサファイアそのものだとマルガレットは思った。


 ほんの少し前までは空腹のあまりサンドイッチすら鮮やかな宝石みたいだなんてと思ってしまったが、いざ本物の輝きを目にしてしまうとバスケットの中身は頭の中からすっぽ抜けてしまった。


 瞳をもっと間近で見たさに、マルガレットはずんずん少年へと近付いてゆく。


 目の前でこちらを見据える少年のロイヤルブルーの瞳はキラキラと曇りがなく、例えるならば瞳の中で星粒が瞬いているようで、何故だか分からないがマルガレットの胸を熱くさせた。


 この子がまばたきするたび、まるで夜空の星を見ているような気分になるわ


 とっても素敵、とうっとりしたときにはついに少年との距離はわずか五十センチほどになっていた。ようやく少年のねえってばという言葉がマルガレットの耳にも届き、やっと絞り出たのは、


「あっ、えっと、おなかがすいて、迷いこんでしまいました」

 

の一言だった。


 その返しがよっぽど面白かったのか少年は小さくぷっと笑い、どうぞいくらでも食べてとバスケットに手を添えた。


「……ありがとう、ございます。いただきます」

「うん、召し上がれ」


 まだ幼いマルガレットは少年が勧めるがままにバスケットに手を伸ばし、手前にあるたまごサンドを手に取ると早速かぶりついた。

 バターがふんだんに塗られているパンの鼻から抜ける甘い香りにマルガレットは舌鼓を打つ。


「このたまごサンドとってもおいしい! わたしの邸でたべるものとはまったくちがうんだけど、とにかくおいしいの」

「そう、ならよかった」


 興奮しながらサンドイッチを頬張るマルガレットをよそに少年はいたって冷静にその様子を観察しているだけのようだった。


 マルガレットもサンドイッチに夢中になるふりをしながらもこっそりと横目で少年を盗み見る。


 見たところ少年の背丈からみてマルガレットと年齢は近いに違いない。

 

 センターで分けられた青みがかった黒髪はその美しい瞳が際立つように前髪は目が隠れない程度に切り揃えられていて、濃紺のジャケットとパンツはセットアップになっており身なりもきちんとしていることからこの王宮で暮らしている者というのはすぐに見てとれた。


 この子、さっきはすこしだけ笑ってくれたような気がしたけれど、今度はだまってこちらを見ているだけだなんてなんだかふしぎな人ね


「おいしい?」

「ええ、どれもほんとうにおいしい! あなたは食べないの?」

「今はあまりお腹が空いていないんだ、ああでもイチゴくらいはもらおうかな」


 そう言って少年はイチゴを何粒かつまんでいく。一粒ずつ少年の口に運ばれていくイチゴを見つめながらマルガレットはぼんやりと、この子はイチゴが好きなんだと小さく頷いた。


 しばらく黙々とサンドイッチを頬張っていたマルガレットは今度は腹が膨れていくにつれて眠気が襲い、瞼が重くなってきた彼女の意識はそこでぷつんと途切れた。


 次に目が覚めたとき窓の外はだいぶ日が落ちてすっかりオレンジ色になっていた。どうやら空腹を満たせたマルガレットはそのまま昼寝をしてしまったようで横になっていた体を起こすと、向い側のソファに座っていた少年と目が合う。


「あ、起きた。食べながらいきなり眠るからびっくりしちゃった」

「えへへ……サンドイッチごちそうさまでした。とてもおいしかったから、作った方にもぜひそう伝えてほしいわ」


 少年は手短にうんとだけ返事した。


 本当はもう少し少年と話がしたかったなと名残惜しい気持ちではあったが、今日は夕方には王宮を後にすると父が言っていたことをマルガレットは思い出した。

 ソファから降りるとこれから自分が彼に告げようとしている言葉に照れを感じながらもワンピースの裾を伸ばし少年に向き直った。


「あの、またここに来てもいい?」


 少年はマルガレットの思いがけない言葉に一瞬戸惑いを見せつつもゆっくり瞬きをすると、いつでもおいでと柔らかく微笑んだ。


 なかなか表情を崩さない少年が見せるささやかな笑顔は幼いマルガレットを虜にするのに十分で、その瞬間マルガレットの中でサファイアの流れ星がきらきらと無数に弾けた。

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