イリアの幻想旅日記
空宮海苔
一話:世界樹と恋する少年/第一幕
岩だらけの、少しジメジメとした洞窟の中。
頭上には「世界樹」のものであろう木の根っこが一部露出していた。
「……くそっ! あと一歩なのに! こんな岩野郎なんかに……!」
目の前の岩でできた巨大なゴーレムの攻撃を盾で受け流しながら悪態をつく。
手に持つ盾が軋み、その端が欠ける。今まで堪えてきたこれも、もう限界が近づいている。
さらに先程から剣で攻撃しているが、全くダメージが通っている気配がない。
僕の実力がもっとあればあの腕も断ち切れたのだろうか。
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
あの胸のあたりにあるオレンジ色に光るコアに当たれば倒せるかもしれないが、意外にこいつの動きは俊敏で、僕じゃそれも無理だ。
「これでも喰らえ!」
コアを狙って剣を刺そうとするが、腕で防がれてしまう。
向こうが構えを取ったので、こちらも盾を構えて攻撃を防ぐ――!
が、しかし、上手く衝撃を流せず、気づいたときには僕の盾は僕のはるか後ろへと吹っ飛んでいた。
息をつく間もなく前を向くと、眼前には岩の巨大な拳――
「あ――」
僕はその光景に
もうすぐ死ぬ、そう思った瞬間、世界全体が遅くなるような感覚に陥った。
僕、死ぬのかな。
僕はただ世界樹の雫で、レニルの病気を直して、助けたかっただけなのに――
――あれ? 僕、最初は彼女が僕のこと好きになってくれるかもって思ってただけのはずなのに。もしかして、僕って意外と本気だったのかな?
……まあ、もう考えてもしょうがないか――
諦め、目を瞑ったその時、目の前から、大きな衝撃音がした。
がしかし、僕の体には一切その衝撃が伝わらない。
そして、その衝撃によって砂埃が舞い上がり、体に降りかかる。
何事かと思い、ゆっくりと目を開けると――
「おーっと、危ない。君、一人でここまで来るなんて大したもんだね。しかも剣と盾だけで」
目の前には、だいたい僕と同じくらいの年齢、十代後半程度に見える女性がいた。
その少女はミドルヘアーの白色の髪に、緑色のメッシュが入った髪をしており、頭にはいかにも魔法使い、といった尖ったラベンダー色の帽子を被っていた。上着には同じくラベンダー色のローブを羽織っており、下は紺色のスカートを履いていた。
横からちらりと覗くその瞳は、髪のメッシュと同じ緑色をしていた。
そして、驚くべきことに彼女は、緑色の宝石? が嵌め込まれた銀色の指輪のついた右手で魔法障壁を発動しつつ、ゴーレムの攻撃を受け止めていた。
魔法のことはよく知らないけど、普通は制御しやすくするために、杖とかで発動するはずだ。
……もしかして、あの指輪がその役割を果たしているのだろうか?
それに、彼女は僕と同い年くらいに見える。
「確かに魔法がなくては、一人での攻略は厳しいものになるだろうな」
そして、もう一つ声がした。
その声の出処は、彼女の肩に乗った黒い猫のように思える。
赤色の首輪をつけた真っ黒な猫だ。
――まさか、あの肩に乗ってる黒猫が? 肩に乗ってバランス取ってるのも驚きだけど、猫が喋ってる?
「そうそう。まあ、とりあえずこいつを倒してあげよっか」
僕が苦戦していた相手にも関わらず、彼女らは余裕の様子で雑談をしていた。
「そうだな。そのへんの石と仲良くさせてやるのがいいだろう」
黒猫? がそう言うと、途端にゴーレムがその岩の隙間から、異様な光を放出し出した。
直後、ゴーレムはバン、という破裂音とともにそのまま地面にバラバラになって崩れ去っていった。
それは奇妙なことに破裂音がしたのに、辺りにその破片が飛び散ることはなかった。
「さーてと。大丈夫? 随分疲弊してるようだけど。とりあえずこれ飲んで」
彼女は虚空に手を突っ込むと、そこが歪んで、手首から先が消える。
次の瞬間、彼女の手には瓶に入った赤色の液体があった。
そして、彼女はポイとそれを渡してきた。
僕は慌ててそれを掴み取る。
今のは――まさか次元魔法? 相当高度な魔法だって聞いてたけど、あの年齢で使えるのか?
渡してきたのは回復ポーションだろう……あっ、お礼はちゃんとしなきゃな。
「あ、ありがとうございます。じゃあいただきます……」
「全然いいよー。流石に助けられる人を見殺しにするほど悪人じゃないからね」
彼女は胸を張ってそう言った。
そして僕は渡されたポーションに口をつける。
ポーション自体は至って普通のもので、特に変わったところはなかった。
……これで高級ポーションを渡されていたら、腰が抜けているところだった。
僕は一度立ってから体のホコリを払い、彼女に頭を下げた。
「危ないところを助けていただき本当にありがとうございました。恩に着ます」
「おお、礼儀正しいね。こちらこそどういたしまして。まあ私ってば人助けが趣味みたなところあるしね?」
彼女はおどけた様子でそう言い放った。
「そうなんですね」
「……真面目に返さないで、ツッコミどころだよ?」
僕が返すと、彼女はちょっと困ったように笑いながら言った。
「す、すいません……」
「まあ別にいいけどねー。さて、じゃあ私にも目的があるから行ってくる。気をつけてね」
彼女はその後すぐに身を翻し、奥にあるリーフのシンボルが掘られた木製の巨大な扉の方へと向かっていった。
そこで僕ははたと気づく。彼女も世界樹の雫を取りに来たのだ。いや、ここに来たのだから当然ではある。
世界樹の雫は最高級の回復アイテム。あって損はない。彼女ほどの実力であれば、欲しがるのも無理はないはずだ。
だけど、僕にも目的がある。
――厚かましいかもしれないけれど、ここは譲れない、どうにか頼み込もう。
「イリア、あの少年が何か言いたげだぞ? ……あの少年もここに来た理由がある、と考えてみてはどうだ?」
も、もしかして顔に出てた? というか随分察しがいい猫なんだな……
あと、今黒猫が少女を「イリア」と呼んでいた。
あの人は「イリア」という名前なのかな?
だとするとイリアさんって呼ぶのが合ってるかな。年齢は同じくらいに見えるけど、助けられたし、敬語は必要かな。
「え? ああ、そっか。そりゃここに来るからにはね……んーじゃあしょうがないか」
一体何がしょうがないんだろうか。
わからない。ともかく、一度お願いしてみよう。
「あ、あの! 僕、とある人の病気を助けたくて、ここまで来たんです。厚かましいかもしれませんが、世界樹の雫を僕にくれませんか?」
「いいよ」
イリアさんは即答でそう言った。
――あれ? 思ったよりもずっと軽く了承してくれた。
「え? い、いいんですか?」
「そりゃあもうじゃんじゃんあげちゃうよ。そんな身の上話聞かされた上で持ってくのは酷でしょうよ」
腕を組んで、うんうんと頷きながらイリアさんはそう言った。
「で、でも僕が嘘をついてる可能性だって……」
正直、いきなりこんな話をしたところで譲ってくれるとは思っていなかった。
なぜならここに来るということはそれぞれ目的があるはずで、当然世界樹の雫が欲しいはずだ。
僕だって幼馴染みを助けたくて、ここまで来た。
僕は騎士としての訓練を積んできたから、行けると思ったんだけど……この有様だ。
いつもの鎧を着ていたら突破できただろうか。
いや、恐らく重くて逆に駄目だったのだろう。結局、実力不足ということだ。
ともかく、世界樹の雫だ。
それは、一度に多くの量が取れず、一度溜まった後は数ヶ月ほど待つ必要がある。
わざわざ譲る、なんて選択肢を取る人は多くないだろう。
「んー、まあ別に嘘つかれてても正直いいかな。別にそんな急いでないし。その時はまた数カ月後にでも来ようかなー。ねっ、フィル」
指を顎に当て、考え込むイリアさん。
「そうだな。
横の黒猫――フィルというらしい、がそう答えた。
――普通に口開けて人の言葉を喋ってる。一体どうなってるんだろう。
「ってことだから。大丈夫だよ」
「へ、へぇ。そうなんですね……っと、じゃあくれるってことですね!? 本当にありがとうございます!」
僕は理解が追いつかなかったが、とりあえずくれる、ということを思い出し、頭を下げて感謝の言葉を述べた。
「全然、いいよ。ま、写真は撮らせてもらうけどね」
イリアさんは何やらよく分からない魔道具らしきものを取り出してそう言った。
「写真?」
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