ブッコローの完璧な1日

呉田

第1話

よく晴れた休日のこと。

男は馬券をクシャクシャに握りしめ「なんで当たんないかなァ〜…なんで当たんねぇんだよォ!」とブツブツこぼしながら歩いていた。


おもむろに妻が娘に絵本を買ってあげたいと言い、すぐ側の書店へと立ち寄ることにした。

クシャクシャの馬券をポケットに捩じ込むと、妻の背中を追って入店した。


本屋かぁ。俺、本当に本読まないんだよなぁ。

ふぁ〜眠い。なんだか夕方になってどっと疲れた気分だな…。

男はぼんやりと店内を眺めてから、楽しそうに絵本を選んでいる妻の横顔を見つめた。


ふと電話が鳴る。

「俺、おもてで電話してくるわ」

妻に声をかけると、急いで外へ出た。


「はいもしもし、お久しぶりですぅ!」

「おぉ久しぶりだね。いま電話大丈夫?あのさ、実は新しい仕事の話なんだけど、受けてくれないかな〜と思って。」

「はぁ、どんな企画なんですか?」

電話の主は早口でバババーッと用件を喋ると、まずは打ち合わせに来て欲しいと告げ、電話を切った。


ふむ。新しい仕事かぁ。

考えながら、店の前にある小さなベンチに腰掛ける。

ずっと歩き回っていたせいか、一度座るとまるで根をはったように動けなくなった。

眠い。3分いや5分。大丈夫大丈夫、本当にちょっとだけ、一瞬目をつむるだけ。

自動ドアから漏れ出る店内放送の音を聞きながら、男はゆっくりと目を閉じた。




「ブッコローさん、お疲れですか?」

運転席からのトリの声で目覚めた私は、ゴシゴシと瞼をこする。

「ん、ああ、ごめんごめん。私としたことが、少しウトウトしていたようで。」

「今朝は早くから動いてますもんね。もう少しで本店に着きますから。」


車を走らせていると、おもしろ社員のザキさんが大荷物で小走り気味に歩いているのが見えたので声をかけた。ザキさんはニコニコしながら車に乗り込む。

また新しい文房具の準備をしているという近況を聞きながら、私は先程までの出来事について思いを巡らせた。


私はもうずっと同じ1日を繰り返している。


朝早くからトリが迎えに来る。

私はサングラスをかけながらロビーを抜けて外に出る。やっかいな花粉が私の目を刺激し、鼻をくすぐる。私は花粉を少しでも避けるようにと体をドアの隙間を滑らせながら、トリの運転する車に乗り込む。

関係先をまわりながら、花粉に耐えて目をつむるうちにうたたね。少ししてザキさんを見かけてピックアップ。この先のこともだいたいは把握している。


車は静かに店の前に止まった。


常連客たちがこちらに手を振ってキャピキャピと声をあげている。待ち構えていた女性社員が車のドアを開け、誘導しながら手短に話す。

「ブッコローさんお疲れ様です。放送まで時間が無いので、急いで急いで!今日もお悩み相談がいっぱい来てますよ。そのあとはサイン会です!」

私はいつからこんなに忙しい兼業ミミズクになったのかしら。

これも毎度のことだと深呼吸して、サングラスを外すと羽毛の中にそれをしまった。


「あーん可愛いですねぇ。なるほどなるほど、これを渡して告白するつもりなのね。ウヒョヒョヒョヒョ!

これはいいですよォ!」

私がひとしきり番組を盛り上げると、プロデューサーがそろそろ放送終われ〜!とカンペを出した。


このあとはサイン会がある。スケジュールはキチキチだ。手羽先で握る真っ黒いマジックペンでササっとサインを入れると、手早くイラストを仕上げていく。

「来てくれてありがとうね、ブッコローって言います〜!」とにこやかに話しかける。

女の子は「ブッコローちゃん可愛い!いつも応援してます!」とハキハキ答えて帰っていった。

例のワクワクのポーズを希望するお客さんには全力でワクワクゥ〜!とポーズをとる。


「え、うちの商品のそんなことまで知っててくれたの?嬉しい!」

「ブッコローちゃんって博識なのね!」

「当たり前じゃーん!」

なにげないやりとりをしつつ、2階でピンク色のカレーを差し出されたら食べ、5階にクシャミの止まらない社員が居ればティッシュを渡してやり、6階に腰痛のスタッフが居れば助けに行き、新店舗の手伝いが必要とあらば駆けつけた。


任せなさいよ!何回、同じ日をループしてると思ってんのさ。どうせ私はこの日、このヨコハマ市からは出られないんだから…。


そう。ブッコローは同じ1日を繰り返し、どんなに予定を変えようとしてもヨコハマ市からは出られなかった。

そして、どういうわけかいつも終電に乗ることが出来ずに1日を終えてしまうのだ。何回、何十回やっても同じ。いつも同じ日がやってきて、どうしてもヨコハマ市から出ることが出来なかった。

おかげでヨコハマ中のホテルは一通り宿泊している。


その知性と好奇心でみんなを助け、声をかけた人々を笑顔にしたブッコロー。ブッコローはヨコハマ市いちの人気ミミズクになった。


あの後ずいぶんスムーズに終わった打ち上げのあと、ほろ酔い気分で外に出る。

どうせまたなんやかんやと問題が起きて終電には乗れないんだから、今日はマニタと歩いて喋ろうかな。

他のメンバーとは、その場で解散した。


ご機嫌で歩く彼は、うそつき皿洗いのマニタ。

ずいぶんと酔っ払っている彼に、ブッコローは全部話してしまいたくなった。

「あのね、マニタさん…実は今日見てきた光景、何度も見たことがある気がするんだ。見たことがあるというか、ずっとこの1日を繰り返している。みんなには言えなかったんだけど、なんていうか。この1日が初めてじゃないんだよ。うまく説明できないな。妻と子どもには何ヶ月も何年も会えていないような感覚で。こんなに恋しいのに。あーあ。元気なのかな。ほんとさ、どんな豪華なホテルよりも家が一番だよ。はぁ、奥さんの作ったハンバーグが食べたい…」


何も言わずにじっと聞いていたマニタがニッコリしたと思いきや突然口を開き、

「さっ!電車が来ます!急ぎましょう!」と走り出した。

このおじさん、こんなにおぼつかない足取りなのに、こんなに速く走って大丈夫なのかなと不安になりながら駅へと急ぐ。

あまりのスピードで、ブッコローのフワフワの羽毛が少々抜けては落ちた。


「ドア閉まりまーす」

ドアがプスンと閉まる。

「えー、駆け込み乗車はおやめくださいィ」

ブッコローは汗だくのマニタとともに、車両内に居た。

嘘だろ…?電車に乗れた…?


「良かったですね、帰れますよブッコローさん!」

酔っ払っいマニタは、いそいそと座席に腰掛けている。

「ブッコローさん、こっち!座って座って!」


私は汗だくのマニタの笑顔を横目に、疲れ切って少し毛羽立った羽毛の毛並みを整えた。

マニタはご機嫌で呟いている。

「カラフルマニタでカラフルカラフル〜♪」


そして発車した電車に揺られながら、こんなに気分が良いなら、これが帰れるという夢でもいいやとひとりごちて、そっと瞳を閉じたのだった。




ポケットの中で電話が鳴っている。

その振動でハッと我に返った。

眠っていたのか。ものすごい疲れを感じながらも急いで通話ボタンを押すと、

「あ〜やっと出た。さっきの!新しい仕事の件の打ち合わせなんだけどさ!時間と場所決まったよ。メモ取れる?メールで送ろうか?」

「あー!はい!メモね、メモ…」

男は何か書くものはないかと思案しながら、ポケットに捩じ込んだクシャクシャの馬券を取り出すと、裏面の文字の上から赤ペンでゴチャゴチャと走り書きをした。


ゆうりんどういせざきちょうほんてん


全然行ったことはないけど、なんだか見覚えがあるな。

電話を切って、自分の字をしげしげと見つめた。


「あなた、ここに居たの。電話終わった?」

呼びかけられて振り向くとそこには、妻と娘が立っていた。

「おお、ごめんごめん!終わったよ、帰ろう!」

「スーパー寄ってもいいかな。今日はハンバーグにしようかなと思って。」

「ハンバーグ!俺、ハンバーグ食べたかったんだよ!」

「なぁに、ついこの間も食べたじゃないの。」

「んー!ずっとずっと、食べたかったんだよ!」

「ハンバーグ!ハンバーグ!」


街灯がともる中、家族の楽しげな声が響く。

男のズボンのポケットからは、ミミズクの羽毛がこぼれ落ちていた。

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