第5話 髑髏党、蠢く

 西暦一八五四年、日本は黒船の圧力に屈する形で遂に開国を選択した。しかしその選択は同時に、東洋の神秘を求める暗黒陰謀結社や、日本の夜明けを目指す不逞の集団などを励起させるものともなってしまった。


 そんな怒涛の時代。江戸北町奉行所は、不逞の集団・髑髏しゃれこうべ党との攻防を繰り返していた。そのさなかに見え隠れするのは月よりの使者を称する謎の覆面男。月牙二刀を称する二刀流の峰打ちで北町奉行所を支援する彼の助力により、遂に髑髏党の始末屋『殺しの竜』をも捕縛せしめた鬼塚であったが――?


 ***


「……想定通りとはいえ、やはり戻ってはこなんだか」

「はっ。伝馬町に押し込めていた髑髏の者おおよそ百と五十、かの火事より三日経ってなお、戻って来る様子はないとのこと」

「むう……」


 大江戸北町奉行所は、にわかに揺らいでいた。過日、伝馬町牢屋敷の近辺にて出火があり、延焼を避けるべく罪人のお解き放ちが行われた。しかし、髑髏党の者どもはことごとく戻って来なかったのだ。


「恐らくではありますが、かの組織に戻ったものと思われます」

「そもそもの出火そのものが、奴らの魂胆である可能性もあるかと」

「チイッ!」


 口々に上がる声に、上役は顔を歪めた。せっかく奉行からの覚えがめでたくなってきたところに、この不祥事である。早くにかたをつけられるかはともかくとして、評判が下がることだけは避けたかった。


「ともあれ、髑髏の者はなんとしても捕縛せよ。『殺しの竜』なる上位者もいたようだが、そ奴もだ。一人として逃がすな」

「承知しました。しかし、竜を追う必要はないかと」

「なぜだ?」

「かの者、逃げずに牢に留まり申した。現在、鬼塚が取り調べを行っとります」


 ***


「……俺様を調べたところで、ホコリの一つさえ出やしねえよ」

「だろうな。洋刀サーベルの奴とは、また違う臭いだ」


 伝馬町牢屋敷。重い空気は、湿り気だけではないのだろう。そんな中で、鬼塚は殺しの竜と対峙していた。牢の内側と外、木格子が両者を阻んでいる。とはいえ、鬼塚は警戒を最高水準にまで上げていた。目の前の男が本気を出せば、この程度の木格子など造作もないだろう。


「わかっているなら、なぜ顔を出した」

「仕事はしねえと、無駄飯食い呼ばわりされるからな」

「ハン、これだから宮仕えってのは」


 愚痴を漏らす鬼塚を、竜は鼻で笑った。しかし鬼塚は冷静だった。罵倒されるのには、慣れている。


「哀れに思うなら、少しぐらい情報を恵んでくれよ」

「やらねえよ。だが、あんな安っぽい手管で逃げ出すつもりもねえ。あの付け火、間違いなく髑髏党ウチの仕業だな。やった輩も想像はつく。今ごろなにをされているのかもな」

「……十分だ」


 鬼塚は竜に背を向けた。その背中に、言葉が降り注ぐ。


「おいおい。それだけでいいのかよ」

「構わんな。どうせ漏らす気もないのだろう? だがこちらとて不手際を重ねるつもりはない。貴様は警備厳重の上、奥に押し込める。逃さねえようにな」

「そうかい」


 竜の声色は、どこか捨て鉢のようでもあった。鬼塚は振り向くことなく、奉行所へと戻っていった。


 ***


 数日後。草木も眠る丑三つ時。再び江戸の街影に怪しき者たちが現れた。真紅の髑髏面に、藍色の装束。賊徒髑髏の一味であることは明白だが、いささか様相が異なっている。彼らは手の仕草で符牒を送り合うと、次々と夜の闇に消えていく。行こうとした。しかし。


「そうは問屋が卸さねえよ……。竜のお解き放ちを狙ってくる。予想通りだったぜぇ?」


 いざ散ろうとした彼らのもとに、提灯の光が突き刺さる。見よ! 鬼塚にデコ八、その他与力に同心。皆が揃って完全武装! 北町奉行所、総力挙げての大捕物だ!


「――!」

「――! ――!」


 あいも変わらずうめき声じみた叫びを上げながら、赤き髑髏が散開する。彼らは皆、一様に松明を取り出した。いかなる仕掛けか、すでに火が付いているそれへ向けて……


「ポウ!」


 全員が一斉に液体を噴き付けた! すると摩訶不思議。炎の弾丸が生まれ、奉行所の面々めがけて吹き荒れた! これぞ髑髏党赤色部隊の秘技・火炎弾丸の陣!


「があああっ!」

「熱い! 熱い!」

「チイイイッ!」

「水だ、水! 早くしろ!」


 おお、見よ。完全武装にて捕物の構えを見せていた北町勢が混乱している。何人かに至っては炎に包まれ、のたうち回っている。もはや助かる術はない。連中の操る特殊な薬液と、それによって爆発的に増幅した炎をマトモに食らってしまったのだ。

 そして。ああ、髑髏党赤色部隊が散開する。己の持ち場めがけて、江戸に大火をもたらすべく散らんとする。このままでは北町の威信低下は免れない!


「待ちやが……」


 鬼塚が抜刀し、待ったをかけようとする。しかし敵は一人ではない。鬼塚では手一杯が過ぎる。このままでは……


「れ……!?」


 その時、強い光が両軍の目を穿った。突然の強烈な光には、流石に赤色髑髏覆面も役には立たない。鬼塚も腕で目をかばい、なんとか光の発生源を探ろうとする。するとそこには。


「天網恢々疎にして漏らさず。月光もまた、同じなり」


 見よ。あまりにも大型の龕灯を引っ提げた、奇妙な風体の男がいる。頭と口元を黒色の布で覆い、漆黒の着物に身を包んでいるではないか。大小二本を腰に差し、胸元に輝く紋所は黄金満月。すなわち、月よりの使者である!


「――!」

「――! ――!」


 おお。突然の難敵推参により、再び真紅の髑髏面集団は陣容を整えた。全員が半円状に列を連ね、どこに潜ませていたのか仕掛け松明を取り出す。鬼塚には、もはやその意図は明白だった。


「使者どの! 避けられよ!」


 鬼塚による、決死の叫び。しかし月よりの使者は動じない。このまま哀れ火だるまに成り果てるのか? 否!


「ポウッ!」

「破あっ! 月兎げっと大旋風!」


 その証拠に、見よ! 月よりの使者は二刀を構え、大地を蹴って回り始めた。常人ならば気狂いにも見えるその行動。しかし使者の身体能力にかかれば、旋回によって生まれる風が壁を作り、襲い来る爆炎をも弾き返すのだ! なんたる絶技、なんたる能力!


「――――――!」


 そして弾かれた炎は赤色髑髏面たちを襲う。無論彼らの装束には対策が施されており、北町の哀れな捕り手ほどには燃え盛らない。しかしその秘技を破られた衝撃が、彼らの士気を下げていた。その間隙を見逃すような間抜けが、この世にいるだろうか?


「今ぞ、掛かれぇ!」


 いない! 今こそ北町奉行所の捕り手たちは気勢を上げた。仲間の敵めがけて、一斉に突っ込んで行く。鬼塚も、デコ八も、得物を掲げて赤色髑髏面に襲い掛かる。無論月よりの使者も二刀を振るう。こうなればどちらが有利かはもはや明白。たちまちのうちに、髑髏党の火炎工作部隊、赤色部隊は壊滅へと陥った!


「使者どの、此度もかたじけ……む?」

「いませんね……」


 しかし勝利を定めた時には、すでに月よりの使者の姿はかき消えていた。鬼塚はわずかに周囲を見回すが、彼にも己の責務がある。追い掛けるという選択肢は、選びようがなかった。


「……いずれは、正体を暴かないとな」


 ぽつねんとつぶやく鬼塚。しかし直後には顔を上げ、己が持ち場へと戻って行った。

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