第三話 太陽がいっぱい。
空は一面白く輝いていた。
そして何処までも何処までも果てがないじゃないかと言うくらいに広がっている。
そんな中をペガサスで天空を駆け巡るなんていう行為を勿論体験したことのないリビィにはすべてが眩しく、目まぐるしく変わる風景に見とれ続けていた。
一方のヴァーンにしてみれば当然見慣れた風景の連続であるのだが、一緒にいる少女の態度がとても新鮮に感じるものだから退屈はしない。
「ねえ、ねえ、あれは何?」
リビィが指差したのは薄青の羽根を持つ可愛らしい少女たちだ。何やら楽しそうに輪になって空で踊っていた。
「ああ、あれは空の妖精たちさ。ああやっていつも集まって踊るんだけど、あいつら、すっげえ気紛れで空の天気を書き換えてしまうんだ」
「妖精! 天気を書き換えるの? 凄いね」
「凄いっちゃ凄いんだけど、然して用もないのに雨雲たち呼んだり、雷ども呼んだりするからなあ」
「なーになーに、その子はだぁれ?」
ヴァーンが困ったようにそう話したとき、何処からか声がした。二人が振り向けば先ほどから踊っていた妖精たちがいつの間にか彼らを取り囲んでいた。
「見たことない子、見たことない子」
リビィのことを興味深げに見ている妖精たちはリビィたちより身体は大分小さく、薄い空色の肌をしていた。羽根をキラキラ輝かせてくるくるとリビィの周りを飛んでいく。
「えと、あたしはリビィ、エリザベス・ウォルスング。イギリスから来たの、多分」
「いぎりす?」
「知らない、知らない」
「俺も知らねぇや」
「だよねー」
寧ろ知ってたら凄いとリビィは思う。
「あんた、金の髪」
「あんた、緑の瞳」
「綺麗ね、綺麗ね」
「え、有り難う」
「ヴァーン、この子気に入った」
「あたいたち、気に入った」
「んじゃ今日は晴れだな」
「晴れ、晴れ、空綺麗!」
よく分からないが、リビィは妖精に歓迎されたらしい。
「俺たちはもう行くけど、リビィのこと忘れるなよ」
「忘れない、忘れない」
「可愛い子、可愛い子」
「あたいたち、リビィ、好き」
ケラケラと明るく微笑い、妖精たちは踊りながら去って行く。何より踊ることが好きらしいことは分かった。
「アイツらに気に入られて良かったな」
「そうなの?」
「さっきも言ったけど、妖精なんてのは気紛れなのさ、ちょいとしくじると目も当てられないんだ」
ヴァーンの物言いからしてとんでもない目に遭ったことがあるようだ。
いったい何したんだろ?
「ふうん。あの子たちは空の妖精で、他にもいるみたいなこと言ってたよね? 雷とか雨とか」
「ああ、空の妖精だけじゃなくてもっと沢山いる。それこそあちらこちらにな」
「わあ、あたし、会ってみたいなあ」
「んー、会わせてやれると思うぜ?」
「本当?」
「全部は無理でも会えるだけは」
「楽しみ、楽しみすぎる!」
それからも興奮した様子で矢継ぎ早に質問を重ねるリビィを見てヴァーンの方は逆に自分のところにあるものがないと言う世界に興味が湧く。
天馬も螺旋の雲の回廊もなく、それこそ妖精すらもいないとはどんなものなのだろう。
当に想像つかない。
知りたい、素直にそう思う。
しかし残念ながら興奮しまくっている少女に今直ぐにその話を聞くのは無理そうだった。
ヴァーンの思惑を余所に燥いでいたリビィは暫くして気が付いた。
天空には太陽が何個も点在し、それぞれが眩しい。幾つあるのか数えてみたけれど、大小様々でどうも数え切れない
。
「うわぁ、何で何で太陽がいっぱいあるの? とっても沢山見える気がするんだけど」
「ああ、あれね。普段は一つだけど、太陽は今の時期、光が強すぎるからああして分身してるのさ」
「分身? 何で? どうやって?」
いっそうびっくりした様子でヴァーンの顔を覗き見た。
「いや、だから分身してんの。太陽がさ、熱いからって自分の身を幾つにも分けて、天空に輝くのさ。それでも眩しいくらいだけど」
「へー、器用なんだ」
「だけど分身し過ぎてるもんだから、いつまで経っても太陽が沈まないってわけ、今の季節は」
「うわぁ、すごいね、それ。ずっと前にパパから白夜って聞いたことあるけど、それかなあ」
「リビィは白夜を知ってるのか? へぇ、ものの言い方が同じものもあるんだな。面白い」
「うん、でも太陽が分裂するのは私のところにはないよ。聞いたことないもん。照らす太陽は一個だけ。えーっと恒星って言うんだっけな。地球は惑星……」
「こうせい? わくせい? ふうん、そりゃまた変な国だなあ」
「えー、あたしの世界ではそれがまともなんだけど」
お互いがお互いの常識というものがある。いくら幼かろうとそれは培われているものだ。
決して自分が博識などと思ったこともないし、勉強家とも言い難い少女だと
だから初めて自分が持っている常識というものが全く当てはまらないこともあるのだとリビィは初めて知った。
「面白いねえ」
けれどリビィはたじろぎもせずその違いを心から楽しんでいる。何しろ幼い時から夢見た世界にいるのだから当然だろう。
「お前のいた国って相当変?」
「ヴァーンから見れば変でしょうね。あたしから見たらこっちが変だもの」
「成る程、それもそうか」
暮らしている場所が違うというのは大きい。二人の場合、次元の違う意味で違うのだがこれはまあ置いておいて、子供の頃の世界は狭いから差異はとても大きく感じるものだ。
ヴァーンとしてはますます興味がわいてくるが、リビィの質問攻めに終わりはなかった。
「白い天空だねえ、綺麗だね!」
感嘆の言葉も終わりがない。
単純と言われようが綺麗なものは綺麗で、口に出さずにはいられないのだ。ああ、この先にどれだけ感動というものが待ちかまえているのだろうと思うとリビィは興奮せずにはいられない。
ヴァーンにしても思いがけない来訪者の少女が問いかける言葉たちのすべてが新鮮で面白かった。
だから自分の国に連れて行ったならどうなるんだろうと考えれば彼もまた自分が思う以上に興奮してわくわくしていることに気が付いた。そんな気持ちがえらく楽しいことも。
何しろ次はリビィが何を言うのか、どんな反応をするのかヴァーンには想像もつかない。
「すごい森だね! こんな大きくて立派な森はテレビとかネットでしか見たことないや」
「テ……レビィ? ニィット? テ・レビィ=ニィットって何だ?」
「えーあー、ここにはないのかな? んー?」
リビィには日頃よく知っているものではあれど、いざそれを説明すると難しいものである。
だいたいテレビやネットはいつも見ているものではあるけれど、どういう仕組みであるとかなんて知らないのだ。
こんな風に当たり前にあるものは漠然と知っているものというのは意外と多い。
ましてリビィは残念ながら算数理科を中心に勉強は苦手なので更に悩みは倍増となる。この際、勉強は関係ないのだが、彼女には逃げる口実になるからだったりする。
「テレビって言うのはねえ」
それでもリビィはヴァーンにどういうものか説明しようとあれこれ一生懸命考えるが、テレビを見たこともない人間を納得させるためのうまい言葉が浮かんでこない。
「魔法みたいにいろんなものを映してくれるの」
ようやく言えた説明は説明にもなっていない、けれどリビィにしてみれば精一杯の言葉。笑われるかもしれない、そう思ったのだが、ヴァーンの答えは違った。
「へえ、あっちにも魔法あるのか?」
「へ?」
感心したように言われたのでむしろリビィは間抜けな反応を返してしまった。
魔法って言ったら普通は笑うものじゃないの?
リビィの疑問にはまったく気が付かないで、ヴァーンは自分の知るものと照らし合わせて話し出す。
「つまり水晶みたいなもんかな? そのテ・レビィってのは」
「すいしょう? 水晶ってキラキラしてるあれ?」
「ん? まあキラキラしてるかな、占い師の水晶玉なら何でも映すんだぜ」
「占い師の水晶玉?」
占いというものは何となく分かるのだが、ヴァーンの言う占い師というのはリビィの知ってるものとはちょっと違うような気がした。
雑誌とかの占いとかじゃないみたいだもんね。
あいにくリビィはその手のものに疎い。
クラスメイトでは好きな子が多いけれど、彼女的には何でも占いに頼るのはどうも好ましくなかったので大概上の空で聞いていたからだ。
少しくらいは知ってるべきだったかな。
でもそれよりも気になったのはヴァーンの言った台詞だった。
魔法。まほう。マホウ。
それはリビィの世界では単なる絵空事、でもここではもしかしたら違うのだろうか。
「ねぇ、ひょっとしてこの世界には魔法があるの?」
「あれ? リビィの方にはないわけ? ひょっとして?」
「うん、あたしが知る限りはないと思う」
「そうなんだ、でもまあ、ここでなら嫌って言うほど見れるさ」
そういってヴァーンは軽く口笛を吹いて指で何やら描くとさっきまで何もなかったところに虹が輝きだし、それも鮮やかにリビィの周りを取り囲んで踊るように回っていく。
七色の帯は白夜の太陽に照らされてとても美しい上にリビィの知る虹のようにすぐに消えたりしない。それどころかますます綺麗に光り輝いている。
「うわぁ、うわぁ!」
リビィは生まれてはじめてみる魔法に感動していた。
「凄いね! ヴァーン、凄いね!」
「大したことねぇぞ、こんなの」
「そんなことないよ! 凄い、凄い!」
ヴァーンは照れながらも嘘でもお世辞でもなく、本気で言ってるリビィの様子にいたく満足していた。
空を天馬で舞いつつ、虹のサークルに囲まれながら二人だけの道中は続く。はしゃぐ中で二人はお互いにどれだけこの先どきどきするのだろうと思うととてつもなく興奮して、そうして更にわくわくしていた。
太陽が沢山ある中でペガサスは空を駆けていくと、やがて眩しい白さから青い空へと変化していく。先ほどは落ちていく中で見た空だったが、今は安心して眺められた。
「ひゃあ、やっぱり空が青いねえ」
「今日は天気がいいからな。アイツらの機嫌が本当にいいらしい」
「さっきの妖精さんたち?」
「うん、物凄ーく機嫌悪いと酷い嵐になったりするしな。割と理不尽な理由で」
「理不尽?」
「例えば朝露が美味しくないとか、アイツら同士で喧嘩したからとか」
「うわあ、それで天気変わるんだ」
あんなに可愛いのになあ。
そもそもリビィの知る天気は自然の中で起きることとしか分からないが、もしかしてそれらすべてが妖精の仕業なんて考えると少し楽しい。
「何だ、笑って」
「えー、もしかしたら私のところもそんな妖精がいたのかなあって」
「いるんじゃねえの?」
彼にとっては当たり前、彼女にとっては不可思議な世界。
「そっか、いたらいいなあ」
そう言えばリビィの国では妖精がいたという童話が幾つもある。妖精と撮った写真も。あれは偽物だったと後で分かったらしいけど、でも本当に妖精と一緒に撮ったかも知れないとも思う。
何故ならその方がきっと素敵だから!
「リビィが思うならきっといるぜ」
彼の世界はそれが当然だからそう答えた。
「うん、ヴァーンが言うならそうだね」
彼女の世界ではそれは違うかもしれないが、それでもそうあって欲しいと願うから素直に頷く。
「お、俺の国が見えてきたぞ」
ヴァーンがそう言いながら指を指し示した。リビィは釣られるようにしてそっちを見る。
目の前に広がるのはあちこちに巨木が生い茂る、嘗て見たこともない規模の大きさの森、当に樹海だった。
「あれが何なの?! 大きな木ばっかり……」
「ああ、俺の国は何しろ森の国だからな」
「も、森の国?」
「ああ、森だよ。俺の国はご覧の通り木々に覆われた森の国なんだ」
「確かに……」
ヴァーンの説明は簡潔すぎるほどに分かり易い説明ではある。が、リビィの根本的疑問を解決するには至らない。
「あ、だけどさ、余所者のあたしが行っても良いの?」
「勿論だ、俺の客だし。リヴィをすっげぇ吃驚させてやるからな!」
悪戯っぽい笑顔を浮かべながらヴァーンはそう言い、それ以上は説明してはくれなかった。
だからリビィは疑問を幾つも抱きつつ目前に広がる森に魅了されるのだった。
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