第3話

「どうしてもっと早く来なかったんだい?」

 一週間が過ぎていた。

 咎められた気がした。

 聴谷は、膝の上でスカートを掴む。去年から持っていたはずだったが、何色をしていたのか思い出せなかった。彼女に見えているのは、桃色と白色のチェック柄だ。膝下まではある。その長さだけが間違っていなかった。

「遅かった」

「一週間前なら」

「そう訊かれると参るね」と北落と名乗る医者は、頭の後ろで手を組んで、椅子を反らす。「それでも、”遅かった”って言っただろうからねえ」

「じゃあ」

「正しいタイミングはいつだったかって?」

 大きな目だけを動かして、本人からすれば見下ろすようにして、医者は聴谷を見る。

「ふふふふ」

 そして、突如体を折り畳む。

 ネズミ捕りみたいに暴力的な勢いだったので、聴谷は怯んだ。

「それはね――聴谷ナノカさん――」

 両手を合わせ、今度は下から覗き込むようにして、医者は続ける。

「もちろん、決まっているじゃないか。魔法少女に出会う前だとも」

 何を言っているんだこのお医者さん。

「何を言ってるんですか」

「”正しいこと”だよ。他にどう聞こえるんだい?」首を傾げる。

 ただでさえ童顔なのに、そうされるとより少女っぽさが増す。

 とうとうここにやって来たとき、聴谷ははじめ、医者の娘か姪かと思ったくらいだ。

 外見幼女の爪先は、床に触れないで揺れている。

「――わたしの言葉は全て真実から構成されている。わたしが世界の真実の源と言っても遠くない。それとも言い切ろうか? そうしよう。わたしはすべての真実を生み出した。ふふふふ、なんだか、そんな気がしてきたな」

 ぶかぶかの白衣の袖口を合わせて、北落は笑う。

 さすがに逃げ出したくなってきた。

「ほら、ミッシング・リンクってあるだろう?」

 知っているかい、と彼女は尋ね、聴谷が答える前から、知りたまえこの瞬間にと無茶を言う。

「――あれもわたしの名前から取られたんだよ。北落ミスガだからね。正しい発音は”ミッスィング”なのさ。いやあ、世紀の謎の名付け親になるとは、我ながら誇らしい」

 ここで、否定してみることは容易い。スマホで調べて、提唱者の名前を挙げることも簡単だ。

 それでも、北落ミスガは自分の意見を変えないだろう。

 強情さとはまた別で、単に思いついた側から信じ込んでしまうタイプだった。

 それはここまでの問診と検査の中で交わされた会話からも明らかだ。

 端的に言って、聴谷の手には負えない。

「――魔法少女に出会う前というのは」

「時間遡行しろってわけじゃないとも」と彼女は頷いて、「――タイムマシンなら昨日発明したけどね――」と付け足す。「だが、まあそれはキミに使える代物じゃない」

 存在もしていないんじゃないか、と聴谷は考える。

「魔法少女の到来くらい、誰しも気づいて然るべきだじゃないか」

 話にならない、と否定したい気持ちになったが、聴谷は堪える。

 この虚言癖と思しき少女の言葉は、可燃性だ。否定しようとすれば、それを種にさらに燃え上がる。要するに、話が長くなるのだ。根拠の確かめようのない話ほど、聴谷にとって水の合わないものはなかった。

「魔法少女と怪人は、力の根源を同じくする」と北落は宣言する。「それは宇宙を満たすもので、この地上も例外でなく、ついでに言うと、風のような働き方をする」

 そこまでの口上なら、聴谷も道徳の授業で聞いたことがあった。

「嵐に備えないバカはいない」

「わたしがバカだって言うんですか?」

「そうは言わないとも」と北落。「嵐を経験したこともなく、嵐を描写する術も、表現する言葉も持たない者もいるだろうからねえ。そこで彼なり彼女も愚かってするのはアンフェアじゃないか」

 わたしは一方的に憐れむけれどね、と付け加えることは忘れなかった。

「キミは天気予報を見るべきだったんだよ」

「……見てました」

 毎晩、天体観測の予定があるのだ。

「モノの例えだよ。キミは正しい天気予報を見ることができなかったし、嵐に備えることもできなかった。気づいたときにはもう巻き込まれていて、キミの身体はメチャクチャになった。参照すべきは、第二エーテルの勾配だったのさ」

 聴谷には、全然分からなかった。

 一応、エーテルについての知識はある。かつて光を伝える物質として仮想され、ある時期に否定されたことはどこかで読んだ。しかし、”第二”の意味が分からない。

 科学的に否定されたのなら、それじゃもうオカルトじゃないか、と彼女は思う。

「ふふふふ、魔法少女と怪人の話をしているんだよ」

 見透かすように、白衣の幼女は笑う。

「この辺りの知識は、単に教科書に載っていないだけだよ。我々の世界では、常識だね。エヴィデンスが蓄積されて、ちゃんとした科学として整理されている」


 怪人とは、嵐に捕らわれた者。

 魔法少女は、風見鶏。


「風が読めれば、嵐の位置は把握できる。怪人の登場に必ず魔法少女の誰かが駆けつけるのは、彼女たちが、この”魔力的な偏り”を見ているからに他ならない。それはふつうのひとには見えないが、特殊な素質がある者には、見ることができる」

 似たようなことを、先週言われたことを思い出した。

「アルファベットを読めない子は少ないが、英文を読めと言われたら苦労するみたいじゃないか」――不可解だけれどね――「魔法少女は、魔力的なエーテルについて、これと同じことをやっているんだよ」

「分かったような、そうでないような」と聴谷は応える。

「経験値だからねぇ。英語を聞いたこともなければ、英文を見たこともない者が、英文を読むことができないのは当然じゃないか」

「それは……」

 北落の言っていることが、正しく聞こえはじめていた。

 丸め込まれていないか? と聴谷は警戒のレベルをまた一段上げる。すでに、今までにないほど高かったが、しのごの言っていられなかった。

「キミの視覚異常――世界がピンク色ベースのモノクロに見えていること――それは、魔力的な影響を強く受けたことに起因する」

「魔力的な影響……」

「嵐のたとえを続けるなら、そいつは気がつかない内にやってきて、キミの身体をメチャクチャにしてしまったんだね。突然外国語で罵倒を浴びせられたようなものだよ。細かい意味は分からなくても、ニュアンスだけで傷つくことはできるじゃないか」

 聴谷はザッと記憶を探る。

「わたしには、そんな経験をした覚えなんて、ないです」

 強いて挙げるとすれば、魔法少女に関わったのなんて、天津ミラが初めてだ。

 この事実は、すでに北落に伝えていた。

 というか、名刺カードは紹介状も兼ねていたのだ。

「だから、それだとも」

 北落ミスガは白衣の袖口に隠れながら笑う。

 実に愉快そうだった。

 嫌な予感がしたので、慎重に尋ねる。

「なにがどれなんです」

「天津ミラとの遭遇。それが嵐だ」

「どういうことです?」

「だって、そうじゃないか。それまでは全く問題なく見えていたのに、彼女と逢ってから世界の見え方が一変したんだろう? 年頃の女の子なら、誰でも分かる単純なことだよ」


「この嵐の名前は、恋という」

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