第21話 暗黒騎士と聖女の想い
「お待たせしました」
「ああ、来たか。ちょっと待ってくれ、ここをすこ、し? ……どうしたのお前」
声をかけられて顔をあげたハジメは、やって来たリンドヴルムの姿を見て思わずそう聞いてしまう。
ボロ布ではなく、しっかりと装甲の取り付けられた純白のドレスに着替えているリンだったが、その凛とした姿に対してパンパンに膨れ上がった袋やカバンを抱える姿はあまりにも滑稽だった。
「それが、最初は私を元気づけるためだったのですけれど『ドラゴンを鎮める捧げ物になるかも』と誰かが言い出してからこんなことになってしまいまして」
よいしょ、と可愛らしく袋とカバンを下ろしたリンドヴルムは丁寧な手つきで袋の中身をその場に並べていく。
串焼き肉、蒸した芋、飴玉、酒、蜂蜜のたっぷり塗られたパン。他には、宝石などの装飾品や貴金属類、短剣などの武器もあった。
そのどれもが屋台で並べられていた商品や街で使われていたような道具ばかり。
「……随分貰ったなぁ」
「ええ。皆の気遣いが嬉しくて気づけばこんなことに……」
相手の善意を断ることもできなかったのだろう。困ったような顔で笑うリンドヴルムだがその笑顔には喜びの色が混じっていた。
処刑場の姿を見ていたハジメは良かったと胸を撫で下ろした。
「……食べます?」
「いいのか?」
「ドラゴンを鎮めるための物ですから、それを操るハジメにも食べる権利はありますよ?」
「それは屁理屈じゃねーかなぁ。じゃあ遠慮なく」
そのまま地面に座った二人は、捧げ物として渡された物に手を付け始めた。
「おっ、これ入り口にあった串焼き屋のじゃん」
「美味しいですよね、ヤクニさんのお肉。私も好きなんです。秘伝のスパイスを使っているとかで――」
「ぬぉ!? これはチーズ!? 蜂蜜とチーズだと!? 美味い。これ美味いぞ! チーズがとろけてたらもっと美味いんだろうなぁ」
「アピンさんのパンは絶品なんですよ? そのパンは看板商品で、焼き立てはすぐに売り切れちゃうんです」
「納得の美味さだ……ん、これ魔法がかかってるな。儀礼用の宝剣か?」
「それはウツコビさんがくれたもので、南方の国に伝わる魔除けだそうです。大昔に魔物を追い払った英雄の剣を模しているそうですよ?」
「なんかこれ、一八式に似てるな……」
「いちはち?」
「いやこっちの話。ところで、捧げ物ってことはいくつか貰っていっても良いのか?」
「うーん……良いんじゃないですか?」
「よっしゃ!」
捧げ物一つ一つにハジメが反応するたびにリンドヴルムが説明する。
驚く声と微かな笑い声。穏やかな風に吹かれる草原に響く二人の声は、まるでピクニックに来ているような楽しそうなもので。
そうやって一通りの捧げ物を見たところで、油や調味料でドロドロになった指先を舐めながらハジメが言う。
「うっし、補給も済んだしお前に言いたいことが――」
「行儀悪いですよ。ほら、これで拭いてください」
「あ、はい。ありがとう……」
「あ、片付けるので少し待っていただけますか?」
ハンカチを手渡され出鼻を挫かれてしまったハジメは、少なくなった捧げ物を片付け始めたリンドヴルムとハンカチを交互に見て。
リンドヴルムの前にしゃがむとハジメは尋ねた。
「なあ、リン?」
「なんですか?」
「もしかして……泣いてる?」
自分でもなぜそう思ったのか分からなかったが、ビクッと全身を跳ねさせるリンドヴルムを見るとその言葉は正しかったらしい。
少しの沈黙の後、ゆっくりとあげられたリンドヴルムの顔は悲しそうに歪んでいた。
「なんでそんな泣きそうなんだよ」
「それは……」
「今すぐ殺し合うってわけでもないんだし、そんなに悲しそうな顔すんなって」
楽しそうに笑うハジメと違い、殺し合うという言葉にますます顔を歪めるリンドヴルム。
「なあ、リン。俺と一緒に暮らさないか?」
ハジメの提案にリンドヴルムからの返答はない。
「お前を家族のもとに返すほうが良いかもってのは分かってる。でも、俺はお前が欲しい。お前の強さ、美しさを手放すのは嫌なんだ。親友みたいに国一つったぁ言えないけど、今後の人生楽しく暮らせるように頑張るつもりだし。どうだ?」
微笑みと共に手を差し出され、リンドヴルムは項垂れるように顔を下げてしまう。
「ハジメは……」
「ん、どうした?」
思わず出た、というような呟きに聞き返すとリンドヴルムはゆっくりと顔をあげた。
「あの街をどう思いますか?」
「王都か。街の人は良い人ばかりだったな。飯は美味いし、見た感じ人の流れも活発だ。俺たちの都にも負けないくらい良いと思うぞ。あと、ホモノン王も凄いな。あんな威圧感出せる奴こっちにも居るんだなぁって感じ。お前が守りたくなるのも分かるわ」
都は綺麗で、ハジリマ村みたいな国の端っこみたいな場所でも飢える人や諍いが少ないことから、エーゲモードという国が立派に国を運営しているということはハジメにも分かる。
笑顔があり、誰かを助けようとする心があり、そんな人たちを守りたいとリンドヴルムが思うのも当然だとハジメは評価する。
「良かった。私の好きな人たちをそう思ってくれて」
悲しそうに歪んでいたリンドヴルムの表情は、今は険がとれて穏やかなもの。
「でも、滅ぼすんですよね」
天気でも聞くような軽い言葉で聞かれ、
「ああ。滅ぼすよ」
それが当たり前だと言うように、ハジメも軽い口調で返した。
「とはいえ、ホモノン王との約束もあるし完全に消し去るつもりはない。ただ死ぬほど怖い目にはあってもらう」
「犠牲も出ますよね?」
「そりゃあな。抵抗する戦士や無辜の民、多くの犠牲が出るだろうさ」
最初は竜の力を脅しくらいの気持ちで用意したのだが、リンドヴルムの境遇を実際に見聞きした今、彼らにはしっかりと恐怖を思い出してもらうべきだというのがハジメの結論だった。
「傷つけられる人たちに思うことはないんですか?」
そう問われハジメは腕を組んだ。
無辜の民を傷つける、無力な者を蹂躙するというのは、同じ立場だった過去を持つハジメとしても嫌なものだ。
しかし、そうした強力な力による支配は短期的な目線だと確実に効果が出る。
聖女の有用性を知らしめる。リンドヴルムがどう返答しようと攻撃を行うというのがハジメの出した結論だった。
「……思うところがないわけじゃないが」
「そうですか」
分かりました、と立ち上がったリンドヴルム。
こうして立ち上がったリンドヴルムと真正面から向き合って、この時初めてハジメは彼女の身長が自分とほぼ変わらないことに気がついた。
「ごめんなさい。私は、貴方と一緒に行けません」
静かな所作で頭を下げられるが、ハジメは狼狽えることもなく頷いて、力が抜けたようにその場にしゃがんでしまう。
「そっか……そっかぁ、フラれちまったかぁ!」
残念だ、と言う割に嬉しそうに笑うハジメを見て、リンドヴルムもまた、ふふっ、と笑みを零してしまう。
「はい、フっちゃいました」
「フっちゃいましたってなぁ、そんなに嬉しいか?」
「だって、こうして貴方と話したの初めてだから」
魔力込みならこうした雑談は何度もしている筈だが、と思ってしまったハジメだったが、そういえば、と思い直した。
――俺、魔力込めるの下手だから雑談とかしたことねーじゃん!?
冷静に振り返ってみると、はい、いいえ、好き、嫌い、などといった単語の組み合わせによる返答は行えていたが、きちんとした言語を使った雑談は行えていなかった。
「私、貴方と会って思い出したことがあるんです」
「ぬ?」
頭を抱えていたハジメは、そんな言葉を聞いて顔をあげた。
「大切な人を守りたい。先代様のように強く優しい、皆を護れる聖女になりたいって、そう思ってたんです」
胸に手を当て語るリンドヴルムの表情は憧れを語る人のそれで、先代聖女のことを本当に尊敬しているのだろう。
「それは貴方も同じなんです」
「俺? 俺はそんな立派なもんじゃないぞ」
「いえ、貴方は見ず知らずの私に食事を与え、衣服も住まいも、日々を生きる目的も与えてくれた。そして、危険を承知で私のことをずっと助けてくれていました。それがどれだけ嬉しかったか」
頬を紅潮させたリンドヴルムに射抜かれ、むず痒くなって目を逸らしてしまうハジメ。
「だから、今は貴方と一緒に行けません。せめて私の手で終わらせないと、ずっと貴方に甘えっぱなしになってしまうから」
「リン……」
細く柔らかい手がハジメの手に重なり、熱っぽく潤んだ瞳にハジメの身体は吸い寄せられていき、
「ガッ!? ァアアッ!?!?」
「だから貴方を止めます!! 全力でっ!!」
全身を貫く激痛に悲鳴をあげてその場に崩れ落ちてしまうハジメ。
同時に地面から植物の蔦が伸びてハジメの身体を拘束する。
話しながら魔法の発動機会を伺っていたのだろう。
のたうち回りそうになるほどの激痛に瞳から涙を流しながら、しかしハジメは獰猛に頬がつり上がっていた。
リンドヴルムが本気で止めに来るのなら、本気で打倒する。
全身から魔力を放出して蔦を吹き飛ばしたハジメは剣の柄に魔石を叩き込んだ。
『魔石装填!』
「全力で来るんなら、こっちも相応で行かせてもらう! 武装形態!!」
『暗黒外装!』
ハジメの宣言と共に漆黒の鎧が彼の身体を包み込み、武装したハジメは大上段から剣を振り下ろすのだった。
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