第18話 リンドヴルムという少女の話
エーゲモード城地下、湿気で淀んだ地下牢獄の最奥に彼女はいた。
巨大な鉄の扉に閉ざされた先、堅牢な鉄格子の奥で見窄らしいボロ布の服を着せられ、手枷と足枷をされた金髪の女性、リンドヴルム。
彼女は腐りかけた木の板のベッドに腰掛けてぼーっと苔まみれの天井を眺めていた。
と、鉄扉が耳障りな音を立てて開きそこから複数の足音が聞こえてくる。
「あら、まだ生きていたの悪魔の子」
「よしなさい。悪魔の子などと」
聞こえてきた男女の声に、耳をピクリと動かしたリンドヴルムがようやく天井を眺めるのを止めて声の方を見る。
「……お母様、お父様」
「やあ、リンドヴルム。元気そうだね」
衛兵を従えてやってきた身なりの良い男女。
茶髪を纏めた柔和そうな男の方はファブル・ウル・ドラコメイン。波打つ金髪から足先まで煌びやかに着飾った女の方はレヴィア・ウル・ドラコメイン。
リンドヴルムの両親であるドラコメイン。公爵夫妻だ。
記憶より少しだけシワの増えたファブルは、リンドヴルムに向けて親しげな笑顔を浮かべて鉄格子に近づく。
「大丈夫かい? きちんと食べてる? 君がいないと私達は生活できないからね」
そうでしょうね。とリンドヴルムは心の中で呟いた。
少しの村を領地とした弱小貴族であるドラコメイン家が地位と財力を得て繁栄しているのは、単にリンドヴルムの聖女という立場から来るものだ。次女のアンフィが次の聖女としての才能に恵まれていることもあってこの先もドラコメイン家は安泰だろう。
「やめて頂戴。悪魔の子のお陰だなんて。私達にはアンフィがいるのよ? こんな魔族と手を組んだような子は要らなかったのよ」
義母であるレヴィアの発言に「お母様は何も変わってないなぁ」などと懐かしさすら感じてしまうリンドヴルム。
ファブルと侍従との間に生まれた子供であるリンドヴルムはレヴィアと血が繋がっていない。
彼女からすればリンドヴルムは目の上のたん瘤であり、今回の一件は大歓迎だろうなぁなどと思ってしまう。
「いいや、ホモノン王の覚えが良いのは彼女のお陰だ。できるだけ穏便に治めなければ……」
「何を言ってるの。フェイグ様はアンフィに夢中なのよ? もうそこの奴なんてどうでもいいじゃない。なに? それともあの女との子供だから守ろうって?」
「そういうわけじゃないさ! ただ、歴代最高と謳われる聖女が魔族と手を組んでいるなんてとても信じられないだけだよ」
「どうかしら? その魔族も誑し込んだのかもしれないわよ?」
ピクリと耳が動き、ずっと二人の会話を眺めていたリンドヴルムが初めて反応した。
「あら、どうかしたのかしら? 貴女のような恐ろしいモノが魔族と一緒にいたのよ? それはもう好き放題やってたんじゃないの? おぞましい化け物同士で」
「――ッ。はっ、彼はッ! 彼はそんな人じゃありませんッ!!」
と、話に夢中だったはずのレヴィアが急にリンドヴルムに投げかけ、下世話な言葉に我慢できなかったリンドヴルムが強い口調でそう断じる。
そして、言い切ってからリンドヴルムはハッとしてレヴィアの顔を見た。
彼女のなんと愉快そうなことだろう。花が咲くような満面の笑みを浮かべたレヴィアが言う。
「彼、ね。随分と仲が良かったようじゃない? まさか貴女が……ねえ、ファブル」
「そうか……私は信じていたのだがね。残念だよリンドヴルム」
――ああ、そうか。ハメられたのか。
二人がここに来た理由は無駄話をしに来たわけではなく、魔族と関係していたという言質を取りに来たのだ。
言葉では残念そうだが、どこか嬉しそうな二人に腹の底が冷えていく。
「処刑なんて面倒なことしなくても、もうここで死なせてあげたほうが良いのではなくて?」
「しかしそれでは殿下は納得されないだろう」
「いいのよ。アンフィを渡すんだから問題ないでしょう」
「――どういうことですそれはッ!!」
妹の名前が出た瞬間、カッと目を見開いたリンドヴルムが鉄格子に飛び付いた。
そのあまりの形相に仰け反ってしまう夫妻だったが、枷を嵌められたリンドヴルムの姿を見て、レヴィアはフンッと鼻を鳴らすと見下すように身体を反らす。
「あら、何がおかしいのかしら。貴女が死んだと思い心を痛めた殿下に心優しいアンフィが『自分が婚約者になる』と言ってくれたのよ?」
「私達のことも大切に思って、できた娘だよ。これで我が家も安泰だ」
なんと健気で優しい娘か、などと涙を隠すように目元をぬぐうファヴルとレヴィアに腹の底から熱が込み上げてくるのが分かる。
私のみならず妹まで利用して、そこまでして富が大事か。全身が熱く滾り歯を食いしばりながらリンドヴルムは鉄格子を掴んで夫婦を睨みつけた。
「なんて反抗的な態度なの。そんな所まで魔族の思想に染められてしまったのね。可哀想に……。しかたがない。私が今ここで楽にしてあげる」
「それではフェイグ様との契約が――」
「何を言ってるの。これが襲ってきたから魔法で迎撃するしかなかった。そうでしょう?」
「……そうだね、仕方ないことだ。だって襲われたのだから自衛しないといけない」
余裕の表情で詠唱を始めるレヴィアを噛みつくように睨みつけながら、リンドヴルムは頭の中で彼女をどのように攻略するか高速で思考していた。
――私の枷は解けないから魔法は受けるしかない。でも、うまく当てれば枷を外すことができるかもしれない。そうすればこんな人たちなんて。
聖女を産んだとは言うが、本当に聖女の才能を持った女の子を産んだだけで、もし平等な条件での戦いなら万が一にもリンドヴルムが負けることはないだろう。
それが分かっているからこそ、リンドヴルムは覚悟していた。
自分が死のうがせめてこの人たちを連れてこう、と。
そうしてレヴィアの魔法が完成し、魔法を放とうとしたその瞬間。
轟音とともに鉄扉が開かれ、そこから人影が飛び出してきた。
「お父様! お母様!」
轟音とともに飛び込んできた、ふわふわした装飾をつけたドレスを身に纏う小柄な少女。その姿を見たレヴィアは魔法の発動を中止すると猫なで声で少女の名を呼んだ。
「ああ、アンフィ! どうしたのこんな物騒なところに」
「お母様、丁度良かった。私、姉さまとお話がしたくてここに来たんです」
「お話だって? こんな反逆者にどんな話があると言うんだい」
リンドヴルムに話しかけていた時とは打って変わってはちみつのように甘い声色の夫婦を見て、嫌悪感で思わず顔をしかめてしまうリンドヴルム。
そんなリンドヴルムをちらちらと見ながらアンフィは夫婦に甘えるようにすり寄りながら言う。
「反逆者であっても私の姉。そして歴代最高とも呼ばれる聖女です。これが最後だというのなら、なおのことキチンと話をしなければいけません。それはこの国、ひいてはフェイグ様やお父様お母様のためになることなのですから」
「おお、アンフィ。なんて立派な考えなんだ。前までこんなに幼いと思っていたのに」
「私たちの事をそんなに……わかったわ、存分にお話ししなさいな」
「ありがとうございます。では、皆様退室していただけますか? 聖女の秘術などは門外不出ですので……」
アンフィに言われるままにデレデレと牢獄を出てく夫婦。
アンフィはスカートの端を摘まんで残っていた衛兵にも丁寧に頭を下げると、衛兵たちもまた牢獄から離れていく。
そうして最後の一人が鉄扉を閉じて数秒ほど間をあけると、アンフィは「はあぁ~」と気の抜けたような大きなため息を吐いた。
かと思うと、リンドヴルムのいる鉄格子まで飛びつくように駆け出してさっと頭を突き出した。
アンフィのふわふわした蜂蜜色の金髪が目の前に広がり、ふっと笑みを浮かべると拘束された手をなんとか動かしてアンフィのつむじに手を乗せた。
「ありがとうアンフィ。助けてくれて」
「えへへ……」
そうして少しの間頭を撫でられたアンフィは、名残惜しそうに身体を離すとリンドヴルムをまっすぐ見据えて笑顔で言った。
「お久しぶりです、リンド姉様」
「ええ、久しぶりね。見ない内に少し大きくなった?」
「気づきました!? そうなんです。最近バルトと一緒に身体を鍛えててですね! 見ててください!」
おもむろに裾を捲ると「ふんっ!」と気合を入れて右手を曲げるアンフィ。
すると、彼女の二の腕に小さい力瘤が出来上がる。
「どうですか!」
言外に「褒めて褒めて!」と激しく主張するキラキラとした眼で見てくるアンフィ。
「頑張ってるんだ。凄いねアンフィ」
「えへへ。目指すはお姉様みたいな綺麗で格好いい女性ですもん!」
ふんすっ、と鼻息荒く両手を握るアンフィに目を細めながら、心の中で彼女に謝ってしまう。
アンフィの努力はとても嬉しいが、聖女の仕事を任せるにはまだ若い。自分が至らなかったせいで彼女を制御にしてしまったと後悔するリンドヴルム。
そんな彼女の顔をじっと見ていたアンフィが、急に手を叩いて言う。
「あ、ハンカチは受け取ってくださいましたか?」
「ハンカチ?」
目を瞬かせて聞き返してしまうリンドヴルムであったが、それがハジメから渡されたものを指していることに気づくとすぐに頷いた。
「そうなんですね! 魔族なのにキチンと渡してくれたんですね」
「魔族なのにって、ハジメはそんな酷い人じゃないわ」
「ハジメ……あの魔族ってハジメっていう名前なんですか?」
「ええ。ハジメ・クオリモって言う名前で、鎧兜の下は耳が尖ってるだけでほとんど私達と変わらない人だったの」
「へー、お姉様はその人と一緒に暮らしてたんですよね? どんな生活だったんです? 嫌なこととかされませんでした?」
「だから、そんな酷い人じゃないわよ彼。……彼が朝食を作るときは結構濃い目の味付けなのは少し困っていたけど」
ハジメが作る朝食は、肉! チーズ! 濃いソース! みたいな物が多い。
朝食が肉類というのはリンドヴルムも良くしていたが、男性と女性の味覚の差なのか、彼の料理はリンドヴルムにとっては味付けが濃すぎることがあったのだ。
それはそれとして美味しいから食べてしまうのだが、と苦笑してしまう。
「それでそれで? お姉様はハジメさんとどんな風に過ごしてたんですか?」
「えっと……基本的に私は家に居て、彼が狩りをしたり。定期的に私と二人で瘴気を払ったりしてたわね。最近は週に二回くらい休みの日があって、そういうときは本を読んだり軍駒をしたり」
「軍駒?」
「えーっと、チェスがあるでしょう? あの駒を魔法の力で操って戦わせる盤上遊戯のことで――」
彼の持ち込んできた彼の国の遊びや玩具、物語。または彼の作る食事など。森の中での暮らしは聖女として暮らしていた頃と比べてとても緩やかで忙しなく、それでいて充実していたなと思う。
牢獄に囚われた今、遠い過去のように思える数ヶ月に思いを馳せてリンドヴルムはアンフィに語る。
「――それでね、彼ったら『いや今の無し! ちょっと待って手番一回戻さない!?』ってすっごく慌ててね。どうせ勝てないのに考えて、挙句の果てに『やっぱ俺たちの駒使って良い?』とか言い出すし」
「……」
「あの日は私が完封しちゃったからイジケちゃって、でも晩御飯に私が好きな果物を添えてくれてね。嬉しかったなぁ……」
「姉様、聞きたいことがあるのですが良いですか?」
「なに? 何でも聞いて?」
アンフィは一呼吸置くとリンドヴルムの目を真っ直ぐ見据えて言う。
「リンド姉様は、処刑されたいですか?」
「……え?」
「リンド姉様は死にたいのか、そう聞いているんです」
急に言われてぽかんと口を開けてしまうリンドヴルムだったが、慌てて「処刑は仕方ないことだ」と言おうとする。
だが、思っているのに口は動かない。
リンドヴルムは言葉が出ないことに焦りを覚えた。
ここで黙っていたら、心優しいアンフィが気に病んでしまう。
この処刑の決定は、王の代わりに全権を握っているフェイグによるもの。その決定に逆らうことは出来ない。
だから仕方のないこと。大人しく従うしかないのだ。
そう思っても喉がキュッと締め付けられて言葉が出ない。
まるでそれを言うことを身体が拒んでいるようで、リンドヴルムはなんとか声を出そうとする。
『困ったこととか嫌なことがあったらすぐに言ってくれよ。遠慮せずに全力でだ。いいか? ぜっったいだぞ? その顔からして黙ってそうだからもう一回言うけど、素直に思ったことを言ってよ? 察しろとか無理だぞ俺。絶対だぞ!』
そんなときにハジメの言葉を思い出したからだろうか、
「――い」
「――!!」
リンドヴルムの口から漏れた言葉にアンフィが目を見開いた。
その反応を見て、反射的にリンドヴルムは繰り返す。
「死にたくない」
――あれ?
そう思ったときにはもう遅かった。
「なんで私が死ななきゃいけないの? 村の人に酷いことをされて牢屋に入れられて? お父様もお母様もフェイグ様もみんなみんなずっと私のことを化け物って、私はこんな力なんて望んだことなかったのにアンフィばかりが大切にされて私は聖女としてずっとずっと頑張ってきたのに私を捨てたのは皆なのに」
――違う、こんなことを言うつもりはなかった。
そう思っても言葉が溢れて止まらない。
「ようやく、ようやく生きていけるようになったのに。こうして捕まえて命令を聞かせようとして、魔族と共謀? 反乱? ふざけんな!! ふざけんなよ!! わざわざ顔を出したと思えばほんと、本当に……ッ」
ガンッと鉄格子に額を押し付けてツンと痛む鼻を鳴らしながら「くそ、くそぅ……」と言葉にしきれない想いのまま呻くリンドヴルム。
そんな彼女の頭を暖かく包み込むものがあった。
リンドヴルムがハッとして顔をあげると、アンフィの碧い瞳と目が合った。
「姉様、いいえ、リンドヴルム・ウル・ドラコメイン様」
リンドヴルムの頭を抱き、頬を僅かに上げて微笑む姿はリンドヴルムの中にあるアンフィとはかけ離れた大人びたもので、目を瞬かせた彼女の頬を熱いものが落ちていく。
「貴女は今まで、その身を賭して我が国のために戦ってきてくださいました。ですが、今の貴女は聖女ではない。今の聖女は、私です」
凛と決意を滲ませながら、アンフィは言った。
「今度は私が貴女を助けます……っ」
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